第42話 閑古鳥の子供

白みがかった岩の道、日が出ているとその反射が眩しくて目も開けていられないほどだが、今日は幸いの曇りだ。


代わりに目に映る景色は真っ白で、単調すぎて面白みがない。


サンガゾの山場の中でもこの場所は夏場でも草木は低く、少なかった。


石灰質な地質は、草木が育つにはあまり適していないのだ。


しかし、この白く薄味な道も延々と続く訳でもない。


ニコイが地面を踏みしめるようにして白き坂を登っていくと、その奥には雨水が溜まって出来た小さな湖があった。


そこは他と比べ、苔むして茶けた緑色だ。


―――……はっきり言って、汚い。


ニコイはこの池岸を歩いていると、昔この辺りで走り回って遊んでいた記憶が蘇って左頬を吊り上げる。


(存外に、懐かしいものだな)


在りし日の幻影を追いかけるように池の脇を通り過ぎ、ニコイは直面する崖の洞窟へと足を踏み入れた。

そこに彼女は居るはずだ。


「戻ったかい」


ニコイが洞窟に入ると、反響してくぐもったソチの声が聞こえた。


「懐かしいものだねぇ、お主がもっと若いときは、一緒にここに遊びにきたものだった……」


「―――……」


ニコイが応えずにいると、淡く光るロウソクで身体を囲うようにして座していた彼女は、振り向かぬままにニコイに問うた。


「―――……その様子だと、知ったようだね。父親のこと」


見てもいないというのになぜ分かるのか、ニコイは敢えてそれを訊ねることはしなかった。


彼女の感覚に理屈はほとんどない。


「―――……戦団長ニコイ。命に従い、参上いたしました」


「よろしい。それじゃあまずは、久しぶりに世間話でもするかい?」


ソチは振り返り、立ったままのニコイを見上げる。


「訊きたいことも多かろ」


ニコイはそれに頷き、近くの手頃なでっぱりに腰をおろした。


ひやりと冷たい岩肌が服を通して伝わる。


しばらくニコイが何も言えずにいると、ソチは焦れたようにニコイを急かす。


「―――……心配せんでも、ここには誰も来ないよ」


だが、黙っていたのは人目を気にしたからではなく、いざその場に立たされると何を訊くべきなのかが分からなかったからだ。


父は死んだのではなかったのか、いつから知っていたのか、なぜ黙っていたのか、今なら話す理由は何なのか。


いくつもの疑問が頭を過って消えていくが、そのどれもが「本当に訊きたいこと」ではないように思えてならないのだ。


「―――……なぜ父が生きていることを隠していたのです?」


結局、口をついて出たのは何の捻りもない質問。


しかし同時に、そこにはさまざまな感情が込められていた。


ソチもそれを感じたのか、ため息のように鼻から息を吐き出すと、天井を見上げるように首を傾ける。


「あたしがそれを知ったのは七年前・・・、オクホダイに出していた間諜から垂れ込みがあったからじゃ。とは言え、当時は戦いに負けたばかりで、真偽を確かめる余裕もなし、噂として耳に入る程度のものだった」


「噂、ですか?」


ニコイはソチの顔を睨みつけるように見つめるが、そのシワだらけの顔は動かぬ造形物のようで、何も読み取る事はできない。


「オクホダイの当主が、敗走中の『戦団』をかくまった。故は知らぬが、そんな内容だったかのぉ……もっとも、オクホダイとはこれと言った関係性がない。噂の域をでることはないだろう、というのが我々の当初の見解だった。―――……敢えてお主に伝える必要性を感じなかったのよ」


「―――……そうすれば、私が戦団長を目指すだろうと」


ニコイがフークーとのやり取りを思い出して言うと、ソチはあっけらかんと「否定はしないがのぉ」と呟いた。


「―――……根拠のない希望・・・・・・・は絶望に似て、目を眩ませるもの。これに関しては本当に『噂話』でしかなかった・・・・噂ごとき・・・・でお主の才を潰すには惜しくてな。あたしゃどうしてもお主を・・・戦団の長に・・・・・据えたかった・・・・・・


それは明確に褒め言葉であった。


しかしニコイはそれを素直に喜べない自分がいることに気づく。


それはやはり、彼女たちの「秘密」がニコイにそう思わせるのか。


(―――……どうしてこうも、釈然としない・・・・・・のだ)


ニコイはその一心で、ソチへの質問を続ける。


なかった・・・・、ということはそれが『噂話』ではなくなる瞬間があったということでしょう?」

ソチはその時、ニコイの問いには答えずに彼女に背を向けた。


「―――……ソチ様?」


思わずニコイが声を掛けるが、彼女は返事をせず、代わりに何かを拝むように手を拡げた。


今まで薄暗い中で注意を向けていなかったが、彼女が手を掲げたことでそれに注意が向く。


羊の毛で作った色とりどりの織物を下地に、様々な人骨が並べられたそれは、久しく見ていなかった「山の民イカコの神」を祀る祭壇だった。


そのくすんだ人骨はかつての長老のものを加工したもの、山の民にとっての「神」とは、祖霊によって形作られるものだった。


神を拝せぬソチがこの場に居るのは、彼女が一人になる場所を求めたからなのか。


あるいは、不安を隠すための場所であったのか。


「―――……ニコイよ、主ゃあたしの力を知っているね?」


「予見、でしょう」


ニコイが答えると、ソチはそれを否定するように首を振った。


「そんな大それたものじゃぁないよ、あの『鴉瞳あどうわっぱ』に比べりゃチンケなものさ」


「―――……では、何なのです?」


ニコイは納得できずに聞き返す。


そもそもニコイは「鴉瞳あどうわっぱ」からして誰を指すのかを知らなかった。


「予測、さ。いろんなことを考えて、その中から上手くいきそうなものが分かる・・・。つまりだ……」


ソチは改めてニコイに振り返り、自分と良く似た、翡翠ひすいのような目を真っ直ぐに向けた。


「―――……お主を・・・戦団の長に・・・・・据える・・・と決めた時・・・・・に、あたしが・・・・噂を・・隠すこと・・・・が良い・・・感じたこと自体・・・・・・・が、ヒエラーゾの・・・・・・生存の証明・・・・・なのではないか・・・・・・・と気づいた……それが『襲撃』とそれにまつわる『火薬アビーカ』の話を聞いたときのこと。あたしの力はその程度のものなのさね」


一族全体を束ねてきた女性、その秘密の一端に触れた時、ニコイはソチに畏怖の念を抱くのと同時に、彼女が所詮は人間であるという観念も生じ、戸惑った。


ニコイは「それは傲慢ごうまんだろう」と自分をいさめるも、一度湧き出た水はとめどないのと同じように、その考えを封じることはできなかった。


それを抱えたまま、しかし彼女が「答え」を持っているという思いも捨てきれず、口は変わらず詰まらぬ疑問を履き続ける。


「―――……では、気づいてなおも隠し続けたのはなぜです。少なくとも私はすでに戦団の長、お祖母様の期待には添えているはず。こうして私が自ら知る前に、お祖母様の口から父の事を教えてくださることもできたはず」


そこからソチの返答までには少し間があった。


ニコイにはそれが、何を答えるべきかを必死に考えている時間のように思えた。


「―――……ニコイ。今回のことをお主に託したのは、確かめる為だった。噂の真偽、あたしの予測の正誤をね。そしてそれは正しいものだった」


「お祖母ばあ様、それでは答えになっておりません!」


ニコイは身を乗り出すようにして、半ば食い気味に叫ぶ。


しかしソチは落ち着け、とでも言うようにニコイに手をかざし、話を続ける。


「同時に、お主がどんな道を選ぶのか、それを見定めるものでもある」


「―――……道、ですか?」


「そうとも。事件について調べたことは、お主にとっても意義はあったはずさね。言われたこと・・・・・・より見たこと・・・・だ。先入観がない分、余程よっぽど、信じられただろう。お主の父の生存を」


ニコイは俯き、考え込んだ。


そして、いくら考えても、それには納得せざるを得なかった。


七年も戻らなかった父が生きている、そんな事は誰に言われたところで信じなかったに違いない。


しかし自分でそこに行き着いた今、彼女にはそれを否定することができない・・・・


「―――……そして、自分の父親が我々に仇なす・・・・・・存在である・・・・・ということもな」


ピリリと空気がひりついて、ニコイはハッとソチを見る。


「もし、ヒエラーゾが実際に生きておって今回の件の主犯なのだとすれば、お主ゃ、彼奴きゃつを排さねばならん。これが今回お主を呼んだ理由さね」


ソチの顔は先程と、ほとんど変わらない。


しかし彼女から向けられているのは値踏みをするような視線だ。


それは彼女がニコイに何を言いたいのか、それを雄弁に語っていた。


ーーー……ニコイよ。戦団の長でありたくば、お主は父親を殺せ。

ーーー……あるいは我々の期待を裏切り、戦団の長を降りるのか?

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