第41話 殻の内は見えず

「行くぞフークー、他を当たらねば」


建物の残骸を確認したニコイは、部下であり叔母でもあるフークーの脇を足早に通り抜けた。


ニコイは教会の医療棟で話を聞いたあと、その日のうちに教会領東北部の薬剤庫跡を訪れていた。


そこに管理人の男も把握していない情報の一つでも残されていないものかと考えたからだ。


しかし、ここにも取り立てて気になるようなものはない。


時間帯はすでに日暮れ、これから移動するには少し遅い。


「―――……焦れったい」


ニコイは、周囲の動きが普段以上に緩慢かんまんに感じ、同時に冷静な部分がそんなことはあるはずがないと、叫び出したい衝動を抑える。


普段ならばここまで焦ることもなかっただろう。


しかし、事態が殊の外重大な問題になってくる可能性や、個人的な要因・・・・・・もあって彼女を必要以上に焦らせていたのだ。


そしてそれは見るものが見れば、ひと目で分かるほどに。


「ニコイ様」


「―――……何だ」


少し鋭い叔母の声が背後から差し込まれ、ニコイは苛立たし気に振り返った。


「何を焦っていられるのですか、らしくありませんよ」


ゆっくりと振り返ったフークーは、ニコイとは対照的に至って平然としており、しかしそれ故にニコイに今の自分の態度がよろしくないことを内省させた。


とはいえ焦り自体が胸中から消え失せる訳でもなく、ニコイは無理に大きく息を吸い、はいた。


お陰で多少は気が緩んだのか、ニコイは無意識のうちフークーに、部下としてではなく叔母として語りかけていた。


「―――……焦らぬ訳にもいかないでしょう。我々は未だ敵に指をかけることすらままならない」


このままではソチの期待に応えることはおろか、もっと面倒なことになることも考えられた。


今の彼女たちにはとにかく時間が足りていなかった。


「―――……指はかけているでしょう、貴女は容疑者の目星・・・・・・をつけている」


叔母の物言いにひっかかりを覚えたニコイは、問いかけるように叔母の伏せがちな瞳を見つめる。


長いまつげに隠れて見えないその裏には、何か秘密・・があるように思えてならなかった。


「いま、何と?」


ニコイが問うと、フークーはゆっくりと目を上げてニコイを見返した。


「貴女が焦る理由を当てましょうか、ニコイ。聞いたのでしょう、ヒエラーゾ・・・・・の名を。貴女の父親・・・・・、ヒルマ・ヒエラーゾの名を……」


ニコイは雷に打たれたような気持ちで固まり、それがフークーの口から出た言葉である事実を確認するかのように何度か瞬き、辺りを見渡す。


しかし、はっきりと声が聞こえる範囲にいるのは、彼女とその叔母だけである。


「―――……何故いま、父の名を?」


ニコイはある予感から叔母を睨み、絞り出すように声を出した。


医療棟で男から話を聞いた時、ニコイは誰にもそれ・・を話していなかった。


正直、何故そうしたのかは、彼女自身にも分からない。


あまりに突飛な話であったがために、単なる空似か勘違いだと思ったのか、それとも言葉にしてしまうことでそれが事実になってしまうことを恐れたのか。


しかし、いずれにせよ話していない・・・・・・ことは確かなのだ。


「何故、父の名を出した。答えろ!」


何も言わぬ叔母に向け、ニコイは声を荒げる。


怒りはふつふつと込み上げ、次第に身体を熱く、そして震わせた。


「―――……ソチ様より伝え聞いておりました。今回の件はニコイに調べさせる、それが彼女のためである、と」


それは直接的な答えではない。


ニコイは怒りで身を震わせる一方で、思考は冷静だった。


「―――……知っていたのだな。初めから・・・・


奥歯を噛みしめたニコイの声は、獣の唸り声かのようだった。


「……」


「お祖母様に叔母上は、父が生きていることを知りながら、隠していたということか」


何も答えぬフークーからなんとか反応を引き出そうと、ニコイは言葉を重ねた。


「ニコイ様、いまは人目があります」


フークーはニコイの怒りを前にしても冷静であった。


それはきっと、いまのニコイが遠巻きにこちらを伺う部下にどう思われるのか、それを気にしたものなのだろう。


しかしそれが今回ばかりは、ニコイの怒りに油を注いだ。


ニコイは他の部下たちの目もはばからず、叫ぶ。


「だから何だ。だから何だというのだ、叔母上」


信じていたものに裏切られた、その思いが彼女の全身を引き裂かんがばかりに身体を熱として駆け巡っている。


「なぜ娘が、私が、父の生存を知らない。なぜ隠した。それが私のためになる・・・・・・・と?」


その通りです・・・・・・


「な……」


間髪入れぬフークーの断言はニコイの氣勢きぜいを削ぎ、言葉を詰まらせる。


「ですが、ヒエラーゾの生存に確証がなかったことも事実。そして今回、それは確証に変わった。ソチ様もお喜びになるでしょう」


「―――……なぜ、今なのだ?」


ニコイがフークーを睨め上げると、彼女は叔母らしい、優しげな微笑みを浮かべた。


「ニコイ、これは貴女のため・・・・・だった。かこに縛られ、道を見失ってしまわぬよう、ソチ様が貴女に今回の件を調べさせたのですよ」


「―――……父が私の妨げになると?」


「満たされていれば、進む意味はなくなってしまう。少なくとも、戦団長としての・・・・・・・ニコイ・・・は居ないでしょうね」


言われ、望まずともニコイの脳裏にそれを肯定する言葉が浮かぶ。


父が、かつての戦団長が生きていると知っていたならば、ニコイがその座を志すことはなかった。


なぜならば、その位置は空座ではないから。


すでに埋まっている席に、どうして自分が座すことができようか。


そう、叔母の・・・言葉は・・・正しい・・・のだ。


しかし、それで納得できる話でもない。


「―――……騙してでも私を戦団長の地位に据える事にどれほどの意味がある。父がその座にいる事と、何が違う?」


「ソチ様がそうお読みになりました、意味があると」


ニコイの詰問に対するフークーの答えは短く、簡潔だった。


普通ならば絶対に納得できるような内容でもない。


しかし、ニコイにとって、それは何よりも納得せざるを得ない・・・・・・・・・理由・・だった。


「―――……叔母上はそれを信じているのですか?」


「彼女の力は本物です。然らば、彼女が信じる貴女の力も本物・・なのでしょう」


「―――……」


それを聞き、ニコイは何も言えなくなった。


確かに、ニコイ自身にもそれを否定することは出来ない。


そう思うと、どっと疲労感が全身に満ちて、身体がとにかく重くなった。


「貴女の父のことは、山の民イカコのために必要なことだった。それで受け入れなさい」


ニコイはその時には反目する気にもなれず、ただ肩を落とすのみだった。


しかし、確認しておかねばならないことがあることを思い付き、ため息をついた。


「父の生存の可能性についてお前たちが掴んでいたとして、今回の件との関わりと、目的は分からぬままだ。―――……知っていたのなら教えてくれ、次はどこをどう調べるべきだ?」


「それについては先程、ソチ様よりの書状を受け取っております」


フークーが差し出したそれは、図ったようにヒエラーゾの名前と、ニコイに一度戻って来るようにとの旨が書かれた簡素な書面だった。

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