第39話 火種知らずの焚火

陽光がじりじりとうなじを焦がす、昼下がり。


少年の汗が頬を伝った丁度その時、彼の待っていた人物が戻ってきた声が聞こえた。


「お待たせしました。ここに居たのですね」


メナが戻ってきた時、カイルは村長宅の裏手にある畑の柵に座り、自分の足元に伸びる黒い影をぶらぶらと揺らして暇を潰しているところだった。


「遅かったね。―――……それで、どうだった?」


カイルが問うと、彼女は品良く鍵を手のひらの上に乗せて彼に見せた。


「鍵?」


メナは、カイルの言葉に頷く。


「保管庫の場所も教えて貰いました。少し歩くことになりそうですから、休んでから行きましょうか」


そう言って彼女は大きな一枚葉で包まれたいつもの昼飯を鍵とは逆の手で差し出した。


空腹を感じていたカイルは頷き、柵から飛び降りた。



昼食が終わり、腹ごなしに日陰で山から吹き下ろす風を浴びていた二人は「どんな食べ物が好きなのか」といったような、たわいのないような話をしていた。


そうしているうちにも日は頂天からは傾き始めたが、それでもまだまだまだ暑い。


カイルが鼻頭に浮いた汗を服のえりで四回ほど拭ったころ、メナが「そろそろ頃合いですね」と立ち上がった。


カイルは立ち上がった彼女を視線で追う。


逆光に振り返った煌めく銀髪の姫君、その目元は影になって見えない。


「暗くなる前に終わらせましょう」


メナが言い、カイルは頷いて立ち上がった。


彼女に協力を申し入れてから、事態はどんどん前に進んでいっている。


だと言うのに、彼の腰はやけに重たかった。



**



昼休みを終えた二人は、村から少し離れた木々に覆われた山道を登っていた。


山道は刺すような陽光が青々と茂る木の葉に遮られており、風が吹き抜けていくのでむしろ涼しく感じられる。


しかしそれは、じっと大人しくしていれば、の話であろう。


二人は黙々と目的地を目指して歩いている。


(―――……あつい、疲れた)


目的地への道のりは彼女の言った通り、少しばかり長く歩かされた。


カイルはメナの方が先に根を上げるのではないかと思っていたのだが、彼が思っていたよりも、彼女はしたたかな女性であったらしい。


「―――……ちょっと、待って」


カイルが軽く息を上がらせて泣言を口にすると、メナは苦笑して立ち止まり、いつの間にか持っていたのか水差しを彼に差し出した。


「思っていたより、遠いですね」


カイルが水を飲む最中、メナは額の汗を手で払ってパタパタと仰いでいた。


襟足えりあしで結わえた髪がその手の動きに合わせてぽんぽんと揺れる。


(―――……そういえば、いつの間に髪の毛、結んだんだろう?)


カイルがそんな事を考えていると、彼女はその視線に気づいたのか、少し微笑んだ。


「もう少し休んだら、行きましょう。もう少しのはずですから」


カイルは、この先の道筋がまだ続く事を思い、少しうんざりとする。


この時の彼女の顔は、優しげなのに、どこか無慈悲で我儘な女王のように見えたのである。


しかし彼女の言の通り、それから間もなくして二人は目的地に辿り着くことになった。


「―――……こんな場所、あったんだ」


呆然と呟くカイルの視界に拡がっていたのは開けた平地だった。


そこには木々も何もなく、山道の正面には切り立った崖が鎮座している。


平らにならされたその場所は、明らかに人の手が加わった場所だった。


山道に比べて日陰もなく、陽光に直接さらされて陽炎が見えるようなその広間の奥。


正面の切り崩されたような崖がある方とは別の、少し外れの方。


その建物は木陰に潜むようにしてひっそりと鎮座していた。


それが目的の保管庫であることをカイルは確信する。


「着きましたね」


メナがそう言って茹だるような広間に歩いていくのを見て、カイルは「うぇっ」と思う。


しかし暑いから行きたくないなどとも言っていられず、少年は急いで彼女の後を追った。


日向が直接当たる広間は、うんざりするほどの暑さだった。


しかし建物に近づくとその場所には木々が生えていて日陰があり、思わぬ冷たい空気が彼を包んだ。


「―――……開きましたね」


カイルが追いついた時、メナはすでに保管庫と思われる建物の鍵を開けていた。


メナはそれを見て、胃の辺りがきゅっと締まるような感覚になる。


しかしカイルはそれが何なのか分からず、メナに訊ねた。


「ここで何を調べるの?」


メナはしかめ面で埃っぽい扉を開け、舞う埃を手で払いつつ答える。


「―――……ぅわ。えっと、記録です。カイルくんのご両親は几帳面なようでしたから、何か手がかりになるようなものを残しているのではないかと」


カイルは、どうしてメナが自分の両親のことについて知っているのかとふっと頭を過ったが、すぐにそれは通り過ぎて見えなくなった。


代わりに薄暗い建物の中を覗き込み、その様子を探ってみた。


「―――……なんか、汚い」


カイルが呟くと、メナは「そうですね」と苦笑して同意を示すものの、そのままずんずんと薄暗い納屋に入っていった。


彼はその様子を見て、少し抵抗感を覚えつつも後に続いた。


この薄暗い保管庫の中は、何段もの棚に木箱や小瓶のようなものが無造作に置かれていて一見すると何がなんだか分からない。


しかし、よくよく見てみれば、それらには父親の文字で名が書かれていて、それが何となく両親の言い合いを思い出させた。


カイルは去来した寂寞せきばく感に泣きそうになるのを堪えながら「記録」を探すメナの背中を見上げる。


メナは彼の犯人探しを手伝ってくれている。


しかし、このまま犯人を見つけてしまったら、彼女は自分をどうするのだろうか。


(―――……)


カイルが見つめる中、メナはあれこれと辺りを見渡し、時には持ち上げ、目的のものを探していた。


時折咳き込むものの、その腕が、頬が、髪が埃で汚れていくのも全く気にした様子はない。


カイルにはその姿が何故か、眩しく見えた。


そしてそれからしばらくして、メナはついに目的のものを見つけたらしく、嬉しそうに呟いた。


「―――……あった」


カイルはそれを後ろから覗きこむようにして見る。


メナの手元にあったのは褐色味の強い藁半紙わらばんしの束だ。


カイルはそれを見て、父が記録を残すにはこれが便利なんだと嬉しそうに話していたことを思い出した。


メナはそれをパラパラとめくって内容を確認して、他にもないかと周囲を見渡した後、一度頷いた。


「ここで全てを確認するのは難しいでしょうし、一度持ち帰ってゆっくり調べましょう。そうすれば色々と分かるはずです」


カイルは彼女の言葉を聞いて、故の知らない感情が沸き起こるのを感じた。


それは急激に膨れ上がり、行場を失って弾け、言葉となって口をついて出た。


「なんで今調べないの」


予想外だったのだろう、メナは驚いたように目を丸くしてカイルの事を見た。


「確認するには量が多いですし、暗くなる前に戻らなくては危険でしょう?」


なんとなく、少年にはそれが正しいことなのだということは分かっていた。


整備されているとは言え、夜の山道に何が出るかは分かったものじゃない。


分かっていた。


彼女の言う通りにすればきっと、すぐにでも犯人に辿りつく・・・・・・・


それは少年の願いにそうことのはずだった。


しかし、少年にはそれを受け入れること・・・・・・・がどうしても、出来なかった・・・・・・


「―――……そんなことしてる間に、犯人が逃げちゃうかも」


カイルが吐き捨てるように言うと、メナは困ったように微笑んだ。


「確かに、その可能性はありますね……ですが、現状ではあの火事が『放火であった』証拠がありません。犯人がいるとも言えないのですよ」


「うるさい! あれは放火だ、お父さんとお母さんは殺されたんだ。急いで見つけなくちゃいけないんだ。お姫様・・・僕の気持ち・・・・・分かるもんか・・・・・・!」


カイルは、自分でも良くわからない激情に我を忘れ、とにかくめちゃくちゃに叫んで保管庫を飛び出した。


飛び出す寸前に見たメナの困惑する顔は、少年の目に強く焼き付いた。


がむしゃらに山道を駆け下りる最中、少しずつ頭が冷えてきた少年は足を緩め、自分が言ってはいけないことを言ってしまった事を自覚して深い後悔にさいなまれた。


(―――……なんで)


考えれば考えるほど後悔の念が増してきて、それにつれて、もうメナが自分の事を助けてくれることはないだろうという思いも強まった。


そして、それが尚更悲しみを増加させた。


悲しみは彼の心の器を溢れさせて、自然と涙となって彼の双眸からこぼれ落ちる。


ぐしょぐしょに顔を濡らした彼の嗚咽おえつは、暮れゆく山道の中に延々と響き渡った。

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