第38話 木陰から見る雨

焼失したカイル少年の家査を調べ終えたメナとカイルは、頭の真上に浮かぶ日差しを避けるように日陰を歩きつつ、村長の家に戻った。


少年は家に戻るとすぐに井戸に駆け寄り、水をすくって浴びるように飲むと、おけをメナに差し出す。


メナはそれを受け取ったは言いものもどうするべきかと逡巡するが、桶を傾けて水で手をすすぎ、それからそこに少し水をすくって口に含んだ。


井戸水はこの炎天下でも冷たかった。


「それでは、わたしは村長さんと話をしますが、カイルくんはどうしますか?」


メナが少年に問うと、少年は仏頂面ぶっちょうづらで何かを考えていたが、もう一度井戸水をすくってそれを顔に浴びかけると、メナに言った。


「僕は少し、外で待つ。話し終わったら、教えて」


メナは少年の村人に対する不信感の大きさに少し懸念を覚えるが、当面はどうすることも出来ないと思い、そのまま頷いた。


「―――……それじゃあ、行ってきますね」


メナは、少年の視線が背中に当たるのを感じつつも扉を押し開けて家に入る。


その無骨な木製の扉には未だ慣れない。


外の目を刺すような明るさに比べると屋内は薄暗く、居間は涼しげだった。


そして、メナの視界が薄暗い室内に慣れたころ、ビレト村長の小気味よい笑い声が聞こえた。


彼は誰かと話をしているようだ。


(来客、でしょうか)


少し待ってみて、それでも時間がかかるようであれば少年に伝えねばならない。


メナが考えていると、その只中に居間の奥の扉が開き、小太りの男が笑いながら出てきた。


歳は村長よりは若く、髪も嫌に油っぽくのっぺりとしていて、整えられた髭は髪と同様に黒々と生い茂っている。


「―――……おや、これは失礼」


メナが咄嗟に道を避けて会釈すると、男もそれに気づいて会釈を返した。


「おぉ、戻ってたか」


「はい。……えっと、お邪魔でしたか」


次いで出てきたビレトに、メナは訊ねた。


「いえいえ。もう私は戻る所ですから、お気になさらずに」


代わりに小太りの男がそう答え、ビレトも頷く。


男がメナを横目でチラリと見た。


「―――……娘さんですかな?」


「えっと……」


メナはそれに対してなんと答えるべきか咄嗟に思い浮かばず言葉に詰まる。


「いや、姪っ子なんですがね。理由あって預かってるんですよ」


ビレトが答えると男は「なるほど」と頷いた。


納得したのか、彼はそれ以降、メナに触れることはなかった。


そしてそれから、ビレトと男が二言三言交わし、男は戸口に立った。


「それでは、今後とも宜しくお願いしますね」


男は、最期に振り返って村長に頭を下げる。


「ええ、はい、こちらこそ」


そう言って、村長も男に頭を下げた。


メナはそれを遠巻きに見ていたが、男が頭を上げる間際、その目線が自分に向いているような気がして、何となく腕をかきあわせる。


村長が頭を上げたときには目線は逸らされ、男はそのまま振り返って出ていった。


男が出ていったのを確認した村長は、戸を閉めてから「ふぅ」と息をついてメナを振り返った。


「済まんね、姪ということにしちまってよ」


「いえ、ありがとうございます。むしろ助かります」


「気にするな、用心はしておくに越したことはねぇだろうし、一応な」


メナがそのまま動かずにいると村長は片眉を上げる。


「それで、何か用があるのか?」


メナはさて、どうやって切り出したものかと今更になって考え、村長の顔を見る。


そこには微笑みはなかったが、拒絶の色もなく、ただ淡々とメナが何を話すのかを待っているようだった。


「カイルくんのご両親が、可燃物質を家の側の納屋から別の場所に移したと聞きました。村長なら知っているとカイルくんは言っているのですが……」


メナは結局、自分の見た幻覚については伏せて、それ以外については話すことにした。


何となく、彼には変な駆け引きを仕掛けるよりその方が良い、と感じられたのだ。


「―――……行って、どうするんだ?」


村長は顎を撫で、居間の椅子に腰をおろした。


記録・・があると思うのです」


メナはその向かいに移動して腰をおろし、村長の目を見据えて言う。


「―――……記録?」


「はい、もし火事が彼の両親による不手際なら、その資材が持ち出された記録が残されているはず。―――……少なくとも一つは『可能性の出目』を潰せます」


メナが答えると、ビレトは苦笑する。


「盲点だった、よく気づいたもんだ。確かにアイツらは、そういうものも残しているかも知れないな……」


「何か問題が?」


ビレトの言葉に濁りを感じたメナは、その原因を探るために彼の顔色を伺った。


彼はどことなく悩んでいるようだ。


「いや、問題というほどのことではない。むしろ、かも知れん」


「―――……逆、と言うと?」


「司祭が居ないから調査が出来ないと話したろう?」


ビレトの言葉と、先ほど出ていった男とが繋がり合わさり、メナは思わず口を挟む。


「彼がその『司祭』なのですか?」


「―――……ご明察だ」


メナはそれで彼の言葉の意味を理解した。


確かに「問題」ではない。


しかし、それはつまり―――……


「わたしが調査を続ける・・・・・・意味がなくなった・・・・・・・・、という事ですね」


メナが淡白に確認をとると、ビレトは少し申し訳なさそうにそれを肯定する。


「少なくとも事件の調査では、な」


メナは不思議とその時、調査の必要がなくなったという事実に、安心よりも寂しさを感じた。


しかしその正体を自覚する間もなく、従者たちの最期が頭を過ぎりそれを押し殺す。


そして言い訳をするように、自分はカイルを助けるために犯人探しをしているのだと自分に言い聞かせた。


すると同時に、メナの脳裏にあの少年が急に現れた司祭に調査を任せることに納得するかという疑問が沸き起こった。


少なくともメナには、彼がそれで納得するとは思えなかった。


「―――……カイルにはどう説明すれば?」


「それなんだよなぁ―――……正直、カイルの件に関しては変わらず姫様にしか頼めねぇ」


ビレトもそれを懸念していたらしく、大きく息を吐いて両手で顔を覆う。


その姿は普段の利発な印象とは異なり、年相応のくたびれた姿のように見えた。


彼の葛藤は少年を源にして、木の根の如く地脈となって拡がっている。


その根の先にはきっとメナの姿もあるのだろう。


そう思うと、何かできることはないのかという気持ちになってくるが、彼の悩みの実像が見えない以上、メナには彼に言葉をかけることはできなかった。


そうして、しばらく黙り込んでいた二人だったが、ふいにビレトが顔を上げ、メナに目を合わせた。


メナが見たその目にはゆらぎがなく、メナが思わず居住まいを正す力強さがあった。


「―――……一つ提案があるんだが」


「何でしょうか?」


ビレトは最期に覚悟を決めるように一拍置いて口を開いた。


「犯人探しを続けてはくれねぇか」


メナは彼の意外な言葉に驚き、目を丸くする。


「もちろん、姫様にとって負担だと言うのなら、無理強いはしねぇ。―――……これは多分だが、カイルも姫様の言葉なら多少は聞いてくれるはずだ」


メナが戸惑うのを置いて、ビレトは畳み掛けるように言葉を紡ぐ。


「だが、もし姫様が続けてくれるのだと言うのなら―――……」


「ちょ、ちょっと待ってください」


勢いに押されていたメナも、ついには慌ててビレトを遮った。


事件の調査をしなくても良くなったと、それを肯定したのは彼だったではないか。


「どういう事です。司祭が戻ってきた以上、わたしが調べる意味なんて……」


メナが訊くと、ビレトはふっと笑う。


「これぁ、勘だ」


「勘?」


「―――……あんたが事態を収拾してくれる」


メナの目には、ビレトが冗談を言っているようには見えなかった。


真っ直ぐにメナの事を見据えている。


しかし同時に、彼の目はメナを見ているようで、メナではない「何か」を見ているように感じられた。


そしてその正体は、彼の次の言葉で分かる。


「姫様、あんたはレァ・・に期待を寄せられた姫君だ。いまこの場に姫様がいるのは、何かの啓示のように思えて仕方がねぇ」


メナは思う。


これはある種の信仰だ。


手の届かぬ権力に対する、あるいは絶対的な自然に、神の如き男に対する信仰だ。


彼は……ビレトは、レァという男を信仰しているのだ。


それはあたかも貴石の教えを信じるように。


「―――……それに姫様、あんたあんた自身がそれ・・を望んでいるんじゃねぇか?」


メナはその言葉に思わずドキリとしてビレトの顔を見返す。


なぜ見透かされたのか、というよりも、自分がそう考えてしまっている事実を突きつけられ、納得してしまったことに驚いた。


「それは……」


メナは応えに窮する。


彼の言葉は狂熱と呼ぶには整っていて、冷静と呼ぶには飛躍している。


しかし、それを突飛な妄想と切り捨てるには、彼の声には芯が通り、妙な説得力があった。


「―――……あの司祭は元の司祭とは別人だ。それ自体は別におかしくはねぇ、いままでだって定期的に交代していたしな。話したところで別段、妙な部分は見当たらねぇ。だが、今回に関しては何か……それが妙に引っかかる・・・・・・・


ビレトはそう言うと立ち上がり、懐をまさぐって何かを取り出すと、メナに手を差し出した。


「杞憂ならそれで構わない。別に姫様が司祭様とは別に調べごとをした所で困ることはあるまいしな。―――……だから姫様、頼むよ・・・、これは俺の依頼だ・・・・・


メナの手に半ば強引に手に握らされたそれは、どこか古びた鉄製の鍵だった。


そしてそれが何の鍵なのか、メナには言われずとも分かった。

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