第37話 閑古鳥の囀り

窓から見える聖堂が、陽の光の下で憎たらしいほどに輝いている。


その聖堂の外壁は照りのある深い青色に塗られており、その青い貴石由来の塗料がふんだんに使われた聖堂は、それだけでどれだけの金が注ぎ込まれているのかと考えさせた。


その煌めきの一筋が右手の窓から尻目に入り込み、ニコイは思わず目を細めた。


しかしそのニコイの仕草を別の意味に捉えたのか、目の前で包帯巻きの中年男が申し訳なさそうに言った。


「―――……あまり多くの事を語れる自信はないのですが」


ニコイはさり気なく椅子を少しずらして座り直し、男に目線を戻す。


「構わない。お前たちを襲った者、その手がかりが少しでも掴めれば、私はいい」


現在ニコイはソチの命令状に従って貴石教会の総本山である大聖堂、その脇にある医務棟に訪れていた。


そこは殊の外人が多いらしく、二人が話している部屋の外から人が話すざわめきが、とめどなく聞こえていた。


貴石教会は王宮に代わって神事を担う役割を持っていたが、同時に医療についても先進的な技術を持った集団だった。


それを可能にするのが潤沢な資金と、それを活かすことができる人材が集まるからだろう。


神に遣えることを選ぶ者の多くは、慈善的な割合が多いとニコイは印象付けていた。


そしてこの眼の前の男。


「―――……かしこまりました。私の話が彼者かのものの特定に繋がり、仲間たちの無念を晴らす手伝いになることを願います。そして願わくは彼者が正しく罰を受け、神からの許しを得られることを」


この男も、例に漏れず慈善的な信念を持った者のようだ。


ニコイはため息をつきそうになるのを堪え、ひとまず確認するべきことを頭の中でまとめ直す。


「―――……ではまず、当時の状況を思い出せるだけ細かく話してくれないか?」


男は少しの間、無事な右手でこめかみの辺りを小突きつつ、考える素振りを見せた。


そして髪のない眉間のシワが一層深くなったのをニコイが確認した時、男は口を開いた。


「―――……あの日は、普段通りに業務を終え、資材の確認を行っていました。あの日の当直は四人でした。先日に色々と資材の搬入が有ったので、人数を多少増やしていたのです。それでも、確認する区画を四つに分業して、普段よりは手早く撤収できるはずでした」


男はそこで嫌なことを思い出したかのように露骨に顔をしかめる。


「あの日は、何故か一部の資材が大量に紛失しているのが確認されたのです。―――……いまにして思えば、襲撃者があらかじめ盗み出していたのでしょう」


その時、話しているうちに考えがまとまってきたのか、男は怪訝な顔で呟いた。


「―――……いや、別なのでしょうか。無事に盗み出しているのなら、わざわざ襲撃・・などという手間のかかることはしない?」


「それとは別に本命があったのか、あるいは盗みと襲撃犯は別か。いずれにせよ、それは現状では分からないだろう。―――……盗まれた後はどうした?」


ニコイは、男が考え込んで話が逸れる気配を感じて即座にそれを引き戻す合いの手をうった。


「―――……失礼、話が逸れました。一部の資材が紛失している事を確認した我々は当然、その原因を探さねばなりませんでした。とは言え我々はたかだか薬剤庫の管理者、調剤人でしかありません。そこで私は『教会査問官』への報告書と応援要請を書く必要があり、一時その場を離れたのです」


「なぜ、お前だけが離れた?」


「これでも私が、あの薬剤庫の管理者としては一番高い権限を持っていましたから、それだけの責任があったのですよ……結果として私だけが生き残ることになるなど考えもしませんでしたが」


「―――……災難だったな。だが、私にとってはお前が生き残ったことは好都合・・・だ」


ニコイが言うと、男は苦笑した。


「随分な言い草ですが……私が生き残ってこうして貴方に話をしているのは『神の思し召し』なのでしょうね」


「悪いな、こちらにはお前を思いやる余裕がない」


「そのようで」


「それで、どのようにしてお前の仲間は死に、お前はその怪我を負った?」


ニコイは淡々と話を促す。


男には確かに同情できたが、仕事に私情を挟むと大抵がろくな結果にならないことをニコイは知っていた。


「―――……私が薬剤庫に戻ったのは別部屋での作業に一段落が着いた頃、薬剤庫の方がやけに騒がしいと感じたからでした」


「そこで仲間の死体を発見した、と」


「はい、薬剤庫の資材は至る所に散乱していて、争いがあったことは確かでした。私は薬剤庫を一巡し、三人が血まみれで倒れているのを見つけました」


「―――……犯人の姿は?」


「見ていません、それも妙なのですよ。薬剤庫が騒がしいと思って私が部屋を出るまでの間に、そこまで間は無かったはず」


「―――……一瞬で殺し尽くして立ち去った、と。手慣れた集団による犯行なのは間違いないな」


「ええ、血の足跡はありましたが、それぞれ一方向にしか残されていませんでした。少なくとも九人以上の犯行であると私は考えています」


男が茫洋ぼうようとした目でうつむき、黙り込んだので、ニコイはその間に考えをまとめるべく腕を組み、指で肘を叩いた。


ソチに命令された教会の薬剤庫を襲った事件。


本来ならば教会が対処するはずのこの事件をニコイが調べることになったのは、この事件に使われたと思われる「火薬アービカ」が問題だった。


この「王族襲撃」と同時期に起きたこの事件には、奇しくも「火薬」が関わっている。


教会もカゥコイ家と同様に「火薬」の関与からイカコにたどり着き、そこに責任の所在を持っていこうとしている。


(―――……いや、偶然ではあるまい)


ソチがこの件をニコイに持ち込んだのは、彼女がこの件と王族襲撃事件との間に繋がりを読み取ったからだ。


つまりソチはこれらの事件の二つが繋がっていると読んだのだ。


ソチの「読み」は確かに凄まじい。


ニコイは彼女の異能を密かに「予言」に例えておそれていた。


しかし同時に、彼女のそれには説得力・・・がない。彼女自身にもその根拠を説明出来ないのだ。


それは山に染み入る雨水のようなものだった。


それらは確かに「ある」のだが、その全容は確認出来ない。


それらが見えるのは、全てが一まとまりになり吹き出す時だ。


ニコイはさながら山を支える岩石のように、雨水を一本にまとめ上げ、本流を作り出す手伝いをしなければならなかった。


「―――……『誰』なんだ?」


見えて来ない敵の姿を想像し、ニコイは顔をしかめる。


彼女の呟きに反応して男が我に返り「申し訳ない」と呟いた。


ニコイは考えを打ち切ってそれを受け入れ、先を促す。


「―――……どこまで話しましたか」


「お前が仲間の死体を見つけたところだ」


「そうでした。―――……ですがもうほとんど話すこともありません。後は急に薬剤庫が崩壊したかと思えば、私は吹き飛ばされて気を失っていたのですから」


男は怪我をした腕を軽くもたげてニコイに見せ、苦笑した。


「―――……目が冷めたのは、焼け落ちる建物の眼の前だった。というわけですよ」


男は幸運にも襲撃時に別部屋に居たことと、爆発時には出口付近にいたことで助かった、ということらしい。


悪運の強い男だとニコイは思った。


「―――……そうか、大方のことは分かった。あとは休むといい」


「お役に立てたのであれば幸いです」


ニコイは一度、席を立とうと腰を浮かせるのだが、一つ確認していないことがあることに気づき、座り直した。


「―――……ところで、襲撃を受けた薬剤庫とはどこのことだ?」


男は一瞬、目を丸くしてニコイを見たが「話していませんでしたか」と、苦笑した。


「教会領東北部のオクホダイ領付近です」


「そうか。協力に感謝する」


ニコイは席を立ち、男に背を向けた。


出口で待っていた部屋の管理官に声をかけ、立ち去ろうとするところに、男が声を上げた。


「―――……少々お待ちを!」


ニコイが目線を向けると、男は眉間をおさえて捻り出すように言葉を紡いだ。


「―――……ヒエラーゾ・・・・・


「―――……何?」


「襲撃がある少し前日に、訪ねてきた者があったのです。その者たちは資材を分けて欲しいと、そう言っていました。商人が交渉に来ることは幾度かあったのですが、その者たちは明らかに商人ではなかった。結局、私たちは断ることになったのですが、そのときにとっさに彼らのうちの一人が口にしていた名前です」


「―――……」


「事件の衝撃で忘れていましたが、あなたの顔を見て、いま思い出しました」


ニコイは呆然として振り返り、男を見返す。


「でしゃばり、でしたでしょうか」


男はニコイの尋常でない様子に気づいたのか、おずおずと言葉を濁す。


ニコイはそこで我に返り、首を振った。


「―――……いや、助かった。また何か訊くかも知れんが、その時は頼むよ」


そうして今度こそ、ニコイは部屋を離れたのだ。

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