第35話 爆ぜる薪

村長の家から出ると、午前中の陽の光は黄色味を帯びていてゆるく明るく、見た目にも温かい。


そこには、窓から見る景色とは違う開放感があった。


背伸びをして外の澄んだ空気を深く吸ったメナは、張り切って小走りに進むカイルを追った。


背後から見た彼の手足は、まだ枯れ木のように細い。


だというのに、彼から感じるのは無邪気な少年の明るさではない。


メナは彼の悲しみに満ちた小さな背中を追いながら、幾度目かの自問自答を繰り返す。


―――……わたしに、どこまで出来るのでしょうか。


メナのそんな思いもよそに、少年はずんずんと道を進んでいく。


道中、カイルは村人たちから隠れるように家や木の陰に隠れて移動したが、彼より少しばかり背の高いメナは、時々村人たちと目が合って、その度に軽く会釈えしゃくをした。


彼らがメナの行動をどう思っていたのかは、正確には分からない。


しかし少なくとも、彼らの顔に見えた微笑みは、メナに悪い印象を持っているということではなさそうだった。


「良い村ですね」


何度目かの会釈を終えたメナがカイルに言うと、彼は振り返って眉間にシワを寄せる。


「なんでさ、放火犯がいる村だよ?」


メナは何と返すか決めあぐねて言葉に詰まるが、少年はその時には振り返って行ってしまう。


メナは慌てて彼の後を追うが、その間にも彼女の中にモヤモヤとしたものが残った。


「―――……ここ」


そこに着いた時、少年の声は何かをこらえているかのように、くぐもって小さかった。


結局メナは少年の問に対する答えを出せぬまま、目的地に辿り着いた。


「―――……」


眼の前に広がる灰燼かいじん瓦礫がれきの山に絶句するメナに何を言うでもなく、少年はこなれた様子でその隙間をすり抜けていった。


メナは黒くすすけた柱のそばに立ち、それから周囲を見る。


メナはこの場に、二つの目的があった。


一つは当然、火事の真実を調べること。


それは少年や村長に頼まれて引き受けた、今回の本題と言える。


しかし、もう一つの目的は完全に、メナの個人的な疑問を解消するためのものだった。


―――……やはり、わたしはここを見たこと・・・・がある。


その時の奇妙な感覚は、メナに一時、自分が何をしにきたのかを忘れさせるほどであった。


メナは、予測していたが、しかし納得のいくものではない違和感に額をおさえ、あらためて少年の「絶望の跡地」を見渡した。


「―――……」


「―――……どうしたの?」


焼け跡の手前の方で立ち止まっていたからだろう、カイルがメナの様子を見に戻ってきた。


メナは誤魔化すように微笑んで見せた。


「すみません。あまりに酷い光景で、戸惑っていました」


少なくとも嘘ではないメナの言葉に、カイルは「大人なんだからしっかりしてよ」と、呆れたように言って背中を向けた。


メナは謝罪を口にしながらも、その背中に続いて家だった場所の中心点へと向かった。


崩された家屋の光景を見れば見るほど、メナは火事が酷いものであったことを実感できた。


壁は完全に焼け落ち、炭化した柱の隙間からは外の景色が筒抜けで、おまけに柱の一部は消火の際に砕かれたと見え、原型をとどめていない。


爆発があったことも確かなようで、少し離れた位置にある納屋の焼け跡と思われる場所からは、黒焦げの木片が飛び散り、転がっていた。


―――……村にしてみれば不幸中の幸い、なのでしょうか。


たまたま少年の家が村の外れの位置にあったのか。


あるいは危険物を扱う自覚があったがゆえにそうしたのか。


それともこうなるように意図されていたのか。


さまざまな憶測が脳裏に浮かび、過っていく。


―――……いけない、余計なことまで考えていますね。


余計な先入観が生まれぬうちに何かをしたほうがいいと考えたメナは、取り敢えずその場にしゃがみこんだ。


そして丁度目の前に黒い木片を見つけ、メナは試しにそれを拾い上げる。


しかし、木片は持ち上げた矢先に指の間でボロボロと崩れてしまう。


「―――……」


メナは首を巡らせた。


一面に広がる焦土には、いくつか食器の類が焼け残っているだけで取り立てて目立つようなものは一つもない。


そしてメナが真実の残滓を探す間にも、少年はあれこれとこの場所で見つけたものについて話したが、そのどれもが決定的な情報とはなり得なかった。


―――……ここから何かを掴むのは、難しいでしょうね。


それは、分かってはいたことだった。


火事からはすでに時間が経っているようだし、そうでなくても証拠に繋がるような「何か」がそう簡単に落ちているとは思えなかった。


村がこの場所を変に片付けたりしていないことは運が良いのかも知れないが、言ってみればその程度のものだ。


期待がなかったかと言われれば、なかったとは言い切れない。


しかし、これが現実だった。


メナは自分がここから何かを見出すことはできぬ事を悟り、腰を上げる。



ひとりの女性が部屋に入り、机上に散らかったその惨状さんじょうを目の当たりにして、その横で背中を丸めて作業する男に叫んだ。


―――……あなた、また出しっぱなしで次に移ったでしょ! バカ丁寧に名前書くわりにそういう所はだらしないのよね。帳簿はどうしたの?


叫ばれた男は、驚いたように振り返った。


男は長い髪を背中でまとめ、その上でボサボサな印象を受ける、だらしのない男だった。


―――……ごめんごめん。帳簿は書いてあるよ。後は元に戻すだけさ。


申し訳なさそうに謝罪する男のへなへなな笑顔は情けないものだったが、彼女はそれに返事をする間も惜しいと言わんばかりに、テキパキと小瓶を片付けていく。


男はそれをチラリと横目に見て、それから作業に戻るが、その間際にふっと呟いた。


―――……助かるよ。


―――……ほんっと、駄目なひと!


彼女の言葉は、語気にしてはそれほど怒ってはいないようだった。



「―――……お姫様、大丈夫、ですか?」


少年の怪訝けげんそうな声が聞こえ、メナはハッと我に返った。


「わたしは、いま……?」


「ボーってしてた。大丈夫? もしかしたら『おてんと病』かも、お父さんが言ってた。暑い所でクラクラしたら涼しい場所で水を飲めって……できればお塩も」


メナは、彼の言う「おてんと病」が「日射病」のことだと推察するも、彼女の症状はそういったものとは違っていた。


「大丈夫です、目眩はありませんから」


メナは少年の問いかけるような視線を見上げて微笑み返し、今度こそ立ち上がる。


「―――……納屋からも火が出ていたのでしたよね。それは、あそこで合っていますか?」


メナが柱の隙間から見える別の焼け跡を指し示すと、少年はすぐに頷いた。


メナはそれに頷き返して、一つの予感を胸に、灰を巻き上げながら少年の家の跡から納屋へと向かう。


そしてそこに、キラキラと陽光を照り返して輝く、灰に埋もれて尚も形の残った瓶と粉々に砕け散った瓶のかけらを見つけ、メナは思わず立ちすくんだ。


―――……これは一体……いえ、いまはそれより。


「カイルくん、ご両親は可燃性・・・のものを別の場所に移したのでしたよね?」


「―――……可燃性?」


「『よく燃えるもの』のことですよ」


首を傾げていたカイルであったが、それを聞いて直ぐに頷いた。


「お父さんが村長とそんな事を話してた、でも……」


メナは少年が何をためらっているのか、それを何となく察して先手を打つ。


「大丈夫です。村長さんには、わたしが上手く話をつけますから」


「―――……うん」


応える少年の双眸そうぼうはその時、どこか当惑したような色をたたえてメナを見上げていた。

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