第33話 雨は誰がために

ビレトは部屋を出て、思わずため息をついた。


それは先ほどの話の内容というよりも、その前に為された会話に起因するものだ。


―――……姫君は一度、少年の提案を断るでしょう。村長から説得してやってくれませんか?


その言葉がレァの口から出た時、ビレトは一度自分の耳を疑った。


ビレトはカイルがあの火事について調べていることをビレトは知っていた。


自分たちを信頼出来ず、隠れるように家を出入りしていることも、彼が行き詰まっていることも予想できたことだ。


だが、それをレァの口から言及されるとは思ってもいなかったことだし、更にはそれが姫君に関わることなどということは考えようも無かったことだ。


だからこそ、メナの部屋で物音と話し声が聞こえた時、ビレトは驚いたのだ。


―――……あのカイルが心を開いた。


それは明らかに何かの兆しのようであったが、同時にある種の不安をビレトに植え付けた。


―――……レァは何を考えているのか。その思惑に乗っても良いものなのか。


ビレトはレァという存在を知っている・・・・・


同時に、知っている・・・・・からこそ、分からない・・・・・


「―――……なんだかなぁ」


ビレトが、姫君にカイルのことを頼んだのは本心ではあったし、嘘をついたわけでもない。


しかし、そこにレァの意思・・・・・が介在しないと断言することは、彼には出来なかった。


ビレトは階段を降り、そこで待つ真っ黒な男を見つけると、再びため息が込み上げた。


「―――……姫様はカイルの手伝いをすることを決めた・・・よ」


ため息まじりに言うと、レァは知っていたかのように頷いた。


「あの少年のことは望外でしたが、姫君が立ち直る・・・・きっかけ・・・・としては良いものになるでしょうね」


「―――……お前の視点がズレているのは百も承知だが、そういう言い方は気に入らねぇな。人を道具みてぇによ」


ビレトが苦言をていすると、レァは首を傾げて少し考える素振りを見せてから「確かに、気をつけます」と素直な反応を見せた。


それを見ると尚更、ビレトは彼が分からなくなる。


―――……きっと、外れて・・・はいないのだ。


ただ、もともと・・・・人ではない・・・・・存在・・が、必死にその道に合わせて・・・・進んでいるような違和感があるだけだ。


それが彼を示す本質で、だからこそビレトは考えざるを得なかった。


その微妙なズレが、いつか決定的な断裂と化してしまうのではないか。


あるいは、それはビレトが彼のことを過大に見ていることの現れなのかも知れない。


だがこの場には、彼の「正気」と「狂気」を判別し、証明し得るものは何もない・・・・


―――……本当に「神」でも相手している気分だよ、まったく。


ビレトは首を振り、思考を一度断ち切った。


少なくとも今の彼は人間の味方で、ビレトの敵ではない。


そう信じるほか、いまの彼にできることはなかった。


「―――……ところでお前、本当に行くのか?」


思考を切り替える意味でも、ビレトは先程レァに聞いた彼の予定について蒸し返した。


「そうですね。姫君も目を覚まし、ある程度の話もできた。あとは彼女が考える時間が必要です。そこに俺は邪魔・・でしかありません」


「危険がないとも言えねぇだろうに」


「連れて行ったほうが危ないですよ」


「どうかねぇ……」


少なくともビレトは、物理的な障害を解消するという点においては、レァを上回る存在は居ないと考えていた。


―――……状況がどうであれ、こいつ(レァ)が近くにいる限り、姫君は狙われても死ぬことはない。


それは直感というよりも確信だった。


しかしレァ自身はそう思っていないのか何なのか、どうしても彼女を連れて行くつもりはないらしい。


「別にそこまで長い期間は外しませんよ」


「―――……お前はズレてるからな。何年待たせられるか分からん」


冗談とも言い切れないビレトのボヤきに、レァはくつくつと笑う。


何がおかしいのかとビレトはレァを睨むが、レァは涼しい顔で彼を見返した。


「仮にそうなったとしても、村長がいれば安心だ。魔獣狩り・・・・、その人が守り手なのですから」


ビレトはその懐かしい呼称に顔をしかめ、思わず周りを見渡した。


当然、家の中にはビレトとレァしかおらず、ビレトは胸を撫で下ろす気持ちでレァを睨む。


「―――……昔の話・・・だ。歳には勝てんよ」


「そうですか? まあ、いずれにせよ。心配は要らないですよ」


ビレトは基本的にレァの言葉には彼なりの根拠があるのだと考えていたが、それでも今回の件に関しては疑わしい思いで肩をすくめた。


自分の身体のことは自分が一番よく知っている。


しかし、レァはそうは思わないらしい。


「真面目な話です」


そう言って、レァは笑みを引っ込めた。


表情の消えた彼の顔は、文字通り作り物のように整っていて神秘的でさえあった。


ビレトがその無機質な有り様に圧倒される中、レァの唇はしかし有機的な動きで言葉をつむぐ。


「あなたがいれば姫君に危険が及ぶことはない。そもそも、あの姫君は見た目ほどやわじゃない。彼女は必ず、灰に埋もれた貴石・・を見つけてくれます」


ビレトはレァの託宣たくせん師かはたまた詐欺さぎ師のような口ぶりに、呆れるような、あるいは諦めるような気持ちでため息をついた。


この時はまだ、実際にそれを実感することになるとは思いもしなかったのだ。


「相変わらず、訳の分からんことを言うやつだ」


それでもビレトは、自分がレァという存在を疑い切れないバカバカしさに、乾いた苦笑を浮かべるのであった。

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