第32話 日向の境界

少年が出ていき、その勢いに気圧されてしばらく呆然としていたメナであったが、閉められた扉を再び叩く音が聞こえて我に返った。


「―――……どうぞ」


メナはその聞き覚えのある叩き方に応え、立ち上がった。


「さっきの今で済まんね、お前が持っていけ、とさ」


メナが予想した通り、扉を開けて入ってきたのはビレトだった。


その手の盆には、村の主食なのか、焦げ目の入った白い生地と、豆煮込みと思われる汁物が載せられていた。


「いえ、ありがとうございます」


丁度空腹を感じていたメナは、ビレトに礼を言ってそれを受け取った。


王宮で見る普段の食事とは大きく違うことは多少不安ではあったが、文句が言える立場ではない。


「―――……その、済まんね。失礼はなかったか?」


メナが盆を寝台の横の机上に置くのを見ていたビレトが、申し訳なさそうに言った。


メナは一瞬、何についての謝罪なのか、わからなかった。


言葉に詰まったメナの様子を見たビレトは「さっき、カイルが来ていただろう?」と少年の名を付け加える。


「あぁ、そうですね……驚きはしましたが、問題はないですよ。彼は―――……」


「ウチで引き取ったのさ。火事で家は焼け、両親も逝っちまった。カイルは独り子で、もともと訳ありの移民で親族はいねえ……ヤツは今や“一人ぼっち”ってわけさ」


「なるほど、それで―――……」


メナは彼の興奮した様子を思い出し、彼が自分の元に来た理由に少し納得する。


少年は火事により家族の命を奪われ、メナは反逆により大切な従者たちの命を奪われた。ふたりは全てを失った・・・・・・という点で共通していた。


そればかりか、お互いに同じ村長の家に世話になっているのだ。


詳細は知らずとも、その奇妙な符合ふごうはきっと彼にとって、とても大きなものに感じられたのだろう。


「―――……カイルは、姫様に何を?」


ビレトに問われ、メナは答えるべきか悩む。


少年は、村長すらも信頼していない様子だった。これを話すことで、少年に被害が生じるのではないか、そんな可能性が頭をよぎる。


しかし―――……


「―――……両親の命を奪った犯人探しを頼まれたのです。断りましたが」


結局、メナは自分の直感を信じることにした。


先からの態度からして、ビレトは少年が何をしているのか・・・・・・・・を知っているように思えた。


そして実際、ビレトは頭に手をあて「やっぱりかぁ」と顔をしかめ、呟いた。


「―――……まさか姫様のことを嗅ぎつけるとは思わなかったが、同じ屋根の下にいりゃ、そうなるのも時間の問題だったという話かねぇ」


ビレトは、またレァと来たときのように椅子を引っ張ってきて座った。


あるいは村長はこのとき、メナが少年に何か変化を与えることも予感していたのかも知れない。


メナもそれにならい、寝台に横座りする。


乗りかかった船、とまでは言わないまでも、彼の行動はメナの好奇心を刺激した。


道筋は違えども、メナとビレトのふたりはこのとき、この話が長くなる予感を共有していたのだ。


「―――……彼は火事が放火であったと考えているようでしたが、実際のところどうなのです?」


メナが訊ねると、ビレトは困ったように苦笑した。


「わからん。―――……正直、俺たちにゃどうすることもできんのよ」


ビレトはそう言って、今回の件に関して説明を始めた。


火事が起こり、それがどのように消火されたのか。


少年の両親がどうなったのか。


そしてそれが放火であったかどうかの話に差し掛かった時、村長は仕切り直すように座り直した。


「とまあ、火事については色々と話した通りなんだが、それが放火じゃないか、っつう話は当然村の中でも上がった。正直、俺もあの火事についちゃ怪しいと思っている。だが―――……」


ビレトはふうと疲れたように息を吐き、舌を湿らせた。


「―――……今、村には司祭さまが居なさらねぇ。普段は常駐しているんだが、少し前に出ていって以降、ぱったりだ」


「裁く者がいない、と?」


「あぁ。代表を立てて村ん中で調べてみるか、っつー話もあったんだが、俺ぁそれは避けたかった」


「何故です?」


「それは、村の誰かが、誰かを裁く“力”を得るってこった。―――……姫様は、この決して広くもない村の中、即席で作られる曖昧な規律・・・・・の中、住人同士が疑い合って監視し合う―――……その果てに何が待つか、考えたことはあるか?」


メナは直ぐにはその意味が腑に落ちず、あごに手をあてる。


貴石教による裁判制度が広く普及する前、そんな事例についての話が有ったような気がした。


王宮の書斎を思い出し、そこで読んだ本の内容を連想する。


そして、一つの記憶に行き着いた。


「―――……イサキ・チョンイシの『閉塞された村落における裁判制度とその信憑性についての調査報告書』」


メナが独白すると、ビレトは「なんだそりゃ」とでも言いたげに片眉を上げた。


「貴石教の“共通裁判規則”がなかったころの、閉塞した環境での村人同士の処罰的価値観……今で言えば裁判制度ですね。その記録とその調査方法、罰則の妥当性を調べた研究についてまとめられたもの、だった気がします。あまり細かくは読んでいないので詳しくは話せないのですが―――……」


メナは遠い記憶をぼんやりと探りつつ、ひねり出すようにその内容を語る。


「村の中で対する立場による分断が起こり、疑いと監視が渦巻く村の中で、不確実な事象を根拠にした明瞭な対立と差別が見られるようになって……最終的には流血沙汰りゅうけつさたの事件に発展した……確かそんな内容だった気が……」


内容は定かではないが、メナはそれを読んだときに、ここまで人はみにくくなれるものかと驚愕きょうがくしたことは覚えている。


この報告書やそれに類するものがいくつか出されて以降、教会による外部の裁判制度が取り入れられるようになり、村には司祭が派遣される事になったのだ。


この村にいるはずの司祭・・・・・・・は、その一人だ。


メナが言うと、ビレトは「まぁ、その“報告書”は知らんが」と軽く流す。


「要はそれだ、殺し合い・・・・はしたくないのさ。本来は同じ立場の住人が、曖昧名規則の元に特権を得るものだから、対立が生まれる。そしてお互いにお互いを裁こうとするもんだから、酷ぇことになる―――……目も向けられない・・・・・・・・くらいに、な。あんなもんは二度とゴメンだ」


ビレトの過去に何があったのか、メナはそれを敢えて訊くことはしなかったが、彼の言葉は実感のこもった、重たいものだった。


ふたりの間に、つかの沈黙が流れる。


それは二人がそれぞれにそれぞれの言葉に思うことがあって考え込んでいた事によるものだった。


そして、お互いが別の事で黙考した末、さきに沈黙を破ったのはビレトだった。


「―――……なぁ、姫様。あんた、カイルに犯人探しを頼まれたんだろ?」


メナは「えぇ、まぁ」と煮えきらない返事をする。


何となく、嫌な予感がした。


「協力してやってはくれねぇか?」


予想していたとはいえ、まさかビレトまでもがそんなことを言い始めるとは思えず、メナは絶句する。


「それは―――……」


メナは抗議をしようと言葉を考え、閉口する。


しかしそこに、ビレトは意外な言葉を付け加えた。


「別に、犯人は見つからなくてもいい」


メナは今まで考えていた断る口実のことを忘れ、ぱっとビレトの事を見た。


「―――……どういう意味です?」


ビレトは少し言いづらそうにヒゲの上からあごを掻き、意を決したように鼻から息を吐いたのを契機けいきに口を開いた。


「―――……おそらくあいつが今、心を開いているのは姫様だけだ」


「……」


それはメナが薄々と感じていたことだった。


子供が、いきなり初対面の自分を頼るなどということは、余程な理由がない限りあり得ないと感じたからだ。


「―――……情けない話だがな、俺たちじゃアイツの心は救ってやれねぇ。アイツのなかじゃ俺たちも容疑者候補・・・・・だからな。その点、今の話を聞いて確信したよ、姫様なら適任だ」


少年は初対面の人間を頼るくらいには追い詰められていて、村長はそれに気づいていながらも何も出来ていない。


だからこそ、メナという存在は少年の心を満たし得る存在として、村長の目には映ったのだ。


―――……わたしは、そんな大層な人間ではない。


メナはやはり断るべきだと考え、口を開こうとするも、唐突に目の前に今朝の夢の情景が浮かび上がった。


その燃え盛る炎のうねる光景は、メナにあの日の罪業と、それに伴う焦燥を蘇らせる。


―――……少しでも誰かの役に立て。


そんな思いが彼女を駆り立てた。


しかしそれでも、未だ彼女の理性は断るべきだと告げている。


―――……自分に、何ができるというのか。


だが、その理性もビレトの次の言葉で押しのけられた。


「―――……このままじゃアイツは壊れちまう気がするんだ。なにせ、そもそも・・・・犯人が居ない・・・・・・可能性だってある。もしそうだとしたら、いや、そうでなくても―――……頼む、側にいてやってくれるだけでいいんだ」


その懇願こんがんを聞いたとき、メナは何かかせのようなものが外れたような、そんな気持ちがした。


そのかせは何を封じていたものなのか、彼女には分からない。


しかしメナはその時、不思議と晴れ晴れとした気持ちでビレトに応えることができた。


「―――……いえ。やるからには、見つけ出します・・・・・・・。物事には何事にも始点はあるものですから」


メナの言葉に、ビレトは嬉しそうだが、どこか申し訳なさそうな複雑な表情を浮かべていた。

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