第30話 閑古鳥の卵

ニコイの元にその報せが届いたのは、彼女がアタナシスの王女を取り逃がした顛末てんまつをソチに報告していたときであった。


円形の白き天幕、それを中心から支える紅く塗られた松の柱。


その間に長老であるソチを据え、彼女を取り囲むように外周を5人の家族長が小ぶりな黒松の椅子に座っている。


その山連会マーウィナーヴィラは長老ソチを中核に、それぞれの山ごとに大家族を率いる「家族長」を集めて進められるもので、氏族全体に関わる問題や計画の立案、実行に際して開かれる。


そして今回はニコイがメナを捕らえるために独断し、その結果三人の損失を生んだことに対する追求が今回の議題となっていた。


「―――……以上がことの顛末てんまつとなります」


報告者たるニコイは一連の流れを語り終え、ソチの前で両膝りょうひざをついて頭を垂れた。


独断で戦士を動かしたばかりか、王女をとり逃したニコイに対し、ソチは厳しい態度を示すかと思われた。


しかしニコイの口から黒き男・・・「テネス・レァ」の名が出た瞬間、その顔色は変わった。


「レァ……テネス・レァと言ったかい、ニコイよ」


震えるような祖母の声を耳に、ニコイは低頭していた頭を微妙に前に上げる。


「―――……はい。やつは確かにそう名乗りました。黒き岩を操る、不気味な……」


「あぁ、皆までは要らぬ、ニコイ。知っているとも。彼奴は化け物、山の怪ケァーフなど比較にならぬほど恐ろしき、な」


ソチは年老いたシワだらけの顔を更に渋面に歪ませて「そうか、あの男が……それは読めなんだな」と、どこか茫洋ぼうようと呟いた。


沈黙の隙間に森の涼風が天幕に吹き込み、頭を下げたままのニコイの前髪をゆらゆらと揺らす。


「―――……らば、アタナシスの王女をのがしたことについては、追求せん」


ニコイが驚いて顔を上げたのと、外周からざわめきが起こったのはほとんど同時のことだった。


「長老! そのレァとやらが何者かは存じませぬが、それはニコイの失態を看過できるほどのことなのですか!」


一際大きな声で意見するその声の主が誰か、ニコイは顔を上げるまでもなくわかった。


(―――……カ・イゾワール)


彼は最近、父の死をきっかけに家族長になったばかりで、他の面々に比べると若く、血気も盛んである。


歳のころもニコイに近く、何かと対抗心を燃やしていることは、ニコイでなくとも感じ取れる。


少なくとも、家族長でもないのにかかわらず戦団を任されているニコイのことを、彼が良く思っていないことは確かだ。


そしてその考え自体は多かれ少なかれ、口にはしないだけで他の家族長の中にもあるだろうとニコイは考えていた。


戦士たちは基本的にそれぞれの家族から徴兵されているからだ。


(―――……だからこそ、こうして責任追求の場を設けられている)


ニコイもそれは重々承知の上で、戦士たちにはかなり気を遣い、誠実に接していた。


その上で、ある種、無茶な作戦もこなしてきたのだ。実働などしたこともない者に、それをとやかく言われる筋合いはないと、ニコイは思う。


ニコイはため息をつくのを堪え、しかし彼の言っていることが的外れとも言えないことはわかっていたので、ソチが何と答えるのか、その返答を待った。


「―――……イゾワールよ。ぬしぁ、確かにあの“黒き男”については知らぬやもな。良い機会じゃ、知っとるモンもいるじゃろうが、皆も聞いとくれ」


そう言ってソチはシワだらけのくちびるを湿らせ、レァという男について話し始めた。



それは正に圧倒的な力を持った存在、天災の具現だった。



「―――……それは、本当なのですか。……単身で戦団を壊滅させるなど」


「不要な嘘など付かぬ」


「しかし、それでは……」


イゾワールは必死に言葉を探して目を泳がせ、ソチはそれを見て続きを受け持った。


「そう、はなから勝ち目などありゃせんのさ」


ニコイは、ソチがいとも容易くそれを認めたことに驚く。


しかし実際にあの男と対面したときのことを思い返してみると、納得せざるを得なかった。


巨大な山嶺を見上げるような、あの途方もないような感覚が、あのときの彼女には確かにあった。


ソチは納得がいかない様子のイゾワールを一瞥いちべつし、そしてニコイを見て「じゃが、やつにも弱点はある」と言葉をつむいだ。


「何故かは知らぬが、アヤツは殺し・・をしない。―――……少なくとも道筋としてそれを選ばん。ニコイ、お前さんが生きているのがその証左さね」


ニコイはそれを聞き、レァが「殺しは良くない」と語っていたことを思い出した。


あのときは何を馬鹿げたことをと感じたが、ソチが言うのならば、あれは彼の出任せの言葉ではないのかもしれない。


「それに、進んで物事に介入する男でもない。あの男が動いたということは、確実に何者かの影があろう。アタナシスの姫君に、何用があるのやら……」


ソチが考えこんだのを見て、イゾワールはソチに食い下がった。


周りの家族長からはいい加減にしろ、という白い目線が向けられていたが、彼はそれに気づかないようだ。


「―――……それでも、おとがめなしでは死んでいった者たちが浮かばれませぬ!」


はやるな。あたしは“王女を捕り逃したこと”についての追求はしないと言った。それぁ“独断”と“戦士たちの損失”の二つの問題とは無関係・・・さね」


イゾワールはそれを聞き、満足とはいかないまでも納得はできたのか、頭を下げて引き下がる。


しかしニコイが横目で見た、彼の山犬のような小さな双眸そうぼうには、いまだギラギラとした光がたたえられていた。


(―――……気に入らん男だ)


ニコイは自分がねたまれる立ち位置にいることは自覚していた。彼はおそらく、ニコイをなんとしてでも追い落とすつもりでいるのだ。


しかし、それをこうまで表に出されると、文句の一つでもぼやきたくなる。


ニコイは実際に、言い返してやろうかと口を開きかけたが、ソチや他の家族長の前であることを理由に思いとどまった。


「―――……では、どうなさるおつもりで?」


イゾワールが引き下がったのを確認した最年長の家族長、セブナーがソチに訊ねた。


彼の毛むくじゃらな顔は、大きな図体も相まって熊のようにも見える。


「そうさね……」



「お話し中失礼します!」



ソチの言葉をさえぎるように、バサリと天幕を開けて一人の若い女が飛び込んできた。


急いできたのだろう、彼女の息は上がっている。


「何用だ」


セブナーが低く唸るように言い、伝令の女は口早に「カゥコイの使者の到来」を伝えた。


「―――……通しなさい」


ソチが穏やかに告げると、彼女は丁寧に頭を下げ、そそくさと天幕を飛び出した。


「カゥコイが何用ですか。まさか我々の動きが……」


家族長の一人がつぶやくが、ソチはゆるく首を振った。


「別件じゃろうな、さりとて楽観できるものではないが……ニコイ」


ソチに手招かれ、ニコイは彼女の横に立つ。


イゾワールの眉がピクリと跳ねた様子が視界の隅に見えたが、努めて見えない振りに努める。


そしてニコイがソチの隣に移動してから間髪を入れず、先の女がカゥコイの使者と思しき男を連れて入ってきた。


その目立たぬ朽葉くちば色の外套をまとった影のような中年の男は、老練された優雅な一礼を見せる。


「―――……これは、お話の途中でしたかな。失礼いたします、わたくしはスメノオ。カゥコイ家当主、シオ様より書状を預かっております」


ニコイは差し出されたそれを警戒しながら受け取り、危険がないことを確認してからソチに手渡した。


ソチはそれを受け、巻き取られた羊皮紙をハラリと拡げ、その内容を一瞥いちべつする。


「―――……スメノオと言ったか、お前さんはこの内容を知っているのかい?」


「えぇ。仰せつかっております」


「ふむ?」


ソチはもう一度羊皮紙に目を通し、それから顔を上げ、カゥコイの使者に問いかける。


「―――……王族が殺された・・・・・・・、というのはいつのことか分かるかい?」


それを皮切りに天幕内にどよめきが起こる。


スメノオが話し始めたことによってすぐにそれは収まるが、少なくともその場に行場のない興奮が滞留たいりゅうしていた。


「四日前のことでございます」


「ニコイが戻った日だね。となると、気になるのはやはり……火薬アービカ


「えぇ、ゆえにシオ様はイカコが関係している可能性を憂慮なされております。つきましては、無関係である・・・・・・証拠・・の提示、あるいは責任の所在・・・・・の確認をしていただきたい、と」


ソチはカゥコイの使者に頷いて見せてから「一応確認しておくがね」と家族長たちを見渡した。


「心当たりがあるモンはおるかい?」


当然、家族長たちは首を横に振り、最後にニコイにも視線は向けられたものの、彼女もそれを否定する。


少なくとも余計なことをする時間は自分たちにはなかった。


「―――……調べる必要があるねぇ。カゥコイの、少し待っとくれ、返事を書こう」


「助かります」


「茶でも出してやりなさい」


ソチは伝令役の女にそう告げ、彼女はそれを受けてスメノオを天幕の外に連れ出した。


しかし去り際、スメノオは思い出したかのように振り返り、山連会の面々に意味深な事を告げた。


「あぁ、伝え忘れておりましたが、当然こちらの方でも調査は進めております故、ご承知願えますかな」


それにソチは「当然さね」と応え、スメノオはそれに満足気に頷いて今度こそ天幕を出ていった。


「―――……さて、予想外のことが起きておるが、ある意味丁度良いと言える」


スメノオが出ていってニコイが元の位置に戻ると、ソチは話の続きとでも言わんばかりにそう言った。


ニコイや家族長たちは彼女の言葉の真意を図り兼ねて首を傾げ、その代表としてセブナーが彼女にその真意を問うた。


「―――……どういうことでしょうか?」


「ニコイよ、今回の件、お主に調査を任せようと思う。見事に解決できたのであれば、お主の実力は疑いようもなかろ?」


「―――……っ、ソチ様!」


イゾワールは抗議の声を上げるが、ソチはそれを手で制する。


「ただし、期限内にじゃ。カゥコイよりも早く状況を掴み、事態を収拾させる何かを掴む。それが条件さね」


ニコイは思わず顔を上げ、ソチの顔を見つめる。


「お主の“独断”が正しかったのであれば、“生じた犠牲”もやむを得ないものと言えようさ。お主はそれを証明して見せよ。さもなくば、今の立場はお主にゃ過ぎたものと分かる、それだけの話さね」


ソチはいかにも簡単なことのように言うが、相手はあの「王朝の影」とまで言われた「カゥコイ」だ、いくら戦団を率いているとはいえ、それはかなりの無茶振りだった。


ニコイはあくまでソチ直属の「戦団」を率いる「戦士」の一人に過ぎないのだ。


「―――……ソチ様」


「―――……ニコイ、最後の機会・・・・・さね。少なくとも、お主の父は・・・・・これをのむだろうさ」


言われ、ニコイは黙り込む。


父は彼女と同様にソチに仕え、そして死んだ・・・。彼の勇姿に憧れ、彼女もこうしてソチに仕えている。


その父を引き合いに出された以上、ニコイに退くことはもはやできなかった。


「承知いたしました」


葛藤の末、ニコイは返事を絞りだし、ソチはそれに満足気に頷いた。


「主の働きがカゥコイとの関係を左右すると言っても過言じゃない。期待・・してるよ・・・・


その時ニコイは、ソチのシワだらけの顔に何かを企む黒い片鱗へんりんを見出し、しかしそれに何をすることも出来ず、ただ顔を背けるように頭を下げたのであった。

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