第29話 季節外れの閑古鳥

夜更けの執務室に、男のため息が響いた。


机上に置かれたカンテラの灯りが疲れ切った男の横顔を黄色く照らしだす。

カゥコイ・シオは、真っ直ぐに伸びた黒い長髪を背中でまとめ、鋭い目つきをした若い男だった。


目元の消えないクマは苦労の証か。


それをぶら下げた瞳は今、手元の薄灰色の羊皮紙に波打つようにしたためられた文字列に向けられている。


彼はもう一度ため息をつき、目頭を抑えてから書面を手に取り直し、しばらく眺めた。


そして眉間にシワを寄せながら、何度か額をさすった後、投げ出すようにそれを机上に放り投げた。


パサリと音を立てて、羊皮紙は他の書類の上に重なる。


厄介なことになった。


シオは渋面のまま席を立つと、カンテラを持って部屋を出た。


ただでさえ忙殺されそうな状況で、次から次へとやることが立て込んでいる。


そこにもう一つ憂慮すべきことができただけでも面倒この上ないのだが、その面倒事が完全に予想外の出来事とあっては、彼としてはため息の一つも漏れよう。


考えてもらちが明かない。


彼は部屋を出て王宮の長い廊下を渡る。


カンテラを片手にフラフラとさまよい歩く様は、さながら亡霊のようだ。


そして彼は露台に辿り着くと、柵に寄り掛かるようにして肘をつき、ホッと息を吐いた。


先までのそれとは違う、力の抜けた緩いため息だ。


見上げた空に星はなく暗いが、その白く縁取られた薄ら雲の裏には星々の気配が感じられた。


それは彼に、彼自身が置かれている状況を思い起こさせた。


「さて、どうしたものか……」


「―――……あら、お困り。忙しいのかしら?」


誰ともなく漏らした呟きを拾われ、シオは思わず苦笑して振り返る。


そして想像通り、そこに立つ見知った女を見つけて小言をぶつける。


「貴様が思い通りになればもう少しマシにはなろうよ」


「いやよ。つまらなそうだし」


彼女はそう言ってシオの横にふわりと移動する。


彼女の放つ独特の甘い香りは、わかってはいても気をくもので、シオは隣に彼女がいることを否応なく意識させられた。


「―――……いままで何をしていた?」


「姫様の手助けよ」


彼女の答えを聞き、シオは「やはりか」と眉根に親指を充てる。


「道理で見つからない訳だ」


シオは王宮を襲った際、メナ以外の王族をすべて拘束していた。


しかしその中に彼女の身柄だけがなく、あの包囲された状況からどうやって逃げ切れたのかと考えていたが、彼女たちの手助けが有ったのであれば多少は説明がつく。


「―――……とはいえ、今回に限って言えば僥倖ぎょうこうだな」


「どういう意味?」


予想と違う、とでも言いたげな彼女の声音を聞き、シオはこの話は彼女の興味を惹くことを確信する。

彼は先程届いた書簡の内容を思い返し、要点だけを抽出した。


「―――……北の牢獄クギュデン・ウィ・カロゾンに搬送中だった王らが殺された。犯人の正体は不明。組織的な襲撃の線が濃厚だ」


「―――……へぇ」


彼女の金色の瞳が興味深げに細められたのを見て、シオはそれが彼女にとっても初耳であることを知る。


「反応を見るに貴様の仕業ではないようだ」


「当然よ。私たちに大勢を動かせるカリスマはないわ」


知っているでしょ、とでも言いたげな視線を受け、シオは苦笑する。


確かに、何事においても「おもしろそう」を優先する彼女たちには、大勢を支配して操るだけの動機も、資質もないように思える。


というよりも、そんな必要がない・・・・・


「―――……まあ、そもそも報告では火薬・・が使われていたとされている。貴様ら・・・はそんな回りくどいことはしないだろうな」


シオが言うと、彼女は「ははん」と唸る。


山の民イカコが怪しい訳ね。それがあなたの悩みの種かしら」


シオはそれを暗に認め、彼女から視線を逸らしてため息をつく。


「―――……でも、どうかしらね。私の勘では、イカコが直接絡んでいるとは思えないけど」


彼女が疑義を口にし、シオは横目で話を促した。


「戦線布告するつもりでもなければ、わざわざ怪しまれるような道具、使わないでしょ」


シオは「あぁ」と空を仰ぐ。


自分が疲れていることを自覚したのと、結局どうあっても犯人を探すために人員をく必要があることに気づいたからだ。


「―――……頭が痛い」


「あら、お大事に」


心底どうでも良さそうな空返事を聞き、それでも微かな希望を込めてシオは彼女のことを見る。


「―――……まだつまらない話・・・・・・か?」


いいえ・・・思ったよりは・・・・・・


「では?」


「残念ね、先約・・があるのよ」


先約・・、ね」


なんとなく断られる気はしていたシオは、人員をどこからか捻出ねんしゅつするかを考えつつ、片隅でその先約・・とやらが、彼女が今夜ここに現れた理由だと直感する。


そしてしばらくは、彼女がシオの前に現れることはないだろう、ということも何となく感じ取った。


これは彼女なりの、別れの挨拶なのだ。


だからこそ、最後に訊ねておきたかった。将来、自らの敵となるかも知れない稀代けだいの「幻覚使い」に、その仲間たちに、その目指す先を―――……。


「―――……貴様ら・・・は一体、何を望んでいる?」


彼女は、ニコリと笑う。人好きのするような優しい笑み。


しかしその奥に、近寄り難いほどに隔絶した「何か」を感じた。


不意に顔をもたげたその「何か」は、実に楽しげな音韻おんいんとして形を成し、シオに届けられた。


「光のみなもと、その裏にあるもの・・・・・・、かしらね。やり方・・・も、動機・・も違うでしょうけど、目的・・だけは・・・きっと、貴方と同じ・・・・・よ?」


ある種の予言や謎掛けめいた言葉を口にした彼女の姿は、背後に覗く薄ら輝く夜空も相まって、近寄り難く、神秘的な異質な存在としてシオの目に映った。


願わくは、彼女たちが自分たちに牙を向くことがないよう、彼はひっそりと「神」に祈ったのだった。

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