第28話 林冠の日陰

メナは全力疾走した後のように息を切らせ、汗だくになりながら飛び起きた。


あの目をく赤い光は開けた目の先にはなく、代わりに黒味の強い板張りの天井と、それを支える軟木の柱、その中央についた黒い木目が彼女を覗き込むようにあるのが目に入った。


燃えるような焦燥感の残滓ざんしが、胸中でくすぶっていることを感じつつも、メナは身体を起こし、自分の足元を見下ろした。


大きく息を吐いたのと同時にハラリと銀髪が肩口から垂れ、その先に汗で身体に張り付いた無地の服が見える。


その服に見覚えはなく、彼女はそれをなんとなく手でさすった。


その質は普段着ていたそれとは比べるべくもないが、別段気になるほどでもない。


「―――……ここは?」


鼓動が落ち着いたころ、メナはこれが夢ではないことを確かめるように独白し、辺りを見渡した。


無骨な木材の家具が置かれた、おそらくは一般的な何の変哲もない質素な部屋。


少なくともここが死後の世界ではないことを確認したメナは、自分がどうしてここにいるのかを思い出そうと、無意識に自分の手の平を見つめた。


―――……わたしは。


その時、メナは部屋の外に話し声を聞きとって反射的に息を潜めた。


声は部屋の前で止まり、軽快に戸を叩く音が室内に響く。


「……」


返事するかを悩む間もなく扉が開き、メナと胡麻ごまヒゲの侵入者の視線がバッチリと噛み合った。


「―――……おっと、起きているとは。済まんな、驚かせちまって」


初老に見えるその男は、部屋にスイと入るとメナのわきに立った。


「あの……」


色々と聞きたいことがあったメナは口を開きかけたが、次いで部屋に入ってきた男を見て驚き、口を閉ざした。


「目覚めたか」


黒い髪に浅黒い肌、全体的に黒いという印象を受けるこのレァという男は、しかし目だけは星空を思わせるような群青色で、ほのかに輝いているように見えた。


そしてその光がメナを貫いたとき、彼女にこれまでの記憶が一気によみがえった。


襲われた城、犠牲になった従者、彼らの死。

―――……そして、すべてを失った無力な自分。


湧き出す不安に吐き気をもよおし、メナはしばらく言葉に詰まる。


その間に胡麻ヒゲの男が椅子をふたつ引いてきて、レァに片方を投げ渡すようにすべらせ、レァはそれを受け取ってメナの脇に腰をおろした。


「―――……助けていただいた礼をしなければなりませんね」


なんとかこらえて絞り出すように言うと、レァはクツクツと笑った。


「今のお前に何ができる。変に気負うな、俺は面白そう・・・・だからお前を助けた」


あけすけな彼の言葉にひるみつつも、メナはどこか安心していた。

今の彼女にできることなどほとんどありはしない。


「―――……それでは?」


「様子を見に来ただけだ、せっかく助けたのに死なれても困る」


メナは釈然としないながらも、改めてレァに礼を言うが、彼は「いい」とそれをける。


「―――……ただ、村長には挨拶をしておけ」


レァに示唆され、メナは慌てて胡麻ヒゲの男に目線を向けた。

彼は気にするな、とでも言うように顔の横で手を振った後、思い出したように名乗った。


「ビレトだ。村長を押し付けられた哀れなジジイで、こいつからお前さんの世話を押し付けられた身でもある……姫様・・が望むような扱いはできねぇが、まあ、悪いようにしねぇさ」


「感謝を……言葉でしか示せぬことをお許しください」


メナは寝台に腰掛けるように座り直し、彼に向けて深く頭を下げた。


ビレトはそれを受けて顎をさすると「硬ぇなあ」と呟いた。


「レァお前、姫様をどうするつもりなんだ?」


「―――……それは彼女次第しだいですよ」


そう言ってレァはニヤリと笑う。


「すべてを失い、孤立無援こりつむえん灰まみれ・・・・の姫君。はたから見ればまさに絶望的な状況だ」


メナは、彼の心底その状況を楽しんでいるようなその笑みを、不思議と不快とは感じなかった。


ただ、その時メナは、彼から何か無茶なことを言われるような予感がして、思わず身を固くする。


「―――……さて、カレン・メナ。これからお前は、どうしたい・・・・・?」


脈絡みゃくらくのないその問いを前にして、メナは答えにきゅうした。


説明を求める目線を向けるも、彼の目はいっさいの揺らぎなくメナを見つめ返すのみで、メナはそれに耐えきれずにうつむいてしまう。


そのときは何故か、自分が悪いような気分になった。


「おいおいおい、ちょっと待て、レァ。何つぅか、起き抜けにそりゃ……こくだろうが、早急すぎる。説明も足りねぇ」


ビレトの助け舟が入り、メナはちらりと顔を上げる。


「姫様はまだ、状況を掴めてねぇ。―――……色々と整理する時間は必要だろうがよ」


「―――……まあ確かに、灰の山・・・を掘りかえすのにも時間は必要か」

「何、だ? また訳のわからんことを……」


レァはビレトの小言を振り払うように立ち上がった。


「今のお前に、俺は邪魔だろうな」


レァは、メナを一瞥いちべつしてそう言い残し、するりと部屋を出ていった。


「あ、おい!」


ビレトは腰を浮かせてその背中に声を浴びせるが、彼が戻らないと悟ってため息をついて座り直した。


ビレトは「悪いな、昔からああいうやつなんだ」と苦笑する。


メナもはにかむように笑い、ビレトに訊ねた。


「―――……彼は……テネス・レァとは、何者なのですか?」


メナにとって彼は、突然現れて脈絡もなく自分を助けた謎の存在でしかない。


短いやりとりの中でわかったことは「会話はできるが、独特な理論で物事を判断しているような雰囲気があり、どうにも掴みどころがない」ということだ。


その点、ビレトは彼について、少なくともメナよりは知っていそうだった。


「あいつか? そうだな……」


ビレトは胡麻ごままだらのあごひげをぜ、遠くを見るように目を明後日の方向に向けた。


「―――……最も近い男・・・・・、じゃないか?」


「―――……?」


メナは彼の意味深な言葉の真意を探るために問い返す。


ビレトは頭を掻きつつ「上手く説明はできねぇが……」と前置きをして話し始めた。


「あいつに頼めば大概たいがいのことは解消できる。……勿論もちろんできねぇことはあるだろうが、それ以上にできることの規模・・がでけぇ。それこそ、日照りがひでぇ時期に雨を降らせるみてぇなことをしやがる。実際にやつに雨乞あまごいができるのかは知らねぇが、できても不思議じゃねぇ、そういう男だよ」


メナはそれを聞いて絶句する。


一個人が天気を操る、あるいはそれに準ずることをするなど、有り得て良い話ではない。

それは道徳としての話ではなく、摂理せつりとしての問題だ。


「まあ、そんなに心配するな。俺もあいつのことはそこまで詳しくはねぇが、少なくとも人から外れて・・・・・・いねぇ・・・よ。滅多めったなことがなけりゃ、力は使わねぇからな」


メナの狼狽ろうばいを見てとったか、ビレトは苦笑まじりに付け加えた。


それだけでは到底納得できるものでもなかったが、少なくとも今こうして彼女がここにいられるのはレァのおかげであることを思い出し、ビレトの言葉は意外に真実に近いのかも知れないと思い直す。


「教えてくださり、ありがとうございます」


全てに納得したわけではなくとも、メナはビレトに頭を下げる。


「ん、あぁ、礼を言われるほどのことじゃねぇな。―――……何と言うか」


ビレトが呟き、メナは何事かと顔を上げる。


「姫様。あんたは俺達の想像する王族とはずいぶんと違って見えるが、それにしたってちょっとばかし堅すぎる。今後どういった道を選ぶのかはともかく、しばらくこの村に滞在するのは確かだろうから言っておくが……姫君という立場を隠したいなら、あんまり丁寧すぎると悪目立ちだ、気を付けておくこったな」


それは暗に、メナの危機管理がつたないことに対する警告だったのだろう。

メナはそれを素直に受け止めた。


「―――……さて、少しは一人で考えたいだろう。ジジイも出ていくことにするよ。喉が渇けば水差しはあるし、腹も減っているだろう、あとで食べ物も持ってこさせる」


そう言ってビレトは立ち上がった。


「何から何まで……」


「ただの人助けだ、今は気にするな。あんまり長いことここにいるなら働いてもらうことにはなるだろうが……まあ、そうはならねぇだろうな。なにせ姫様はあいつ・・・期待・・を受けているんだからよ」


**


メナはビレトが部屋を出ていくのを見送り、ため息をついた。


人と話すことが随分と久しぶりのことのように感じた。


「―――……実際、久しぶりなのかも知れませんね」


独白してから立ち上がり、窓辺を覗き込んだ。


昼前の明るい日差しが、穏やかな村落の様子を照らしている。


サラサラと風でなびく道端の雑草は青く力強い。

何の変哲もない、未だ力強い緑芽吹く晩夏の景色。


どれだけ自分が眠っていたのか、メナにはそこからそれを読み取ることはできなかった。


しばらく眺めていたメナであったが、そんなものは些末さまつなことだと不意に我に返り、寝台に横座りした。


だが座ったとて何をするでもなく、何もない虚空を見つめていたのだが、ぼうとしているとすぐに、一つの言葉が湧き上がり頭を占めた。


―――……わたしは、すべてを失った・・・・・・・


それが呼び水となって、メナは従者たちの最期を思い返した。

血みどろの最期。他者の悪意によって彼らの命は奪われた。


―――……わたしが無力であったが故に。


そして、いつも共にいた彼らの中で、自分だけが生き残った。

王女という立場が、彼女を生き残らせた。立場が彼らに彼女を守らせた。


―――……彼らにも明日はあったはずなのに。


その罪悪の種は弾けるように飛び散り、彼女に行場のない焦燥を植え付ける。


何かをしなければならない。

彼らが自分を生かしてくれた分、誰かの役に立つ必要がある。


わかっていた。


仮にその焦燥に水を満たしたとしても、自分の罪業が消える訳ではない。


それでも、メナはそれにすがるほかなかった。


少なくともその瞬間だけは、それらは焦燥の緑陰りょくいんに隠れ、哀しき現実から目を背ける事ができたからだ。


―――……さて、カレン・メナ。これからお前は、どうしたい?


ふいによぎった彼の言葉は、彼女にとっての雨だった。


熱を冷まし、陽光を遮る林冠を育む、恵みの雨だ。

メナは考える。


―――……見つけなければならない。


あの神の如き男は、わたしに何を期待しているのだろうか。

わたしに何ができるというのだ。


王女という立場すら失った自分に―――……

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