闇を追う

第27話 彼の火に目眩る

その日は珍しくだるように暑い、寝苦しい晩夏の夜だった。


ズンと腹に響くような衝撃と、ツンと鼻をつくような臭いでむせ返りながらカイルは目を覚ました。


嗅ぎ慣れたようで嗅ぎなれない刺激臭に眠りを阻害され、カイルは顔をしかめて唸る。

暑さで眠りにつくまでに時間がかかっただけに、その時の気分は最悪だった。


そして、その正体を寝ぼけた頭で探るよりも早く、隣の寝室から声が響いた。


「カイル、起きているか!」


ただ事ではない声で父が自分を呼んだのを聞いて、カイルの意識はパッと覚醒し、同時にこの臭いが家が燃える臭いなのだと思い至った。


「―――……起きてる!」


カイルは寝台から飛び起きて叫び返し、返事を待つあいだに窓の外が黄色く照らされている様子を見た。


「火事だ、早く外へ逃げろ。父さんたちもすぐに行く……いいか、絶対に戻ろうとはするな!」


「わかった!」


カイルは二つ返事でそれを受け入れ、部屋を飛び出した。


母が病で満足に動けないことは気がかりであったが、父が母をいつも介助している様子を見ていたので、下手に手を貸すと邪魔になることを知っていた。


小事ならともかく、少年にはまだ力仕事ができるだけの力はない。


しかし代わりにカイルは素早く、気が回る少年だった。

幸い、火の手は寝室がある場所とは真逆の位置から発生していた。

身体に火の熱をわずかに感じつつも、後に続く両親の道を塞ぐものがないことを確認し、その手を煩わせることがないように扉も開け放つ。


その時点ではまだ火は回りきっていなかった。


カイルは出口からざっと家を見回して、飛び出した。

離れて見ると、火元は倉庫として使っていた納屋のようだとわかった。かなりの勢いで燃えていて、それが家まで燃え移ってしまったようだ。


(―――……なんで、燃えるものは移したって父さん、言っていたのに)


実のところ、納屋が燃えてしまうのは初めてのことではなかった。


カイルの両親はこの村では薬品を取り扱っており、薬師ではないのだがそれに似たことをしている。

だからという訳ではないが一度、彼の父が薬品の取り扱いを誤って納屋を焼いてしまったことがあった。


幸いにもその時は昼真で皆がすぐに集まり、火力もさほど強くはなかったので火はすぐに消し止められ、ボヤ程度で済んだのだが、彼の父は慎重な性格だったので今後は危険物を別の場所に取り移すことにしたと村長に話していたことを覚えている。


それなのにもかかわらず、今回の火元はその納屋だった。


カイルは釈然しゃくぜんとしない気持ちで納屋を見、次いで両親が出てくるはずの家の玄関を見た。火の影にぽっかりと開いた黒い穴だ。


母を担いでいるとはいえ、寝室から玄関までは遠くない。父がすぐにでも玄関に現れないことが不思議でならなかった。


見ているうちに燃え広がった火が、納屋とは反対側の寝室の辺りまで拡がっていくのを見て、カイルはたまれずにソワソワと身体を揺すった。


何かあったのではないか。


カイルの頭にそんな考えが何重にも駆け巡った。

飛び出そうとして、そのたびに黒い穴からひょっこりと父の姿が見えるのを期待して、父の言葉を思い出して自分をいさめる。


(―――……大丈夫。父さんはすぐに行くって言ってた)


カイルは駆け出したくなる自分の気持ちを抑え込むために目を瞑った。


黒い視界に炎のゆらめきが赤くきつく。


その赤は少年の気を火の粉のように散らし、それを火種とした焦燥感しょうそうかん彼方かなたの炎となり、彼の身を焦がした。


感じぬはずの火事の熱を感じた。

そして気づけば、少年は家に向かって駆け出すために足に力を込めた。


「―――カイル!」


背後から羽交い締めにされて、彼は驚き、その腕の中で暴れた。


「―――落ち着け! ビレトだ、村長だ」


カイルは彼の声を聞いてはたと動きを止め、首を巡らせて村長の胡麻ごまヒゲを見つける。

カイルが動きを止めたことに安心したのか、ビレトは彼の拘束をゆるめ、問いかけた。


「何があった、さっきのは何の音だ?」


カイルが黙って首をふると、ビレトは背後を振り返り集まりつつ村人たちに「キリコんとこ行って斧と槌もってこい!」と怒鳴った。


そして再度カイルに向き直る。


「―――お父さんとお母さんはどうした?」


「まだ、来てない」


「―――そうか」


その時、村人が斧と大槌を抱えて駆けつけた。


「―――……ビレトさん!」


ビレトは彼らを一瞥いちべつし「スルケ夫妻が取り残さている」と簡素に告げると、カイルを開放して目線を彼に合わせるように腰を落とし、肩を掴んで自分に向き直らせた。


「お前はここで待て」


うつむいていたカイルはビレトに不満を示すように顔を上げた。


しかしそれを制するように、ビレトは首を振る。


「子供の出る幕じゃない」


ピシャリと言い捨て、ビレトは燃え盛る家を見据えて立ち上がる。


「ビレトさん?」


村人の一人が彼に問いかける。


その時にはビレトはすでに燃え盛る家に向けて歩き出しており、斧と大槌を持った二人はそれに慌てて追従する。


「斧をよこせ、俺が突入する。お前らも外で待て、崩すのはその後だ。―――……もし俺が数刻のうちに戻らなければ他に燃え広がる前に崩せ」


「―――……っ、見殺しにしろと!?」


「 “凍結コングオ”で多少はつだろうが、数刻が限界だ。それに火の毒気もある、どうせ戻れにゃ、そん時は みんな・・・死んでる・・・・。たのんだぞ」


カイルは、ビレトが斧を奪い取るように持ったところを見た。

彼が両親を助けてくれる。そんな淡い期待が少年の頭を過る。


だが、カイルはこころのどこかで理解していた。


「………………」


カイルは、得体の知れない何かに吸い込まれるように、ビレトから視線を外して、その奥の赤い光を見た。

そしてその瞬間に、家が一層赤く燃え上がったのを目撃する。


彼の視界が一瞬、白く染まる。


一拍遅れて熱風が吹き、彼の顔に打ち付けられた。少年は尻もちをつき、周囲の大人は怒声とともに地面に伏せた。


カイルはその声を他人事のように聞いていた。


その時の彼にとってそれらの声は、遠くの山で響く遠雷のように、くぐもった雑音でしかなかった。


少年は目を閉じることすら忘れ、地面にへたり込んだまま、その火炎を見ていた。


―――それは、あまりに絶望的な、目のくらかがやきだった。

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