第25話 銀灰姫_2

テネス・レァ。


その名は聞き覚えのないものであった。


「散々待たせた挙句、出たものがそれか?」


メナと同様、ニコイも首を傾げて眉をひそめる。いまにも飛びかからんとする狼の如き眼光だ。


しかし、彼女の周りの反応は少し違った。


にわかにざわめき立ったニコイの部下の一人が彼女の横に立ち、その耳にひと言ふた言、言葉を残して彼女から離れた。


その時には彼女の目元からは険が取れて、態度は柔和にゅうわしていた。


「―――……なるほど、我らからすれば怨敵おんてきというわけだ」


ニコイの呟きは、メナの耳にも届く。


しかしメナにはその意味はさっぱりわからなかった。

おそらくは山のイカコにとっての敵という意味なのだろうが、メナの記憶にはそれに当たる人物はなかった。


(強いて言えば、お祖父様ですが……)


黒の男はどう見ても祖父と言える年齢には見えぬ上に、自分とは似ても似つかない。


だが、いずれにせよ彼がイカコにとっては敵対者であることは確かに思える。

それならば彼女にとっては追い風だ。


ニコイはレァを睨み、次いでメナに視線を移した。


その意味ありげな視線はいずれにせよ、メナにとって友好的なものとは思えなかった。

ニコイはすぐにメナから視線を外し、レァに戻す。


「―――本来ならば仇討あだうちを考えるべきだろうが……裏を返せば、それだけの力の持ち主、捨ておく理由はない」


ニコイは半ば独白のように言ったかと思うと、その手をレァに向けて差し出した。


「どうだ、テネス・レァとやら。ソチ様・・・も貴公であれば重用ちょうようせざるを得まい……そこの何もない・・・・姫君など捨て、こちら側に付かないか?」


何もない。


メナはその言葉を聞いた時、自分が全て失ったことを改めて突きつけられた気持ちがした。


家族、城、従者、そして姫としての立場。

人としての尊厳すら、これから失われるに違いない。


それは想像に難くない。


「―――……確かに、悪い話じゃない。何もないだろうな。今のあの姫君には」


レァの黒目がメナに向けられ、すぐにニコイに戻る。


メナはそれを絶望的な気持ちで見つめている。


何を期待しているのだろう。

何を期待していたのだろう。


自分には何もない。


何もないというのに、それでも生に固執するのか。


むざむざ従者を死なせた自分が、それでも自分だけが生き残ることを望んでいるのか。


取り柄であった身分もなくし、与えられるものなど何もないというのに、それでも助けを求めようというのか。


(こんなにも虫の良い話があるというのですね……)


自分の胸中で煌々と燃え盛る炎。


いままでメナを支えてきたその全てが、まばゆい炎に焼かれ、骨組みまでもが業火ごうかに巻かれ、崩れ去ろうとしている。


その様が見えた。


それを前にした時、メナは臓腑ぞうふが絞られるような感覚と吐き気にもだえ、身をよじった。


メナは自分の無力を呪った。

とは違う、無能な自分を憎んだ。


そのせいで犠牲になった彼らに申し訳なく思った。


あの時、もっと自分が強く言っていれば。


もっと自分に知識があれば。


があれば。


後悔が頭をぐるぐると駆け回り、止まらなかった。


「―――……ぅ」


声にならない声をあげ、何度もえずくがろくに出せるものもなく、頬が濡れるだけに終わる。


その間にも、ぐるぐると頭をいくつもの考えが駆け巡り、チカチカと明滅していて、それが吐き気を加速させる。


ふいに、閃光が弾けるように、ぱっとある考えが頭に浮かんでメナは薄く微笑んだ。


(もっと早く、わたしが死んでいれば良かった……初めから生を望んではならなかった。それだけの話ですね)


そう思うと、不思議と気持ちが楽になった。


これは自分が望んだ罪への罰、犠牲・・代償・・なのだ。


メナは自分が何をするべきなのか、その天啓てんけいを得たのだと感じ、口を開く。


しかしそんなメナを遮るように、レァの声が響いた。


良く通り、耳に残る不思議な声だ。


「そこの死に損ないの姫君―――……」


メナははっと息を飲み、口を閉ざす。


その重みが彼女を圧し、言葉を紡ぐことができなかった。


思わず目を見開き、視線を上げたメナの視界に、レァの瞳が飛び込んだ。


夜空を思わせる、伽藍堂がらんどうの黒い瞳。

その瞳の不思議な引力がメナの視界を掴んで放さない。


「お前はたきぎの燃えかすだ。黒にも白にもなれない、どっちつかずの灰塵かいじん、掃き捨てられる軽いちりだ―――……」


正直なところ、彼の言葉の意味は全く彼女の頭には入っていなかった。


しかし彼の言葉は嵐のように、メナの心を大きく揺さぶり、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜた。


「―――だが不思議なことに、俺はその灰塵の中に異質なもの・・・・・が混ざっていると感じている」


メナは息を飲み、まばたいた。


彼の瞳がメナの内面を見透かすように覗き込んでいる。


「それはともすると、灰塵が単なるごみではないと思わされるような……不思議な違和感だ」


その時、レァの後ろで、ニコイが何かに気づいたように顔をしかめたのが見えた。


しかしメナの痺れた頭はその原因にまで至らない。

ただ、呆然ぼうぜんと彼の言葉を聞いていた。


「お前は、単なる燃え滓か、それともごみうずもれた貴石・・か?」


その彼の言葉は、メナの内側に響き、残っていたそれ・・を無理やりに掘り起こした。


確かに、メナは全てを失った。


しかし、それ・・いまだ熱を帯び、火にくすぶりながら、それでもまだ形を保っている。


たとえ形だけ・・・であったとしても―――


灰塵かいじんうずもれたそれ・・が見えた時、メナは口をついて叫んでいた。


「わたしは、メナ・・です。塵でも貴石でもありません!」


なぜそんなことを叫んだのか、自分でもその理由は覚えていない。


しかしその時、彼女の胸には確かにいきどおりがあったことは覚えている。


不思議な経験だった。


怒っているのに、その原因が自分にはわからない。


混乱するメナに対して、レァは両手を叩き合わせ、それに応えた。


「なるほど、覚えておこう・・・・・・


その声を最後に、彼女の視界は黒に染まり、周囲は完全な闇に包まれた。

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