第24話 銀灰姫_1

それは、聞いたこともない言葉だった。


しかしそれがどうやら「起音インティ」であることは、いやでも理解できた。


その空間だけが切り取られたような黒が見える。


地べたに這いつくばりつつもメナが見つめる中で、それらは結晶のように幾何学的な形状をとり、しかし水のように黒の男の手から湧き出し、揺らめいている。


「―――っ、貴様!」


ニコイが咄嗟に放った斬撃を半歩下がって避けた黒の男は、切り返しに右手を無造作に彼女に向けて振るった。


金属同士がぶつかるような鋭い音が響き、ニコイが男から距離をとる。


しかし黒の男に追撃の意思はないのか、そのときには彼の手から黒い結晶の群れは消えていた。


部下が黒の男に向かって詰め寄ろうとするのをニコイは制し、彼に言う。


「それは―――それがお前の石の法ニュトスか? お前の理想・・は、随分と得体の知れぬ……おぞましいものだな」


ニコイの言葉に首を傾げた彼は、しばらくして「あぁ」と声を上げた。


石の法ニュトスは『理想のあらわれ』、そんな迷信・・もあったな……」


彼の言葉は他人事で、いかにも「どうでも良い」という感情がにじみ出ていた。


それを聞いたニコイは珍しいものを見た、と言わんばかりに目を細める。


「ほう、その口ぶり、貴様は『貴石の徒』ではないのか」


対して黒の男は何が面白いのか、くつくつと笑い始めた。


「―――何がおかしい?」


ニコイが静かに問うのをどこか遠くに感じつつ、メナはどこまでも危機感のない彼のその空疎くうそな声音がたまらなく恐ろしいものに感じられた。


それはまるで、あの地下で感じた―――


「いや、失礼。よく知っているものだな、と。山の民イカコは貴石教を信じていない・・・・・・ものだと思っていた」


メナの思考を遮るように、黒の男が言葉をつむぐ。


それはおよそ自分を斬ろうとした人間に対する物言いではなく、朋友ほうゆうに向けるようなほがらかなものだった。


ニコイは眉をひそめ、武器を彼に突きつけて唸る。


「馬鹿にしているのか?」


その低い声は静かな怒気をはらみ、不穏な空気をかもし出している。


メナの目には、周囲の部下も彼女の怒りを前に息を飲んだように映った。


しかし当の黒の男は、彼女の放つ不穏な雰囲気など気にも留めていなかった。


「―――……どうしてそうなる?」


平坦だが本当に当惑したような彼の言葉に、ニコイは舌打ちをする。


「いや……もう、いい」


彼女の翠眼すいがんが、全身の怒気を込めたようにギラリと煌めいた。


そして、抑え込むような静かな声で、彼女は黒の男に言う。


「―――……いま、わかった。私は勘違いしていたらしい……貴様は教会の人間ではないな、名乗るといい。何者・・?」


意外なことに彼はそこで言いよどんだように見えた。腕を組んで天をあおいだのだ。


何か答えられぬ理由でもあるのか、あるいは恐れをなしたのか。


まさかとは思いつつも、メナからは彼の表情が見えない以上、それを否定することはできなかった。


だが、それはその場の全員がそうだったに違いない。

誰もが彼の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくに集中し、その答えを待っていた。


そんな中、彼はゆっくりと腕をほどき、長い沈黙の末、ぽつりと呟いた。


「―――……テネス・レァ」


あっさりとした、そして短いものだった。


ほこるでもなく、卑下ひげするでもなく、ただ淡々と、されど慎重に名乗りをあげる。


しかしそれは、登りゆく太陽の下、黒い影として立つこの男の姿と相まって、不思議なすごみをともない、メナの印象に強く残った。

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