第23話 黒の男

「―――何だ?」


イカコ兵が上げた声でメナは目を開いた。


彼女の腕と脚をそれぞれ縛る二人組の一人が呟いた言葉だった。


メナはすでに抵抗の気力もなく、されるがまま項垂うなだれていたが、その時は不思議と彼らが驚く「何か」を知りたいと好奇心が彼女の中で頭をもたげた。


特に何か期待があったわけではない。


状況を打破できる何かを思い出したりしたわけでもない。


ただ、気になった・・・・・


(黒い……ひと?)


その男は朝の日差しの中、光に水をさす一点の黒点のように、いつの間にかそこにいた。


なまめかしくなびく黒髪、黒曜石のような瞳、そしてこの国の人間にしては浅黒い肌。


まと外套がいとうですら黒く、それはまさに「黒の男」だった。


メナの視界の中で、黒の男は陽炎のようにゆらりと動き、気だるげに声を発した。


「―――すまないが、そこの姫君を放してやってはくれないか?」


イカコの兵たちはどよめき、それぞれ武器を引き抜き、構える。


その拍子ひょうしにメナは地面に放り出され、倒れた際に顔をしたたかに打ち付けた。


「―――っ!」


口に血の味がにじむ。


「いや、放せとは言ったが……」


黒の男はそれを見て困惑したように呟いた。

武装した兵たちに囲まれているというのに、それに対する動揺は少しもない。


状況に見合わぬ緊張感のなさ。


どこかズレている。


メナはその雰囲気に既視感を覚え、その正体を思い出す。


「鴉羽の―――……」


メナの呻めきに、黒の男のまぶたがぴくりと細められたように見えた。


しかし、その事実を確認する間もなく、部下の動揺に気付いたニコイの低い声が響いた。


「―――放すわけがなかろう」


近づいてきた彼女が頭目と見たのか、黒の男は彼女に向き直り、世間話をするかのように物騒な言葉を口にする。


「血を見ることになるが?」


おどしか?」


ニコイは眉をひそめ、腰の剣に手をかけた。


「―――いや、交渉・・だ。無駄な殺しは良く・・ない・・だろ」


「ハッタリだとしたら、たいしたものだ」


裏があるとしか思えない博愛的な返答に、ニコイは攻撃的な笑い声を上げた。


「―――貴様、教会の下役だな。外回りの帰りか、それとも集会でもあるのか……何を勘違いしたのか知らんが、いさましいではないか」


ニコイは表情を消し、剣を引き抜いて黒の男に突きつけた。


「―――だが場違いだ。今なら聞かなかったことにしてやる……く失せるがいい」


うら若い娘が放ったとは思えぬ、震え上がるような重い叱責。


しかし黒の男は、ため息をつくのみで、それにはろくに取り合わなかった。


そればかりか突きつけられたニコイの剣を一瞥いちべつして失笑すると、心底面倒くさそうに外套から右腕を出して横に掲げた。


「―――結局、こうなる」


その瞬間に明けの空が一段と暗くなったと感じるほどの重苦しい緊張が辺りを満たした。

その張り詰めた沈黙を引き裂くように、黒の男は呟く。


「―――……レマティ」

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