1.影のない男、影勝(2)

 ゲートを抜けた影勝の目に光が突き刺さった。


「うぉ、まぶしっ!」


 視界がホワイトアウトし思わず腕で目を覆う。戻るまでに数秒かかったが静かに腕をどかす、とそこにはが広がっていた。

 地面はコンクリートで固められ、正面に木造三階建ての商店がある。旭川ギルドという看板が掲げられていた。少し先にはホームのような細長いコンクリートの塊もあり、トロッコ電車が停まっている。

 そしてその先には、コンクリート製の壁が見えた。ここは壁に囲われているようだ。


「ここはもうダンジョンです。頭の中に知らせが来るはずですが、皆さん職業は降りてしましたか?」


 工藤が声を発した瞬間、激しい痛みとともに影勝の頭に知らない記憶が流れ込んできた。


「いてて、クソッ、なんだ、これ」


 木の壁の部屋で窓の外の景色を眺めていた。

 森の中だろう場所で生えている植物を正確に模写していた。

 見たこともない植物を口にして余りの苦さにむせていた。

 植物採取した際にその植物が持つに毒にやられて足が痙攣して苦しんでいた。

 耳の長い女性に、今にも泣きだしそうな顔で見送られて出立した。

 森を抜けいろいろな土地を訪れ、自らをイングヴァルと名乗っていた。

 弓を構え、ゲームに出てくるような漆黒のドラゴンと相対していた。

 未知の植物の毒でマヒしているところを熊のようなモンスターに襲われ、そこで記憶は終わった。


 堪えきれない頭痛に、影勝はいつの間にか蹲っていた。


「あ、あの、大丈夫、ですか!」


 横から案内の女性とはの別の声がする。声のほうに薄く目を開ければ、眼鏡をかけた女の子の顔があった。心配そうに影勝を見ている。


「き、気つけの薬があるから!」


 女の子はたすきにかけたポシェットから小さい透明なピンを取り出した。コルクで蓋をされ、中には緑色の液体が少しだけ入っている。


「こここれを鼻の下にあてると、楽になるから」


 少しどもりながら差し出されたビンを、影勝は震える手で受け取った。鋭い痛みはあるが、なんとかコルクを取りビンの口を鼻の下にあてがう。わさびのようなツンとした香りが鼻腔に突き刺さるが、なんだか懐かしい熱がじんわりと胸に広がる。

 その香りごとゆっくり肺に空気をな吸い込むと、頭痛が和らいでいくとともに安堵も感じるようになる。


「やった、魔法使いだ!」

「戦士かー」

「まじか、騎士だって!」


 落ち着いてきた影勝の耳には周囲の声が入ってくる。どうやら職業を得た人たちが叫んでいるようだ。自分は何だろうと瞬きをしたとき、頭に浮かぶ文字に気が付いた。


 職業【イングヴァル・ジグリンド・リーステッド】

 スキル【影のない男】


「は?? ナニコレ!?」


 影勝は素っ頓狂な声を上げてフリーズした。

 ダンジョンに関係した職業が出てくるはずだったが、人物の名前のような言葉が並んでいたのだ。

 イングヴァル・ジグリンド・リーステッド。

 影勝はこんな言葉を知らないし、人名だとしても聞いたこともない。

 ちょっとなんだよこれと、少し落ち着いたはずがどんどん困惑のカオスに引きずり込まれていく。


「あ、あの。大丈夫、ですか?」


 影勝のわきにしゃがみこんでいる女の子から声がかかる。意識が戻された影勝は「大丈夫です」と返答が精々だった。


「よ、よかった」


 安心からくるふわっとした笑顔が影勝に注がれ、気つけをもらったことを思い出す。


「あ、ありがとう。おかげで頭痛がなくなったよ」


 影勝はぎこちなくだが笑顔を返すが、その際に女の子をまじまじと見てしまった。

 大きな眼鏡が目立つ小顔で、綺麗というよりは可愛い小動物系な顔つきだ。印象的に影勝よりも年上っぽく大学生くらいに見える。

 きめの細かい黒い髪は一つにまとめられ、左肩から胸元に落としている。何より目立つのは、キャンバスに油絵の具を塗りたくって汚したような白衣を着ていたことだ。白衣が緑色まみれになっていた。


「た、たまーにですけど、初めてダンジョンに入ったときに気分が悪くなる人がいるんです」


 じっと見つめているのを何か知りたいと勘違いしたのか、その女の子は早口でしゃべり始めた。


「わ、わたしは、その、門前町の薬屋のもので、その、新人さんが初めてダンジョンに入って職業を得るときに、随行を頼まれることが多くって、その、怪しいものじゃないですよ?」


 手をわたつかせ額に汗を浮かべ必死に説明するさまを見ていると影勝はなんだかスンと落ち着いてしまった。長身の影勝は存在するだけで圧がある。怖がられるのは割と日常茶飯インシデントだった。


「可愛いと思ったけど怪しんでるわけじゃないんですごめんなさい」

「かっかかかっかわいいいいいいい」


 ずいぶん「か」と「い」が多い。この女の子はちょっとどもりがちだけど真面目な子なんだなと影勝は思った。


「はいそこ、ドサマギでみどりちゃんを口説かないで。大事ななんだからねー。よーし、みんな職業を得られたようだし、講堂に行きますよ!」


 工藤が揶揄うような声を上げ、注意を自分に集め皆に指示を出す。慣れた様子に、この手のインシデントは多いのだろうと察せられる。


「くくくくくどくって!」


 こんどは「く」が多い。

 しゃがんでいるとこの子が挙動不審になりそうだと感じた影勝はすっと立ち上がり彼女に手を差し伸べる。

 

「おかげさまで痛みも消えました。あ、俺は近江影勝といいます」

「て、てててて」

「……あの、取って食わないよ?」

「あ、ひゃい!」 


 彼女が両手を伸ばしぎゅっと握ってきたので影勝は引き上げて立たせる。気つけのお礼のつもりだったが、彼女は対人に不慣れなのか、顔が真っ赤になってしまっていた。


「ほらそこ口説くなって言ってる!」

「あ、いかないとまずいので」


 工藤から強い口調で言われた影勝は小さく手を振ってその場を後にした。名前くらい聞いておけばよかったかなと後悔しつつも工藤を先頭に歩いている集団の最後尾にとりついた。そのまま集団はゲートからダンジョンの外に出た。

 ゲートを出たエントランスからつながっている一階の大きな講堂に案内され席に着く。机には大きめの封筒と探索者基本法と書かれた冊子が置いてある。

 正面にある教壇についた工藤が一同を見渡して口を開く。


「皆さんお疲れさまでした。それぞれ色々な職業をと思いますが、この職業だからハズレだ、というのはありません。ダンジョンは異なる職業とパーティーを組むことで、ようやく攻略ができるです。不要な職業などないのです。ちなみにわたしはスカウトでした」


 職業を得たばかりの新人探索者ニューカマーは静まり返った。全員の視線が工藤に注がれている。


「職業は大まかに戦闘職と生産職に分かれます。ですが、探索者としての守るべき法律は同じです。これから軽くですが、その説明をしていきます。まずは机にある冊子を確認してください」


 こうして探索者としての基礎講習が始まった。冊子に書かれている細かい規則はあるが一番はこれである。


 探索者基本法――ダンジョン以外で魔法などの探索者としての力で他者や建物を害することを禁ずる。探索者によるでの傷害破壊行為は重罪で禁固刑、殺人は即時死刑執行となり裁判は行われない――


 講堂はざわついた。


「厳しすぎると思われるかもしれません」


 工藤は鎮まるように敢えて声を抑えている。


「まず言っておきますが、私を含め探索者になろうという人間は普通ではありません」


 工藤が静かに語る内容に「なんだよそれ」「ばかにしてんの?」等の声が上がる。工藤はそんな声が上がろうとも気にせず、なにかを確認するように小さく頷いた。


「探査者として成功すれば億万長者も夢ではありません。ですが、ダンジョンの探索は死と隣り合わせす。毎日が生きるか死ぬかの場面の連続です。普通の人には耐えられません」


 工藤の説明に若者たちは言葉を無くした。


「そんな探索者にはステータスとレベルがあり、戦闘職はダンジョンでモンスターを倒す、生産職はスキルで生産するなどでレベルが上がりステータスを上げることができます。ステータスは、その冊子にも書いてありますが、力や体力、敏捷性や器用さなど人間の身体能力を指すと言われていますが具体的に数値化されてはいません。ダンジョンが発生して一〇〇年を超えていますが、なぜそうなるのかの裏付けはありません」


 言い聞かせるように語る工藤の言葉に、少年少女たちは、そして影勝も自然と耳を傾けていく。


「おおよそ、レベル五で一般人の身体能力の倍となります。ダンジョン外でもそのステータスは変わりません。格闘技の達人ともわたりあえるように、もしくは凌駕する体になります。くれぐれも一般人との諍いは避けてくださいね。争えば法的にですから。いいですか、です」


 二度も負け確と言われ、講堂はまたざわついた。影勝も驚いて教壇の工藤に顔を向ける。


「探索者がダンジョンから持ち帰る魔石や素材は社会にとってもはや欠くことのできないものではありますが、現役の探索者の数は日本の人口のわずか〇.〇一%でしかありません。一万人ほどしかいないんです。引退された探索者も社会で活躍していますが、社会を担うのは探索者以外の人々だということを忘れないでください。探索者になれば腕力は強くなりますが、それだけで社会を支えられるわけではないのです」


 厳しい口調に、講堂は再び静寂に包まれる。どこかで唾をのむ音がした。


「ふふ、ちょっと脅すようなことを言いましたが、国は探索者みなさんに期待をしています。探索者には特権もありますので、がっくりしないでくださいね」


 工藤は諭すようにゆっくり優しく語る。


「さて、いまから配布する用紙に個人情報の記入をお願いします。この情報をもとに探索者用端末を設定しますので、嘘偽りがないようにお願いします。正直にですよー」


 工藤が教壇から離れ、最前列の机から用紙を渡していく。


「この講義後に入力作業をして、明日朝からギルドの三番の受付で配布します。ですので、今日はダンジョンに入れません。あ、ギルドとはダンジョン内にあった建物ですからねー。間違ってここに来ないようにしてくださいねー」


 用紙を配りながらも工藤は説明をしていく。


「えー、今日から入れると思ってたのにー」

「まじかよー」


 後ろの席から不満の声が上がる。すぐにでもダンジョンに行くつもりだった影勝もそう思った。


「元気が良いのは若い証拠ですが、武具もなくダンジョンに入るのは危険です。職業が判明したのですから、その職業に見合った武具を揃えることから始めましょうねー」

「あ、そっか!」

「やっべ金が足りないかも」

「一度家に帰らないと」


 まだまだ思慮が足りないお年頃なのか、そんな声があちこちから上がる。もちろん影勝も「そりゃそうか」と納得した口である。残念ではあるが下準備をしないと初日で命を落とすことになりかねない。


「今日配布した冊子には、職業とスキルについてざっと書かれています。まずはそれをよーく読み込んで、必要なものを揃えてからダンジョンに挑戦してください。ダンジョンが生まれてからもう百年以上たちますが、ダンジョンは消えていません。慌てなくても逃げませんよー」


 工藤はふふっと笑う。ちょうど用紙を配布し終えたタイミングだ。おそらく、いつもこの流れなのだろう。

 影勝は用紙に向かい必要な項目を埋めていく。氏名生年月日から順に書いていく影勝だが、ふと気がついたことがあった。


「職業をかく欄がない」

「はいそうなんです。先ほど得た職業は個人情報にあたり、また探索者の能力を推測する手掛かりになりますので、我々も強制的に知ろうとはしておりません。もっとも、記入して頂ければアドバイスなどが可能です」


 影勝がぼそっとこぼした言葉に、工藤が素早く反応した。これもよくある質問なのだろう。

 職業【イングヴァル・ジグリンド・リーステッド】なんて書けないよなぁと影勝は職業欄はパスした。その他にスキル欄があるが、ここもスルーした。

 スキル【影のない男】とか、おかしすぎるだろ。

 こんなスキルが普通に存在するのか聞きたいが、さすがに大人数の前では憚られる。笑われるかハブられるか。高校のカーストを思い出す。


「……半分以上は埋まったから、これでいいだろ」


 影勝は最後に探索者専用の決済システムのパスワードを書いて記入を終えた。


「本日の講義はこれで終了となりますので、書き終えた人はこっちに用紙を持ってきてそのまま退室して結構です」


 いつの間にか教壇に戻っていた工藤が声を張り上げる。ガタガタと椅子を引く音がして数人が立ち上がる。影勝はもう一度見直して冊子を鞄にしまい、立ち上がった。


「最後に、みなさん、探索者の世界へようこそ! 我々は大歓迎です!」


 教壇にいる工藤が満面の笑みで、そう言った。

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