近江影勝は森のエルフさんで影のない男
凍った鍋敷き
1.影のない男、影勝(1)
都内の高校を卒業したばかりの
「うぅぅ、北海道はまだ寒いな」
東京から来た影勝は北海道の春を舐めていた。四月初めは日中でも気温は一桁台前半。しかも今日は曇天だ。へたすればマイナスもありうる。予想していなかった寒さにぶるっと体を震わせた。
「えっと、旭川ダンジョン行のバスはどこだ?」
影勝はぐるりと頭を巡らせて案内看板を探すがいまいちわからない。どうしたものかと考えている影勝の前を同年代と思われる四人の男女が大きな荷物を持って通り過ぎていく。
「ダンジョン行のバスはあっちですね」
「なーんでこう地図ってわかりにくいのー?」
「恵美が地図を見れないだけでは?」
「ちょっと賢ちゃーん、あたしがおばかさんみたいじゃーん」
「ふたりとも、静かにしような」
「勇吾は真面目すぎー」
姦しい彼らも
「乗車時間は一〇分か。歩きでも行ける距離だけど迷子になりそうだし、バスしかないな」
自販機にスマホをかざし電子決済で切符を買う。先ほどの道案内の集団が並ぶ列の最後尾につく。
やっと探索者になれる。これで母さんの病気を治せる
影勝はスマホの写真にある母親の姿を見ていた。病院のベッドで、寝たきりになってしまっている母親だ。もう意識もなく頬もこけてしまっている。医者にはもって三年と言われていた。
「ダンジョン病……探索者の職業病って聞いたけど、治療するには探索者になって
影勝はぼそりとこぼした。
ダンジョン病。別正式名称は魔素中毒。地球にはない【魔素】で満ちたダンジョンにもぐることを
「ダンジョンなんて、なんでできたんだよ」
影勝はこぶしを強く握りしめた。
一九〇〇年代初頭、なんの前触れもなしに世界各地にダンジョンが発生した。ダンジョンと言うが、そこは別世界の様相を呈していた。森林がひろがっていたり急峻な山岳地帯だったり草原だったり、そのダンジョンによって世界は異なっていた。
帝国主義真っ盛りの世界各国は新たな植民地になる可能性を感じ、すぐに探索を開始した。内部では空想上の生き物とされる
魔物を倒すと小さな石を残して消滅。魔物から生まれた石、魔石と称された。
明らかに物理法則と
当時の最新兵器である戦車をも投入した作戦は、一応の成果を得たが失った兵力も多かった。だが成果である魔石の存在が各国政府を刺激した。
魔石は一定の圧力をかけると高熱を発する特性が判明し、すぐに発電に応用された。石炭よりもエネルギー効率が高く、また燃焼ガスも出ない魔石が戦略物質となるのは時間の問題だった。
帝国主義が規範となった世界では隣国ににらみを利かせる軍隊をダンジョン探索に差し向けると自国の安全保障が脅かされるため、政府は民間にダンジョンを探索する人員を求めた。おりしも、ダンジョンに入ると探索に向く特殊な職業が得られたこともあり、ダンジョン探索という新しい業態が生まれた。
魔石が採取できるダンジョンをめぐる世界大戦が二度も起き、帝国主義から資本主義へと世界は変わったが、ダンジョンは変わらずに、そこにあった。
ダンジョン発生から一〇〇年以上経過した現代においても魔石を上回る燃料が存在せず、また魔石暴走という手法が開発され、大量破壊兵器にまで使用される事態となっていた。
「でも、母さんを治すにはこれしかないんだ」
影勝の両親は探索者だった。影勝が生まれても生活のために探索者を続けていたが、父親が探索中に死亡したことで母親は探索者を引退した。影勝が小学生の時だった。
母親がダンジョン病を発症したのは影勝が高校に入学してすぐのことだった。ダンジョン病は次第に体が動かなくなる病気で、治療法は
国家の事業としてダンジョン探索が推奨されているのでダンジョン病は特定難病に認定されており治療費はかからなかったが母親が働けなくなっていったために影勝の生活は厳しくなっていく。
影勝は高校卒業後、進学ではなく探索者になることを選んだ。母親のために、また自分の生活のために探索者になることを決めたのだ。
影勝は旭川空港からバスに乗り、旭川ダンジョンに向かう。日本にダンジョンは五か所ある。旭川、八王子、金沢、高知、鹿児島だ。
ダンジョンはそれぞれ特徴があり、旭川ダンジョンは緑のダンジョンとも呼ばれ森林、草原、湿地、乾燥帯などで構成されており、薬草など薬の原料が採取できた。
影勝が
「でっかい建物ばっかりだな」
影勝は窓の外にひしめく発電所群を眺めていた。ダンジョンから産出された魔石を発電に使うために、ダンジョンの近くに集中的に建設されていた。この旭川ダンジョン発電所で北海道のすべてと東北地方北部の電力を賄えるほどだ。
バスは駅のターミナルのような場所に到着した。他にもバスが数台あり、北海道各地から来ていると察せられる。
バスを降りた影勝はロータリーを囲むようにある商店群に目を奪われた。ダンジョン門前町といわれる、探索者向けの施設群だ。そこには宿泊施設、武具を売る店や飲食店があるが、なによりその店にいる探索者の姿にくぎ付けになっていたのだ。
腰には剣を
「あれが探索者……」
自分もあのようになるのだと、影勝は身震いした。
「ギルドの建物は……」
「あ、あれじゃない?」
影勝の道案内をしてくれた集団がロータリーでもひときわ高い建物を指さしている。一〇階建てのビル。探索者がたむろしている入り口は幅が広く天井も高い。二階分ほどはありそうだ。
ギルドとは防衛省迷宮探索庁が関係する民間団体【探索者及び迷宮商業協会】を指す。
彼らについていけば迷わなくて済みそうだ、と影勝はこっそり後をついていく。
ビルのエントランスは奥行きがあり広く、すでに一〇人ほどの若者がいる。彼らも高校卒業と同時に探索者になろうとしているのだ。
「はーい、探索者希望の方は並んでくださいねー!」
エントランスの奥では紺のパンツスーツ姿の女性が手を挙げながら叫んでいる。肩で髪を揃えた、歳の頃は三十路付近に見える、アラサーと呼ばれるボーダーにあろう女性だった。今の時間は九時五〇分。探索者希望の受付は一〇時からで、ちょうどいい時間だ。
「やっと探索者になれるぜ!」
「高校卒業まで長かったなあ」
「あたしはデザイナーになりたいから付与師がいいなー」
並んでいるのは楽しげな顔の若い男女だ。高校で気かけた四人の男女の姿もあった。影勝も高校を卒業したばかりの若者で、使命を胸に秘めている。
正直、|霊薬(ソーマ)を手に入れられそうな職業なら何でもいい。
影勝は彼らのように楽しむ雰囲気ではなく思いつめた顔のままだ。影勝も旭川ダンジョンを訪れてはいるのだが、彼らとは希望の持ちようが違う。
「よし時間ね はーい、ちゅーもーくー!」
腕時計で時間を確認したスーツの女性が両手を挙げると並んでる皆の視線が一斉に向く。影勝を含め二〇人ほどに顔を向けられるのを確認した彼女は笑顔を見せる。
「わたしは今月度案内係の探索者
工藤が指差す先には地下へのなだらかなスロープがあり、降りた先には石を積まれてできた巨大な門が見えた。門は幅一〇メートル、高さ四メートルほどもあり、大型トラックも余裕で通れそうだ。ただ、門の向こうは闇に閉ざされておりまったく見えない。
「まっくらじゃん」
誰かが呟いたが、それは皆の感想でもあった。影勝もそう思ったし実際に漆黒しか見えていない。
「これからダンジョンに入ります。入ってすぐに職業を得ることになりますので、そのつもりでいてくださいね! ではわたしの後についてきてください」
そう言うや工藤はスロープに歩いていく。もちろん探索者希望の若者もついていくが。
「まじであそこに行くの!?」
「ゲートは闇だって常識じゃん。ネットの配信とかで見たことあるだろ」
「映像と実物じゃ印象が違いすぎるんだよ」
影勝の前のほうから不安そうな声が上がる。影勝も眉根を寄せて不安を隠せない。
「真っ黒で入れないように見えますが、大丈夫ですよー」
引率の先生のようにフレンドリーに話しかける工藤。おそらくこのような反応はいつものことなのだろう。
ゲートの前まで来た工藤は「ほら、入れますから」と左半身を突っ込んで見せた。「えぇぇ」と声が上がるが、工藤は「さぁ行きましょう!」とそのままゲートの中に消えてしまう。
「ちょ、置いてくのかよ」
「こんなのにへこたれてちゃ探索者にはなれないってことか」
「おっさきー」
ゲートの前で躊躇する者もいたが、影勝は意を決する。
「いよいよ探索者になるんだ」
影勝は緊張の手汗をジーンズで拭い、真っ黒な壁に体当たりした。
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