第27話

「兄ちゃんの髪形、変わってないって言ったやろ?変わったのは髪形じゃなくて、髪色なんよ。グレーからピンクに変えててん」

「ああ、そうやったかー」

少し照れ臭くなって笑ってごまかした。兄の方は全く気付かなかったらしく、虚を突かれたような顔をしている。

「俺、ITの企業とか、福祉系の仕事とか就職試験受けただけんさあ(受けたけど)、本当は料理人になりたいら。物心ついた時から料理したり、どうやったらより美味しく食べれるかを考えてた。…2回生の終わりの冬の夜だったに。バイト帰りでいつものように原付で家に向かったら。その日に限っていつもと違う道を通りたくなったもんで、慣れてない道やった。一応こっちが青やったんだけん(だけど)、俺も確認しなかったもんで。トラックに飛ばされて、原付さら(ごと)ひっくり返った瞬間だけは覚えてるさ」

 そう、あの瞬間だけはなぜか今もハッキリと思い出せる。時間の流れが変わったかのようにスローモーションで、星が見えたような気がした。都心の街中で星なんか見えるはずがないのに、とても美しい夜空だった。そしてその光に原付の真っ赤な車体が鮮明に浮かび上がってくる。大好きな赤のヤマハ ビーノ。「事故に遭いやすい色だからやめときなさい」と母親に言われたのに、一目ぼれして買ってしまった。最後に見た赤は、今までの人生で見た中で一番綺麗な赤だった。こんな言い方はおかしいが、これから起きる不幸に耐え忍ぶための神様からのプレゼントだったのではないかとさえ思えた。

 次にベッドの上で目覚めた時、昨日と今日で目に映る世界が全く変わってしまったことに気付いた。他の人には分かる違いが、自分には分からなくなっていた。それでも、目を腫らして自分を見つめる母と、深い隈をつくってやつれてしまった父を見ていたら、落ち込んでいる姿を見せるわけにはいかなかった。

「もともと俺はおだっこい(調子者)から。でも講義受けてても教授が赤いチョークで書いてる文字が見えなかったり、それこそ生肉を食べちゃったり、今まで何も考えんとできたことができんくなっただに。料理人だって、色が分からんかったら厳しいじゃんね。自分にやっきりこいた(腹が立った)けど、しょんないさ」

一度話し始めたら堰を切ったように止まらなかったが、二人を思い出して顔を伺った。弟はもどかしいような、何かを噛んだような顔をしていて、兄は目をつぶって、小さく頷く。

「ごめんな、こんな話を急に出されてもなんも言えんら」

「…好きだから、誰よりも好きだから分かるんだよな。自分の限界がどこにあるか」

話しかけるというより、独り言のように兄は呟いた。あの日とあの日以前には、確かに大きな差があった。色が失われた世界は、大好きな食事をも味気ないものにしてしまった。最近やっと、以前のように食事をアレンジする楽しみを思い出してきたが、それでも当時の味覚を取り戻すことはできないと感じるほど、喪失感が強く残っている。3人の間には、話しかけるのをためらうほどに鬱々とした空気が取り巻いていた。カフェは学生で溢れているというのに、なぜかその雰囲気が周囲にも広がっているような気がした。そんな空気を壊すように、急に厨房の辺りが騒がしくなった。

「あのー、シェフ?先の月曜日の12時42分ごろに訪れた者ですけど、覚えておりますでしょうか」

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