第23話
「なぁ知ってるら?そのポテト、そこにある醤油つけるとばーか美味くなるっけ」
武はギュンっと自分の心臓の音が、部屋中に響いた気がした。180センチくらいありそうな大柄な男(恐らく学生)が机の椅子に座ってきた。来た来た。これだけの学生がいたら、絡まれる可能性もあるとは分かっていたが、実際そうなって落ち着いて対処できるかは、別の話だ。兄ちゃん、アドリブに弱いしなあ、どうしたものか。
「醤油ってコレ?いやさすがにしょっぱいやろ」
思いのほか、落ち着いて返答している信二を二度見した。そういえば歌舞伎町の1件でも、似たようなハプニングがあったが、あれで成長したのかもしれない。
「それがここのカフェのおばちゃんがしょっぱい味が嫌いなもんでよ、塩はほとんど振ってないもんで丁度いいっけ、それにこの醤油、ただの醤油じゃないら」
「ふーん?やってみるか。…確かに美味い!こりゃ九州醤油ばい。懐かしか」
満足そうに頷く学生を見て、このまま受け入れるのも不自然な気がして武はツッコミを入れる。
「いや、急に話しかけてきてびっくりしたわ(笑)初対面よな?」
「ああ、ごめんごめん。隣にいたらさー、話気になっちゃってさー、全国大会がどうとか?」
男と話をしながら、咄嗟に頭の中で考える。このプロジェクトの目的はよく分からないが、周囲の人を巻き込む方が注目を浴びるし、面白いよな。
「それなんだけど、兄ちゃんが団体戦で柔道の全国大会行けるほど強いのに、別の選手出せって言いよるんよ、本当は出たくてウズウズしとるくせに」
さっきまでより2段階ほど声量を上げて、あえて周りの学生たちに聞こえるように話す。
「聞いた聞いた。んで、怪我して治ったけど本調子じゃないら」
「そうゆうこと。もう怪我する前には戻れんっち分かっとる。やけん、他の選手ば出した方がうちのチームは強くなるんよ」
信二はこちらを察したのか、声のボリュームを同じくらい上げてきた。
「この際大会はどけんでんよかっ。兄ちゃんはオリンピックの強化選手に誘われとるんやろ?それだけは断らんといてよ」
全く同じことを、数年前の兄に言った。これは劇の台本だが、実際に兄弟に起きたことだ。柔道の才能が秀でていた兄はどうしても超えられない壁であって、挑み続けることができる身近なライバルだった。いつか超えたいと思っていたのに、練習で起きた怪我から復帰できずにいた兄を見るのは、自分がそうなる以上に悔しかった。
「オリンピック?そんなん行けるわけないやん。あれは怪我する前に来てた話やからね」
呆れ笑いをする兄の投げやりな態度が、どうしても受け入れられなかった。
「お前、いい加減にしろよ。なんでせっかく貰ったチャンスを自分で諦めるんだよ」
立ち上がり兄を刺激しようとするが、魂の抜けたような表情で窓の外を見ている。
「おいおい弟、落ち着くが。感情的になってもしょんないし」
例の大男がなだめるように肩を叩いてきて、大学で劇をしている現実に戻った。
「俺もじっくり話聞きたかったっけけん(けど)、次の講義の時間じゃんか。こういう話は仲介人がおった方がいい。だもんで(だから)来週の木曜日の昼休みに、またここに集まるら」
「そう、やな。分かった、来週の木曜日の昼休み、またここで頼むよ」
大男の言葉を、滑舌よく、ゆっくり繰り返して、周囲が聞き取れるように気を付ける。これを聞いて、来週の観衆が増えてくれるといいが。大男は笑顔で手を振りながらカフェを出ていった。思えば名前すら聞いていなかったが、インパクトが強すぎて、一瞬すれ違っただけでも気付けてしまいそうだ。周囲の学生たちも移動し始めているようで、カフェは急に騒々しくなった。そんな中でも、パフェを作ってくれた店主らしきおばちゃんの、学生たちを送り出す元気な声がしっかりと耳に届いてきた。学生だった時の、あの胸がずっしりと来るような感覚が少し、蘇ってきたような気がした。
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