第21話
大学の中でも特に好きな場所は、大学図書館である。もともと読書が好きだったのだが、課題提出や卒論などで、図書館に籠ることが増え、2回生の頃は、週5で図書館に通っていた。4回生になってから、就活などで忙しくなったが、毎週木曜日の講義の後には図書館に行くことにしている。今日もいつものように、図書館前に来ていた。お腹が空いたので、キャンパス内で移動販売している一つ400円の弁当を、購入する。近所の中華料理店の店主が、毎日出来立ての弁当を用意してくれる。無料でご飯を増量してくれるので、迷わずこんもりとご飯を盛ってもらった。この量を食べると、午後に確実に眠気が襲ってくるのだが、もともとのおかずの量が多いので、このくらいご飯がないと、最後におかずだけ食べるはめになる。図書館のエントランスにある飲食スペースで、まだほんのりと温かい弁当を口に運ぶ。先ほどの講義では、久しぶりにターシーに会った。タ―シーというのは西がつけたあだ名だが、呼びやすいのでいつの間にか自分もそう呼ぶようになっていた。
タ―シーと西は、大学でできた唯一親友と呼べるくらいの仲間だ。2回生のころまでは、同じ学部の友人が数人いたのだが、就活が始まってから皆忙しいようで、連絡を取らなくなって疎遠になってしまった。去年、父の故郷であるネパールに留学していたことも、友人と距離ができてしまった原因かもしれない。人生で振り返ったらたった1年だが、大学生にとっての1年は、学生生活の4分の1であり、その1年でとてつもない時間が流れていることになる。友人たちが新たな関係性を築いていても、責めることはできない。私もきっと逆の立場だったらそうするだろうし。4回生になり、単位を取るために授業に出ないといけなくなったが、そのおかげでタ―シーたちに出会えたので、良かったと思っている。
タ―シーはいつも穏やかで、自分よりも人のことを優先させる人だ。いつだったか、講義を取っている別の友人に、資料を貸してほしいと言われ、彼は快諾していたのだが、そのおかげで自分の課題提出が遅れてしまった時も一切怒らず、むしろにこやかに友人に接していたのが記憶に残っている。就活に苦戦していると話していたが、講義の後に聞いてみたら、内定が貰えたと言っていた。彼がいつも就活を頑張っていたのを見ていたので、本当に良かったと思った。私も彼を見習って、就職先を早く見つけようと思う。
西は、タ―シー不在の時も毎週欠かさず講義に出ていて、その分顔を合わせる機会が多いのだが、相変わらず馬鹿元気だ。マシンガントークで、私が聞いていようがなかろうが、喜怒哀楽を織り交ぜながら、1日の些細な出来事を伝えてくる。彼は日本人というより、留学先だったネパールの人々と性格が近いように思う。誰とでもすぐに打ち解け、会話をしているうちに幼馴染だったのではないかと錯覚してしまうほど、深い話を打ち明けてしまう。気付いたら懐に入っているのでたまにびっくりするのだが、不思議と嫌な気持ちにはならないので、そのままにしている。それに西もああ見えて、苦労しているところがあるのを知っているので、自分にできることであれば、手を貸せればと思っている。
考え事をしているとあっという間に弁当を食べ終わり、片づけに入っている時、目線の隅で、小さい何かが動いていることに気付いた。そちらの方を見ると、小さな女の子がチョコチョコと動き回っている。平均的な成人女性の身長である、自分の腰くらいの身長で、三つ編みおさげの髪型がとても可愛らしい。この図書館は大学構内にあるのだが、申請書を出せば、誰でも図書館を利用することができるので、地域の住民が訪れることも少なくない。
「おねえちゃーんっ、まなか、ここにいるよーっ」
大きな声が静かな図書館に響き渡った。どうやら一緒に来ている姉とはぐれてしまったらしい。手にはしっかりと「バムとケロ」シリーズの絵本が握られている。声を掛けに行くために、席を立とうとすると、同世代くらいの女性が慌てたようにその子に駆け寄ってきた。
「しっ。静かにして。入口の椅子の所に座って待っててって言ったよね」
よかった。少女の姉が。
「だって、おなかすいたもん、まなかごはんたべたい」
「もうちょっと待てない?お母さんまだ家にいないし、私も課題を終わらせないと」
「いやだっ、おうちかえるっ」
少女はとうとう泣き出してしまった。
「もう、分かったよ、おうち帰る、帰るから静かにして?」
しゃっくりを上げながら少女はこくんと頷いた。
「明日もまた、同じ時間にここに来るから。その時は我慢するんだよ」
再び少女は首を縦に揺らす。目元に涙の痕がしっかりと残っているが、相変わらずバムとケロの絵本を、ギュッと握りしめていた。まるで誰かに取られないように気を付けているみたいだった。
絵本をじっと見ながら、ラチャナは過去の自分を思い出していた。ラチャナにも妹がいて、年は4歳離れている。妹が少女と同じくらいの年齢の時、妹も「バムとケロ」シリーズが大好きだった。あの時の私は、いい姉ではなかったと思う。妹が泣いていたら、怒鳴り散らして、あの絵本を取り上げることすらあった。今は妹も私も成長して、関係も良好である。それでも未だに、妹が落ち込んでいる姿を見ると、あの頃の自分の弱さを思い出し、胸が締め付けられる。
「ラチャナ、いい?家族は言葉、大事。心で思う、伝わらない。全部話す、家族ね」
父はいつも口癖のようにこう言う。でもさ、言わない方が上手くいくこともあるんだよ、父さん。
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