第20話

 「お前はうちの子ではない橋の下から拾って来た子だ」か。

 面白いタイトルの本を見つけ、つい手に取ってしまった。内容は、幼少期に親からそのようなことを言われた経験がある人について統計を取った教授の、論文のようなものだった。そう言われて当時は本当に信じた、というような人や、傷ついたという人も中にはいた。思い返せば、私も子どもの頃に、近所の有名な川の近くで拾った、と父に言われた記憶がかすかにあった。本にはこのようにも書いてあった。「親がそのように子どもに言ってしまうのは、親の責任というプレッシャーから逃がれたいという、無意識的な気持ちもあるのではないだろうか」

 私の父もそのようなプレッシャーを抱えていたのかもしれない。朗らかで、いつも冗談を言って、家族の前では明るい父なのだが、きっと子育てというのは、今の私には想像できないくらい、壮絶な戦いがあったのだと思う。しかし当時、「拾ってきた」と言われても、それを間に受けることはなかった。なぜなら私の父はネパール人で、私の顔は、父と瓜二つと言われるほど似ていたからだ。見た目や名前で、外国人だと思われることは、時に耐えがたい苦痛をもたらすこともあり、私の父がネパール人ではなくて、私の見た目が「普通」の日本人だったら、と考えたこともあったが、やはり私は「ラチャナ」であるし、「普通」でないことが、私の強みであると今は感じている。

 そのような思考に至ったのは、大学に進学して以降だったと思う。高校までは、狭い教室で朝から晩まで勉強詰めの毎日で、一日をこなすのに精一杯だった。当時はクラスメイトとの距離が物理的にも心理的にも近すぎて、常に何かに疲弊していた気がする。もちろん学んだこともあって、集団行動が極端に苦手だったのだが、人をなるべく不快にさせず、共同生活を営む術を身につけられたのは、きっと今後の人生の糧になる。それでも、当時のことはあまり思い出したくないし、同じ生活を再び強いられたらと思うと、胃が痛くなる。

 進学先の大学は、試験日程が多く、全国で試験場所が用意されていることもあって、日本各地から学生が集まってくる。いろんな地方の方言がキャンパスを埋め尽くすのも、この大学の特徴である。私の高校は進学校で、この大学は「滑り止めで受験するかしないか程度の偏差値」だと、就職指導の先生には言われたが、全国各地から生徒が進学するという情報に惹かれて、第一志望で受験を決めた。父には「もっと偏差値の高い大学を狙え」と反対されたが、半ば強行突破で進学を決め、埼玉の実家から、電車で30分ほどかけて通学している。

 大学で初めて講義を受けて思ったのは、広くて、あらゆる人がいる場所だということだ。いつも独り言を呟きながら歩いている人、政治問題について署名運動をする人、お酒とギャンブルに走り、家賃を滞納している人。外国人留学生も活発に受け入れており、多種多様なバックグラウンドを持った人が集い、それが実に心地のいいことだと気付いた。ここでなら私は、普通に囚われることなく、生きていくことができる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る