第18話

ああ、まただ。重低音の、何かを叩く音が、耳の奥に鳴り響いている。半年前に、この音が聞こえたときは、部屋の中だったので、隣人がドラムかなんかを持ち込んでいるのだと思っていた。夜中に何日も続き、腹が立ったので、管理人に訴えようとしていたら、図書室にいる時にも、その音が聞こえてきたのだ。驚いて周囲を見渡すが、もちろん誰もドラムや楽器を持っている人はいない。もしかして、と思いトイレの個室で耳をふさいでみると、例の音は、まだ続いていることに気がついた。

 どうやらこの音は、自分の体内から発せられている音らしい。初めてその事実を知った時、そんな馬鹿な話があるかと思ったが、確かに耳をふさぐとその音はより鮮明になるのである。何か体内で、とてつもなく大きな変革が起きている、そう確信して、きっとここに答えはないだろう、と思いつつもインターネットを漁ったのだが、ものの数分で答えは出た。「耳鳴り」だったのである。そう、誰もが聞いたことのある症状の一つだ。弁解しておくと、耳鳴りは初めての経験ではない。冷たいものを食べた時にキーンとなるやつだったり、高いところに急に上るとボーっと音がなるなど、あらかたの経験はしている。しかし、何かを叩くような重低音が耳鳴りとして現れたことは初めてだったのである。そのような種類の耳鳴りがあるとは思ってもみなかった。

 耳鳴りだと分かって一安心したのもつかの間、その症状がずっと治らないのだ。特に、夜中に電気を消して、寝ようとすると耳鳴りがして、それが気になってしまってなかなか眠れない。耳栓をしてみたが、体内から発されている音なので、当然音は消えない。むしろ鮮明に聞こえてしまい、逆効果だった。何日もそれが続き、いよいよどうにかしないと、と思い対処法をネットでいろいろと調べた。病院に行った方がいいのかもしれないが、自分のことを逐一報告しなければいけないという行為が苦手で、よっぽどのことがない限り、病院に行くことはなかった。最後に行ったのは、1年前で、大きめの蜂に刺されて、腕が2倍くらい腫れたときだったと思う。なのでまずは自分で治療法を探してみることにする。

 今日は木曜日なので2限の授業から1日が始まる。最高気温が9,7℃の都心の寒さに耐えるため、今シーズン新調したウールのPコートを首まで詰めて外に出る。通学しているのは、東京でそこそこの偏差値の大学で、オープンキャンパスが楽しかったのと都心を堪能したいという欲望のままに進学を決めた。地元は青森の田舎町で、東京にあるものの10分の1くらいしか手に入らない。ネットでたいていの不便は解消できる時代だが、いつでも身近に「ある」ということが、こんなにも刺激を与えるものだとは気付かなかった。このPコートも、アメリカ海軍にコートを納入しているフィデリティというブランドの製品で、吉祥寺の店舗で実際に何度も試着、検討して手に入れた代物だ。

 学科は、「比較文化学科」といって、あらゆる国や地域の文化を学び、日本や自文化との比較などを行う学科である。必修単位が、他の学科と比べて少ないことから、「ヒマ文」と呼ばれており、4回生である同期生のほとんどは、単位を取り終わっていて、卒論さえ提出すれば卒業は確実となっていた。だけど僕は、前期に2コマをやっとの思いで取り終わり、後期に2コマの単位を取らなければいけなかった。そのうちの1コマは、アルバイトを優先してしまい落とし、また別の1コマは、校内で一番奥の5号館で講義があり、行くのが億劫になり落としてしまったものだ。要するに、世間一般的な怠惰な学生の一人である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る