第12話

芝生の上をコロコロとボールが転がり、地面に立ててある枠の左手前で止まった。毎週水曜日の朝は、特に何の遊具もなく、閑散としたこの公園も騒がしくなる。東京都内で、都心へのアクセスも良いのだが、数年前に政府が行った「都市人口再分配計画」の対象地区だったので、住民の多くは、優遇措置を受けるために地方へと移住していった。残ったのは優遇措置の対象外となる高齢者や、この土地への愛着があった地元住民たちで、平均年齢は78.6歳だ。独居老人の増加に伴い、孤独死や高齢者の孤立が注視されている。人口の集中化を抑えるために起こした政策で、また新たな社会問題が生まれているのだから、皮肉なものである。

「ああー、もう少し右だよ、右へ行けって言っている」

ボールを打った本人である常田大五郎が大きな声を上げてくしゃくしゃに顔を歪める。御年75で、後期高齢者の仲間入りを果たした常田だが、パンチパーマにサングラスというガラの悪そうな姿は20代の頃から変わっていない。加えて煙草で潰してしまったらしく、淡が絡まったようなガラガラの声をしており、彼のことをよく知らない人は、距離を取りたがる。かくいう自分も、この町に一人で引っ越してきてから、町内の集まりなどに参加する前は、常田の家の前を通るのを避けていた。延岡公大は常田と同い年で、同じ町内に住んでいたのだが、最初に常田を見たときは、この町に来たことを後悔したほどだった。昔、常田に似ている地元の不良にカツアゲをされた記憶が蘇り、引っ越しを考えたほどだった。しかし、町内の集まりに参加してみると、常田はこの町がよりよくなるように、真剣に考えていつも案を出していたことが分かった。先週町内で起きた詐欺事件についても、「俺の目が白内障になるまでは、この町で悪事を働こうとする奴は絶対に許さん」と老人ギャグを飛ばしながら、怒っていた。50代の頃に離婚したらしく、一人暮らしの家で、血管が切れたりしないかたまに心配になる。ちなみにこの町では、「パンチのでぇご」という愛称で親しまれている。

 スティックを不安そうに揺らして素振りをするこの女性は、曽根崎ヤツ子、通称「素潜りのヤッさん」だ。若い頃に伊勢で海女さんをやっていた経歴があり、地元の川で溺れていた男児を見かけたヤッさんが、服のまま素潜りで救助したという逸話から、その名が付けられている。御年70となる。いつもは度が過ぎるほど心配性な気質だが、いざとなると、誰よりも早く解決策を導き出し、周囲を助けるファインプレーを連発する。今日は強く打ち過ぎることを心配してか、第1ゲートの通過に苦戦している。詐欺事件についても、「私がもしターゲットになったら、詐欺に引っ掛からない自信はないわ」と不安を滲ませていた。数年前に旦那に先立たれて、一人暮らしをしているというのだから、より不安になっても仕方がないと思う。

 「この調子だと、また私が優勝みたいね」

豪快な笑いをあげて、未だ誰も到達していない第3ゲートに立つ73歳の女性は、神宮初枝だ。その初枝を悔しそうに見るでぇごは現在2位のようだ。

「今回は絶対、はっちゃんに勝ってやるよ、歴史を塗り替える瞬間だよ」

「万年2位のでぇごが何を言ってる」

相変わらずゲートボールをしていると性格が荒くなるのだが、いつも背中がシャキッとしていて、学級委員長のように、この町内会をいつもまとめている。この地域「5組」の組長を務めているので「組長はっちゃん」と呼ばれていると本人は思っているが、競争ごとがあると気性が荒くなり、まるでヤクザの組長みたいになるという、裏の意味合いも含められている。詐欺の件については、「とにかく個人や家庭内で抱え込まないで、町内で情報を共有しよう」という結論を出して、混乱に陥っている町内を上手く収束させた。

 かなり個性的な老人が集まっている町内会だが、みんなが集まると、毎日繰り返しだった日常が、意味のあるものに見えてきて、こういった時間がとても大切なことに気づかされた。ここに引っ越してくる前は、定年退職をして、一緒に過ごしていくはずだった妻にも先立たれ、途方に暮れていた。やることが本当になくて、毎日図書館に通ったり、趣味というわけでもなかったが、釣りをしてみたりしたが、どの時間の潰し方もしっくりこなかった。老後とは、終わりの見えない霧の中を、ゆっくり歩いているみたいなものだ。それも体のどこかが毎日悪くなっていく中で。一人でいたら、気がおかしくなっていたかもしれない。若い頃の友は、生を共有するためにかけがえないもので、老いてからの友は、死を共有するためにかけがえないものである。ここまで来たら最高の死に方をしたい。だからこそ、町内で起きた、老人を騙す詐欺事件が延岡は許せなかった。被害に遭ったのは、町内でも活発で元気印だった「白シャツのマサ」だったが、事件以来落ち込んでいて、こういった集まりにも参加をしていなかった。毎日半袖白シャツで皆勤賞だったあの正治はもういない、と町の老人たちは、暗い雰囲気を隠せないでいた。

「マサの奴、顔も見せないで何してやがるんだ」

怒るような口調で、それでも寂し気なでぇごは繰り出した。

「そりゃあ、あんな事件に遭ってしまったら、しばらくは仕方ないさ」

はっちゃんは諫めるように静かに言った。

「でも、俺だったら息子の声は間違えんぞ」

でぇごの自信満々な様子を見て、延岡は、言うなら今だと思った。

「俺も昨日まではそう思っていたんだよ」

延岡は悔しそうに、地面を睨みながら打ち明けた。

「どうゆうこと?もしかして、公さんも詐欺に遭ったの!?」

今にも泡を吹きそうな取り乱しようでヤッさんは延岡に詰め寄ってきた。

「そんな、まさか頭脳派の公さんが詐欺に遭うなんて…」

珍しくいつも明るいはっちゃんまでも、思い悩んだ表情をしている。ゲートボールどころではなくなってしまい、一同は近くのベンチに座って、話し合いをすることになった。

 そこで、延岡は昨日起きたという詐欺事件について打ち明けた。息子の声そのものだったという電話の相手に「会社で大きな失態をして、損失額を負担しなければいけない。急ぎで100万を用意してほしい」と言われた。おかしい気もしたが、会社の上司の男も出てきて、大事になっているので解決するためにはすぐに払ってほしいと急かされ、誰にも相談せず、最寄り駅に待ち合わせた上司という男にお金を渡してしまったのだと。

「最近の若い奴は、そんなひどいことが、なんでできるんだよ」

悔しそうにでぇごは声を震わせ、自らの太ももを拳で叩いた。

「ここまで必死で生きてきて、死ぬ間際まで穏便に暮らしたいだけなのにね」

ヤッさんは目を伏せて、延岡の肩を優しくなでている。延岡は、東大卒で研究職をしていたこともあり、かなり賢いことが町内でも知られていたので、その延岡が詐欺に引っ掛かってしまったことで、それまで「自分は大丈夫」と思っていた者も、考えを改めずにはいられなかった。

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