第11話

なんてことはない。たまたま通りかかった人の中に本物のヤクザがいて、そのヤクザがちょっとばかしストーリーに影響を与えただけ。見方を変えればプロジェクトのいいアクセントになったはずだ。なにしろヤクザの演技が本物のヤクザを改心させようとしたのだから。玲奈は今日だけで30回以上、前回のプロジェクトの結果に対する、あらゆる考証をし、そのどれもが自分たちは正しいという結論を導くように上手く頭で調整をしていた。甲斐甲斐しい努力も虚しく、気持ちを落ち着かせるために飲んでいる、台湾産のジャスミンティーを午前中だけで既に10杯は飲み干している。先週、わざわざ三軒茶屋駅近くの台湾茶専門店を訪れて購入してみたのだが、もうなくなりそうだ。こんなことならケチらずに、お徳用パックを買えばよかった。電気ポットのお湯を再沸騰させるために事務用机の椅子から立ち上がる。最近は長袖でいても少し肌寒いくらいだ。喚起のために全開にしていた窓を閉める。ポットの電源ボタンを押し、気分転換にちょっと横になるか、とソファへ移動しようとしたら、

「こんにちわーーっ」

はきはきとした口調で大きな声が玄関に響いた。その声の主は、ずいぶん目線を下にしないと見えなかった。

「まりちゃん、お帰りなさい!どうだった?」

慌てて迎えに行くとランドセルを背負った、いや背負われている女の子は満面の笑みで答える。

「完ぺきだったよー」

胸を張って答えるその姿は誰かと重なって見えた。その誰かは今や別人のようだが。一か月前、劇団うまずらの存続が危ぶまれるような大事件が起こったが、結局上からの報告もなく、あの事件は問題ではないと判断されたのだろうか。こうして依然と変わらずミッションをこなしていっている。この大事件に関わる案件で神宮まりは華麗なデビューを飾った。

彼女は母親たっての希望により、5歳のころから子役として様々なオーディションを受けさせられていた。しかし、カメラの前に立つと何もできなくなる彼女は、どのオーディションも総落ちしてしまった。「娘の晴れ舞台をみる」という夢半ばで、母親は、まりが小学生になる前に癌を患い、亡くなってしまった。落ち込んでいるまりに、何か習わせることで気を紛らわせてやりたいと思い、祖母はまりに、なにかしたいことはあるか聞いた。すると、演技がしたいのだと話したのだ。確かに最初は母の夢であった演技の道だが、一緒に母と芝居の練習をする時間はとても楽しく、自分の夢にもなったのだそうだ。その話を聞いた祖母は劇団を思い浮かべた。この祖母こそが、劇団うまずらの最年長、神宮初枝だったのだ。初枝はまず玲奈に相談した。事情を聴き、プロジェクトのことを話さずとも、演技の練習としてごまかせるのではないかと考えた。しかし問題は父親だ。よくわからないような変な劇団に、かわいい一人娘を通わせることを許すだろうか。

 そこで後日、父親と面談することになったが、なんと父親の優(すぐる)も、この劇団に加入したいと言ってきた。自分も妻の死から立ち直り切れずにいるので、娘とともになにか変わらなければいけないと思ったという。そうは言っても演技ができなければ話にならないので、一度玲奈が演技試験の場に立ち会い、二人の実力を確認することにした。

 彼女の類まれなる演技力はすぐにわかった。まずは力試しと、最近話題の、犬の言葉が分かる双子のドラマの一話のシーンを再現してもらうように台本を渡した。後日演技をしてもらう予定だったが、まりは、台本を読んで数分で、やってみたいと言った。キュー出しをお願いされ、玲奈は呆気にとられつつも、その場で演技試験をすることにした。カウントが始まると、一瞬で彼女の周囲の雰囲気が変わった。別人格の演技をしているというよりかは、もともとその内面にあった性格を上手く引き出しているような気もする。思わず話を聞いてみると、カメラの前だとどうしても緊張してしまうのだという。だがここではそんな心配は無用だ。カメラのない、道の全てが舞台だからだ。今はまだ粗削りなところもあるけど、いつしかこの子はきっと、日本の演劇界を背負う女優になる。そう確信し、ますますいい台本を作らなければ、と気を引き締めた。

 思わぬ収穫は続いた。父親のほうは、まさに凡人が似合う演技力があった。凡人を演じるということは、簡単なようでかなり難しく、特徴を隠せるのは才能の一つだ。その証拠に、テレビで見る脇役は毎回決まった人ばかりで、脇役の逸材が発掘されるのは貴重なことなのだ。というのも、「普通」という存在は、大衆の中に確かな一定のイメージがあり、そのイメージは人によって少しずつ異なっている。ベン図のように、それぞれの円の重なった部分を見つけて演技ができるのは、人を観察する力が誰よりも突出している証だ。優には仕事があるので、休日に参加してもらうことにした。これまで個性が強かったうまずらだが、優の加入で、台本の幅を広げることが可能になった。

 こうして最高の状態で挑んだ最高傑作が「歌舞伎町の少女と荒れた夜」だった。まりの年齢も考えて時間帯は19時にして、念のために普段は事務所で待機している玲奈が現場を監視するという万全の体制で挑むことにした。しかし、あの事件は起きてしまった。急なことで、怖かっただろうとまりには何度も謝罪をしたが、当の本人は、けろっとした様子で

「おっちゃんの腕にね、怪物がいたんだよ。あれ、クレヨンで落書きしたのかなあ」

と言っていた。何もされなかったとはいえ、劇団員を危険にさらすようなことになってしまった。これも全て私の責任である。今後は台本ももっと安全性を考えて練ろう。脇が甘かった自分を内省しながらまりの止まらぬおしゃべりをうんうんと頷きながら聞く。

「そういえばね、おばあちゃん、最近変なんだよ」

眉を八の字にして佐々木を見つめてきた。ここ2週間ほど、初枝は劇団に顔を出していない。加入してから毎日のように事務所を訪れていた初枝にとっては、とても珍しいことだった。

 息子の優に聞いたところ、知り合いがオレオレ詐欺に遭ったらしく、その対応に追われているのだと言う。初枝は面倒見がいい性格で、町内会などの集まりでは、決まってみんなの意見をまとめる役割を買って出るらしい。年も年なので、無理しないでほしいと優は思っているらしいのだが、劇団で初枝を見ている玲奈は、そういうみんながやりたがらないことでも、楽しめるような、粋なところがあるから大丈夫ではないかと内心思っていた。

「あっ!おばあちゃんの足音だっ」

まりは走って玄関に向かった。ドアを開けると、いつものように息遣い荒い初枝が立っていた。

「…お久しぶりね、みんな元気でやってる?」

玲奈は急いでお茶を淹れ、初枝のお気に入りの深緑色の湯呑みに注いで渡す。落ち着かせるように、ゆっくりとお茶を飲みながら、初枝は決心はしたように言った。

「どうしても解決しなきゃいけないことがあってね、それで、みんなの力を貸してほしくて」

玲奈はこれまで見たことのない真剣な初枝の様子に驚きつつ頷く。まりは、不安そうにおばあちゃんの腰に抱き着いていた。初枝は続ける。

「ありがとう、玲奈ちゃん、まりも。…今回は私が台本を作ってもいいかい?」

いたずらっ子がするような笑みをにやりと浮かべ、初枝は玲奈とまりを見つめた。

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