第9話

小林兄弟は予想以上にこの役に適応していた。昨日からずっとそこにいたように、歌舞伎町の夜にすっかりなじんでいたのだ。よっしゃ。これは最高傑作間違いなし。玲奈は出会い系バーの入り口の影で興奮を隠しきれずにいた。普段は事務所でメンバーの報告を待つのだが、今回は台本の出来が素晴らしかったので、いてもたってもいられずこうして舞台に乗り込んだのだ。それに今日はいつも以上に注意しないと。まだ夕食時ではあったが、あの子のことを考えて警備を厚くして挑んだ。この場所にこの台本は、かなりリスクがあるのだけど、どうしてもここでやり遂げたかった。  歌舞伎町、やくざ、夜。劇団としては史上最高の舞台で、台本の制作はいつも以上に盛り上がった。役を嫌がる信二を除いて。話し合った結果、最近問題となっているホームレスチルドレンを取り上げることにした。流れとしては、ヤクザに人身売買されそうになる子供と、それに立ち向かう青年。ヤクザに拉致されそうになるが、周囲にいた人が弁護士であり、逃げるヤクザと、無事助かる子供と青年、といった具合に決まった。最後の展開についてはかなり議論になり、ドラマチックにしたいという蒼汰が、殴られるシーンを熱望したが、国による依頼で暴力はまずいということで、最終的に却下された。

 しかしここまでみんなで話し合って練った台本は久しぶりかもしれない。メンバーのみんなも、今回のミッションに期待を抱いているのが感じられた。はやる気持ちを抑え、舞台を見守る。ちょうどこれから弁護士役の、まりの父が現れる予定だ。ふと、玲奈は視界の隅に映る人物が気になった。体格が良く、黒いスーツを着た男だが、雰囲気からしてどうやら本物のヤクザのようだ。男は不意に小林兄弟のもとへ向かう。何か話しかけているようだ。まずい、劇団員はみな繰り返し練習し、リハーサルでも十分の出来だったが、あくまで台本の中だけだ。これまで周囲の人が介入してくるようなことはなかった。こういった場合に彼らにアドリブ能力は備わっているだろうか。

 しまった、うかつだった。このような事態は、以前より想定される出来事だったのに、対策を練ることができていなかった。玲奈は自省しつつ、祈るように彼らを見守った。このプロジェクトがばれてしまえば、劇団うまずらが解散するのは当然のこと、メンバーがどうなってしまうのかさえ分からない。なんせ国家機関が絡んだプロジェクトなのだから、それ相応のペナルティがあるに違いない。どうか、みんなを助けてください。汗を握り見守っていたが、突然やくざらしき男が、まりを抱きかかえ、蒼汰の手を引いて走り出した。それは一瞬のことで、すぐに視界から消え、玲奈はその場に呆然と立ち尽くすしかなかった。解散の二文字が頭をよぎった。今後起きるかもしれない、あらゆる不吉な結末を必死に否定しながら、赤いネオンの文字が点滅する様子をひたすら見つめていた。

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