第8話
ふと背中から若い男の声が聞こえた。
「かわいいね君。迷子なの?」
その声の主を、男は振り返らずにはいられなかった。青いTシャツが眩しく、爽やかな笑顔をした青年だ。この場所には似つかわしくない、純朴な雰囲気に包まれている。
「おい、お前だれやねん。今お嬢ちゃんとワイが話してんの見えてるやろがい」
「かたぎのモンは引っ込んでろ」
二人組は鋭い目つきで牽制した。この辺りはちょうど警察の見回りが行われない場所で、それ故に、裏取引などのきな臭いことが横行しており、そこに目をつけて例の計画の実行場所としたのはいいが、この騒動では警察に知られるのも時間の問題ではないだろうか。警察に見つかった時の対応も念のために用意しておいた。警察組織内には、こちら側の人間が潜り込んでいる。その中の何人かに、今回の計画については話を通している。もし、何か問題が起きても、上手くごまかすように言ってある。いつの時代もギブアンドテイクの関係性は変わらない。頼むからもう少し静かにしてくれないか、そう内心思ったが、青年は日和らずに、堂々とした口調で切り返す。
「この子の知り合いではなさそうですね。こんなところにいては危険なので警察に連れていきます」
二人組は警察という言葉で一瞬ひるんだが、再び睨みを利かせ応答した。
「なんやて、わてにそないなこと言うてええんか?自分、裸になりや。生きたまま石膏被せて美術館にでも展示したろか」
「そいつは傑作だ。俺たちが見といてやるから、自分で型取りしな」
青年は今にも二人組に連れ去られそうだった。彼らに介入できるとしたら、今しかない。分かってはいるのだが、足がすくんでしまう。二人組に絡まれることに対してはなんの恐怖心もないのだが、この場に及んで、他人の視線が気になるのである。もともと、まっとうな日の下で生きる生活からは脱落してしまったようなものだ。テレビドラマでは同業者たちが英雄のように扱われることもあるが、現実は俺みたいなやつばっかりだ。 群れの中にいるからこそ、威張り散らすことができるのだ。これじゃ一匹狼どころか、行き場を失った孤独な渡り鳥である。
渡り鳥は、群れで移動する際に、一番風の抵抗を受ける先頭を交代し合いながら、進んでいくそうだ。鳥でさえも支え合いながら生きているというのに、自分のいる組織は、そのような助け合い精神は、完全に破綻していた。自分や、後輩たちにばかり仕事が振られ、遠くない未来では、自分が楽をするために、誰かに仕事を押し付けるのだろう。
ふいに全てが馬鹿らしくなって、今すぐ帰りたくなった。なんで自分は今こんなところで面倒に巻き込まれて、自分は何をしようとしているのだろう。全てがくだらない、どうせくだらない世界なんだ。それでも、視線の先の青いTシャツは、ピシッとアイロンされていて、しわ一つ見当たらない。その青年の生き様を表しているかのようだった。
男は青年に、過去の自分を重ねて見ていた。小学生高学年になったころだった。当時初恋だった同じクラスの少女とともに砂場で絵を描いて遊んでいた。今の姿からは想像がつかないが、あの頃は体も弱く、いじめられてばかりだった。ある放課後、砂場に向かおうとすると、中学生の男達が彼女を取り囲んでにやにやしていた。助けに行かないといけない。頭ではわかっていたが、まだ幼かった男にとって中学生が巨大な怪物のように見えた。足の震えが止まらずに、一度背を向ける。彼女はか細い声で
「助けて・・・」
とつぶやいた。
時を経て、その言葉は今、幼い少女から発せられている。小さな声だったが、はっきりと聞こえたその声で男は我に返った。ここで逃げ出したら、この先ずっと後悔する。自分は今、そういう重大な選択の時を迎えているのかもしれない。当時は今より幼く、体も弱かったが、四十にもなって、それから俺は、何も成長してないじゃないか。青年に視線を戻すと、かすかに足が震えていた。このような状況には慣れているような素振りだった彼も今、戦っている最中なのだろう。もし、戦う時があるのだとしたら今ではないか。男は行動することを決心した。一瞬だけでも、あの頃の自分に戻ったような気がした。弱くても、強い自分に。
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