第8話これが日常の朝

「ただいま」


小さなアパートの一室。そこは異世界に転生する前に住んでいた所とよく似た家だった。


扉を開けたらすぐ近くにあるキッチンと、ぼんやり明るいリビングが見える。


そして小さい部屋の中で存在感のある大きめのテレビと、それを眺めながら酒を飲み干す大人が一人。


「おお、遅かったな。快斗」


タバコの煙を漂わせ、酒臭い息を吐きながら振り向いたのは、快斗の同居人である茨城胡桃だった。


彼女は快斗の視線に気がつくと、すぐにタバコの火を消して、


「ほら、お前の分もあるぞ」


「俺は未成年ですよ。飲みませんって」


「そうか?お前はたまに私を羨ましそうに見るから、とっとこうと思ったんだが」


「俺があんたを見るとき、決まってあんたがタバコ吸ってんの気づいて言ってます?」


快斗は酒が好きなのではなくてタバコが嫌いなのだ。


独身の茨城先生は、まだ若くて可能性があるというのに、体に悪いものをよく取り込む。


酒、タバコは昔かららしいが、最近は競馬もハマり始めたようで、手の付けようがないクズになりつつある。


そんな彼女を怪訝な目で見つめると、


「なんだよぉ!!住まわせてやってんだからこれくらい許してくれぇ!!」


「いいですけど、俺の制服に匂いがつくんですよ」


「それはすまない……というか、お前制服どうした?ボロボロじゃないか」


「む」


快斗の背中から掛けられた言葉に快斗はため息をついた。それは青仮面によって切り裂かれた際に服が裂けた跡のことを言っているのだろう。


体は治っても、服までは直らない。


快斗は今、背中と肩が避けた制服を着ていた。


「初日からこれかぁ?頭のいい転入生が聞いて呆れるぞ」


「返す言葉もない」


「明日は他のやつ来てけよ。ブレザー着てなくてよかったなお前。じゃあ、これは捨てとくから」


茨城先生は快斗の破れた制服を脱がせてゴミ箱に投げ入れた。


勿論下着まで切り裂かれていたので、それも捨てたのだが、茨城先生は快斗の上半を見下ろして、


「お前、いい体してるよな」


「ヨダレ垂らすな。淫乱教師め」


「な!?住まわせてやってるんだから少しくらいいいだろう!?」


「良くねぇよ犯罪だ!!」


もう夜中の2時半を超えた。だというのに、この生徒と教師はこんなふうにぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる。


明日、というより今日も学校があるのだが、2人はそんなことお構い無し。快斗はともかく、茨城先生は絶対に後悔するが、辞められない。


「お前といると楽しいな、快斗」


「早く寝ないと、肌に悪いですよ」


「いいんだよ、どうせ貰い手もいないし」


歯を磨き始めた茨城先生が寝室に歩いていくのを見送り、快斗は風呂に入る。


湯気を立てる浴槽を横目に、シャワーを浴びるだけで済ませる快斗は再びため息をついた。


「まさか──戻ってくることになるなんてな」


現代の変わりようと懐かしさ。そして、置かれた状況の複雑さに、快斗は嫌気がさして、ベッドに寝転がって目を閉じた。


異世界からの帰還。その初日は、これで幕を閉じた。


~~~~~~~~~~~~~~~


「遅刻するぞぉ!!私が!!」


「行ってきます」


「行ってらっしゃい!!」


朝。快斗は支障のない時間に目覚め、きちんと支度をして玄関に立った時、ドタバタと音を立てながら駆け回る茨城先生が顔を出した。


長い髪がボサボサになって、必死に快斗の用意しておいた朝食を貪る姿を見て、快斗がいない時はどうしていたのだろうと不思議に思う。


「早くしてくださいね」


「あー快斗!!ちゃんと書道&イラスト部の体験行ってこいよ!!」


「行けたら行きます」


曖昧な答えを残し、快斗は扉の外へ出る。


眩しい日差しが差し込む不快感に目を瞬かせた時、目の前の人物に驚いた。


「……俺に関わるなって言ってきたのはお前だったよな?」


「えぇ、でも気が変わったの」


そこには、腕組みをしてイラついた様子の白亜がカバンを持って立っていた。


「あんたの家って、意外と近いのね」


「なんで場所知ってんだよ」


「鏖間につけさせたのよ。さぁ、学校行くわよ」


「なんで先導してくるんだ?お前」


黒く長い髪を揺らし、凛とした立ち振る舞いで快斗をエスコートしようとする白亜。そんな時、快斗の後ろの扉が勢いよく開いて、


「忘れてた!!快斗!!これ入部届けな!!」


だらしない格好の茨城先生が飛び出し、大声を発しながら快斗に入部届けを差し出した。


その声に振り返った白亜は目を見開いて、


「先生?」


「んん?なんで黒峰がここにいるんだ?家近かったか?」


「えぇ……それより、なんで天野の家から出てくるんですか」


「ここが私の家だからだ。はいこれ持ってけよ」


「分かりましたよ」


無理やり入部届けを渡され、快斗は渋々受け取った。見てみると、既に『書道&イラスト部』に入部を希望すると記入されていた。


「ズル」


「と、とりあえず、早く行くわよ天野!!」


「朝から騒々しいな双方」


文句を垂れながら入部届けをカバンにしまう快斗。イライラしながら快斗を睨む白亜。そんな高校生2人を交互に見て、茨城先生はニヤリと口元を歪めて、


「お前ら、初日でそこまでの関係を……流石、顔が私の好みなだけあるな!!快斗!!」


「黙れ淫乱教師」


「先生、私と天野は断じて先生が妄想するような不純な関係ではありません。断じて」


「そんなに嫌いなのか?」


「はぁ……行くぞ」


白亜の言うことに快斗を憐れむように見る茨城先生。余計なお世話でしかないので快斗がため息をついて通学路を歩いていく。


その後を慌てた様子でついて行く白亜。そんな教え子2人の背中を見送る茨城先生は少し微笑んで、


「なんだ、嫌われてなさそうでよかった」


そう呟いて数秒後、8時のアラームが鳴って、茨城先生は教師として遅刻が確定したことを悟るのだった。

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