第五十七話 アレグトン その四

 憎い、憎い、憎い!

 悔しい、悔しい、悔しい!

 僕は自室に戻り、ベッドにうつ伏せに倒れ込みました。

 目からは悔し涙が溢れ、頭の中では廊下で起きた出来事が繰り返し思い返されていました…。


 あの男を殺してやりたいほど憎い!

 あの男さえいなければ、ミュールは僕の物だったのに!

 ミュールの幸せにあふれ返った感情も、僕に向けられなければならないものです!

 ………そんな事は、僕の単なる妄想だと言うのは分かっています。

 ですが、そう思わなくては僕が壊れてしまいそうです…。


 ミュールの事を思い返すと、僕に対して好感情を向けてくれた事は一度たりともありませんでした…。

 心配や、貴族の僕に対する恐れなどといった感情ばかりでした。

 それでも、他の人達から僕に向けられる感情に比べれば、僕がミュールを好きになってしまうくらいには良かったのです。


 ステラウィッチ学園に来てから、僕に向けられるのは悪感情しかありませんでした。

 毎日辛い日々が続き、何度も家に帰ろうか悩んだほどです…。

 ですが、ステラウィッチ学園では家で学べない様な事が色々あります。

 僕はそれらの多くを学び、父が安心して僕に家を継がしてくれる様な大人にならなくてはなりません。

 それすら、僕は他の人達に邪魔をされて、まともに学ぶ事が出来ませんでした…。

 そんな時に僕の前に現れ、僕の心を救ってくれたのがミュールだったのです。


 ミュールと出会ってからの日々は、ステラウィッチ学園に来てから初めてとなる幸せな日々でした。

 授業を受けに行っている時のいじめは変わりありませんでしたが、昼食と夕食時にミュールに会えるだけで僕の心は安らいでいきました。

 ミュールが傍に居てくれれば、僕はどんな辛い事があっても耐えられるし、どんなに邪魔されたとしても勉強も頑張って行けます。

 そう言う日々が続いて行けば、ミュールの感情がどんなものだとしても、僕が勘違いして好きになるのは仕方のない事だと思います。

 勘違いなのです…。

 勘違いだと分かっていても、僕がミュールに救われたことは事実ですし、ミュールの事が好きな事には変わりありません。

 この気持ちに嘘偽りはなく、ミュールがあの男の妻だと分かった今でも、僕はミュールが好きなのです…。


 あの男から無理やりミュールを奪い取る事は簡単です。

 お金で強制的に僕の専属使用人にし、家に連れ帰ってしまえば、あの男も追って来る事は出来ません。

 ですが、そんな事をしてしまえば、ミュールに嫌われてしまう事は間違いありません。

 それと、父からの信頼を失ってしまう事になります。

 父は曲がった事が大嫌いですし、そんな事をした僕に跡取りを任せてはくれないでしょう。

 僕は父の跡を継ぐために今日まで頑張って来ましたし、今日からも頑張って行くつもりです…。


 本当なら、ベッドにうつ伏せになって落ち込んでいる時間は僕には無いのです。

 今直ぐ起き上がって、午後の授業を受けに行かなくてはならないのです。

 ………。

 今は起き上がる気力さえ出ず、悔しさに涙を流し続ける事しか出来ません。

 僕はこの日、陰鬱な気持ちを抱えたままベッドで過ごし続けました…。


 翌日からは何とか気力を振り絞って、授業に参加しました。

 ですが、相変わらず邪魔をされますし、僕自身授業に身が入りません。

 食事は自室に持って来て貰えましたので食べる事が出来ましたが、ミュールはあの日以来来てくれなくなりました…。

 ミュールに迷惑を掛けたのは僕なのですから、当然の事です。

 ミュールを一目見ようと食堂に顔を出した事もありますが、ミュールを見つける事は出来ませんでした。

 それどころか、食堂にいた人達から一斉に嫌悪や怒りの感情を向けられてしまい、僕は急いで食堂から逃げ出しました。

 嫌悪や怒りの感情は、常日頃から僕に向けられているので気になりませんが、それがミュールから僕に向けられたらと思うと怖くなったのです。

 ミュールに嫌われたと知ったら、僕は二度と立ち上がれません。


 廊下をトボトボと歩いていると、偶然にも窓から遠くにいるミュールの姿を見つけました!

 僕は急いでミュールの所へと駆けよって行ったのですが、ミュールが見える所まで行った所で足を止めました…。

 ミュールがあの男と一緒に居て、幸せにあふれる感情をあの男に向けていたからです…。


 ステラウィッチ学園で、僕の心が癒える事は完全になくなったと悟りました…。

 授業も邪魔をされてまともに学べず、心の休まる場所もありません。

 授業を途中で投げ出して家に帰れば、父からも見捨てられるはずです。

 僕の家には幼いとはいえ、弟がいます。

 跡取りは劣等な僕より、優秀になる可能性のある弟でも良いのです。

 父は僕が駄目だと分かると、弟に期待するはずです。

 僕は家を追い出され、どこかで野垂れ死ぬ事になるかもしれません…。


 僕はこのまま、ステラウィッチ学園で授業を受け続ける気力がなくなりました…。

 家に帰っても父から見放されるのであれば、いっその事…。

 僕は首を強く左右に振り、その考えを否定しました。

 まだまだ僕は頑張れるはずです。

 僕は気力を振り絞り、授業を受け続ける事にしました…。

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