第三十話 美女と美食の宿屋 その四

 寒い冬が明け、温かな春となった。

 まだ朝晩は冷え込む日もあるが、過ごしやすくなってきた。

 ミュリエルも仕事に慣れて来たし、このままこの宿屋で仕事が続けられればいずれお金も貯まり、家を買ってミュリエルとの約束を果たす日も来ることだろう。

 神様から与えられた使命を果たしてはいないが、そんなのはもうどうでもよくなっている。

 ミュリエルと幸せな家庭を築き、安定した生活を送っていければ、それが一番いい事だと思う。


 この宿屋の裏に食事をしに来ていた子供達も、誰一人として欠ける事なく冬を越せたみたいで安心した。

 私一人では出来なかった事だが、ルベルと女将さんの協力が得られて本当に良かったと思う。

 子供達を保護して育ててくれるような孤児院があればよかったのだけれど、この町にはそんなものは存在しなかった。

 この町は広くて栄えているし、町を治めている町長が作ってくれれば助かるのだがな…。

 今まで作られていないと言う事は、町長にその気は無いと言う事だろう。

 私に財力があれば良かったのだが、生憎自分の生活を支えて行くだけで精一杯だ。

 悔しいがそれが現実で、私に出来る範囲でやって行くしかない。


 それから数日が過ぎ、朝の食事を宿屋の裏に持って行くと、珍しく子供達の姿が無かった。

 何か事情があって遅れているのだろうと思い、食事をテーブルの上に置いたまま仕事に戻った。

 仕事が一段落つき、子供達の為に置いた食事の食器を下げる為に裏に行ってみると、食事は野良猫たちに食い散らかされていて、子供達が来た様子は無かった。

 食い散らかされていた食べ物を掃除し、食器を厨房に持ち帰って洗いながら、ルベルにその事を伝えてみた。


「そうか…」

 ルベルは私から顔を背け、一言つぶやいただけで仕事に戻って行ってしまった。

 もしかしたら、ルベルは子供達が来なかった理由を知っているのだろうか?

 そう思ってルベルを問い詰めて見ると、一つため息を吐いてから重い口を開けてくれた。


「あれは去年の今頃、同じように子供達が来なくなった時期があった。

 気になって妻に、お客からそれらしい噂が無いかと聞いて貰ったんだが…。

 子供達が来なくなったのは、この町の町長ランドニー様が町の治安を守るために浮浪者達を捕らえたからだ、と言う話を聞いた。

 この町の西の端には浮浪者の溜まり場になっている場所があって、治安が悪いのは間違いない。

 子供達も、その付近をねぐらにしていたのだろう」

「つまり、ここに来ていた子供達も捕らえられたと?」

「恐らくな…」


 ルベルの話によると、子供達は町長によって捕らえられたそうだ…。

 何の罪も無い子供達を捕らえるのは許せないが、浮浪者の溜まり場が危険なのは事実だ。

 町長として、危険を排除しようと言う行いは評価できるが…。


「以前捕まった人達はどうなったのですか?」

「処刑されたと言う噂も聞いたが、真実かどうかは分からない。

 それともう一つ…」

 ルベルはそこで一度大きく息を吐き、思い詰めた表情をしながら言いかけた続きを話し始めた。


「ランドニー様は、この町から街道を西に半日ほど行った場所に別荘を持っていて、そこに捕らえられた犯罪者が連れて行かれているのを目撃した者が何人かいる。

 その別荘は厳重に警備されていて、犯罪者はそこで処刑されているそうだ。

 それと、近くを偶然通りかかった者の話によれば、ランドニー様を乗せた馬車が別荘の中に入って行った後で、人々が拷問を受けている様な悲鳴を聞いたらしい…」

「そ、そんなことって…」

 私は両手を力一杯握りしめ、あふれ出て来る怒りを何とか静めようと努力した…。


「最初に気休めにしかならないと言っただろう。子供達の事は忘れて仕事に集中してくれ」

「………」

 ルベルは子供達の事は諦めろと言っている…。

 それが正しい選択だろう。

 宿屋の主人とその従業員では、どうする事も出来やしない。

 町長の別荘を襲撃して、子供達を助ける義理は何一つないのだからな…。


 だが、本当にそれでいいのか?

 浮浪者と言うだけで捕らえられた子供達を助けなかったら、私は一生後悔する事になるだろう。

 馬鹿な事だとは頭では分かっているし、助け出した後どうすると言うのだ?

 町長を襲えば、この町、いや、この国にはいられなくなるのは間違いない。

 それどころか、捕らえられればまた処刑されるに違いない。

 ミュリエルはどうする?

 前回、ミュリエルを守って助けてくれたシャリーは居ない。

 十人の子供達とミュリエルを連れての逃避行は、困難を極めるだろう。

 旅の途中で魔物に襲われれば、私一人で全員守る事など出来やしない。

 それでもなお、私には子供達を見捨てると言う選択肢はない!


「ルベルさん、今までお世話になりました!」

「そうか…」

 ルベルは、私がそう判断すると言うのが分かっていたのか、少し俯きながら一言だけ言って仕事を再開していた…。

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