エピローグ

 自分のやってきた事を、正義だと思った事は一度も無い。

 例えどれだけの悪人であろうとも、誰かの命を自分の裁量で奪う行為が、正当化される事はあり得ない。

 悪人と同様に、自分の考えを押し付けて相手の命を奪っているのだ。

 正義に成り得る事は無い。

 だがしかし、それでも、私は救われた、と言われた。

 思えば、面と向かってそう言われたのは初めての事だった。

 命を奪うよう依頼してきた人間は、誰もが結局やるせ無さに壊れていく。

 壊れ方は様々だった。人を殺すように依頼した自分は、結局人殺しのやつらと変わりないのだと絶望する者もいた。相手が殺されたことに喜んだ後、結局最愛の人は戻ってくることはないと絶望する者もいた。

 これまで長く戦ってきたが、今回のように命ある状態で連れ出せたことなどそうは無い。そして、連れ出せたとしても…世界を憎み、全てを憎み、人道を無くしていた。

 地獄を見て、もしくは地獄に放り込まれ、人間でいられるものか。

 それは、壊れ方が違うだけで、自分と変わりないように思った。

 人の闇に触れ、人の闇に堕ちてきた人間だ。そうして、人としての大切な何かが欠ける。

 仕方ないだろう。

 クズは、どうあっても許せない。

 壊れるのは、仕方ないだろう。

 だが、あの娘は違った。

 おれの行為は間違いであると認めながら、それでも救われたのだと真っ直ぐだった。

 正義ではなくとも、あなたに救われる人はいるのだと。自分がその証人であると。

 あれだけの血生臭い現場を見せつけられて、よく言えたものだと思う。

 あれだけの現実を突きつけられて、よく壊れなかったものだと思う。


 救われたのは、自分の方だとすら思える。

 自分が赦される事は無いが、寄り添うと言ってくれたのだ。

 闇に堕ちて行く自分の、共犯者になるということだ。

 自分はもう鬼になってしまったと思っていたが、それでも心の片隅に隠れていた希望。

 それもそうだ。おれの原動力は怒り。その怒りが生まれた、原動力のさらに奥。

 それは、幼き頃に優しき母と過ごしたこと。そして、優しき父と歩んだ穏やかな日々があったから。

 だから、誰かが隣にいてくれないかと、きっと心の果てに指を引っ掛けていたのだろう。

 かつての、自分が。


 共犯者になってくれると言ってくれたが、あの娘が自分と同じようになってもらわなくてもいい。ならないでほしい。壊れないでほしい。

 隣で照らす、光になってくれたらそれで良い。

 そうなってくれたなら、これほど嬉しいことはないだろう。

 自分は影だ。

 いずれ闇に溶けて消えるところだったが、あの娘が来てくれたから、光が見え始めたから、影はまだ大切な形を保ったまま存在していける。

 地獄に垂れた白い糸。

 もしあの娘が救いあげてくれていなければ、自分はどうなっていたのだろう。

 ドクターがかつておれに言っていた。このまま進めば、おれは始まりの大切なものを失くしてしまう、と。

 昔は、それで構わないとも思っていたが、今は少しだけ違う。

 ドクターの思惑通りになったのかもしれない。

 救われたと初めて言われて、ほんの少しだけ、誰かの為に生きたいと思えた。誰かの笑顔を守りたいと思えた。

 自分の中の燃え盛る炎のみで動くわけではなく、自分以外も頭の片隅によぎるようになった。

 あの娘がおれの隣に立ち続けると言うのなら、おれはあの娘を守る為に全力を尽くすようになるだろう。

 おれのことを見守り続けてくれたドクターのことも、少しは恩返しをしてやらねばならないだろう。

 …こんな事を考え始めてしまうとは、全く、女の勘とやらは中々侮れないものだ。


 ああ、そういえば、笑ったのはいつぶりだっただろうか。

 随分久しぶりに頬の筋肉が上がった気がする。


 おれの生き方はもう変わらない。

 おれはこれからも命を奪い続ける。

 いつか、この凄惨な行いを、裁かれる時が来るだろう。

 おれは、誰よりも惨たらしくその命を終える事になるはずだ。

 だが、もしこんなおれでも死んでしまった時に泣いてくれる人が出来たなら。

 もしこんなおれでも誰かの笑顔のために戦うことが許されるとするならば。

 もしこんなおれでも、救える人がいるのならば。

 おれの人生には、意味があるのかもしれない。

 おれの人生に、意味が出来るかもしれない。


 母さん

 父さん


 ぼくはまだ、こんな世界でも生きていたいと思えています。

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