第21話

 眩しい程の蛍光灯。壁は白く、光をより強調している。蛍光灯のスイッチは、真っ黒な男達が入ってきた出入り口に一つと、院長のいる壇場の付近、別室に向かう為の出入り口に一つ。

 整然と並ぶ長椅子は木製で、少しばかり優しい薫りがするのは年季が入っているからだろうか。

 それなりに広い講堂で、その死闘は始まった。

 院長が、さぁ行けと指示を出した。その瞬間、大男は恐ろしい程の速度で真っ黒な男に向かって突進した。その巨体からは、想像がつかない程の急進。と思えるだろうが、真っ黒な男はそれを予想していた。それもそのはず。巨体ではあるが、大男は脂肪で大きく見えるのでは無く、筋肉が浮き彫りになるほど隆起している。であるならば、瞬発力が凄まじいことは容易に想像出来るものだった。持久力や長距離移動には不向きの可能性があれど、超短距離、超短期戦が不得意な事はあり得ない。

 真っ黒な男は、大男が膂力でねじ伏せにくることも予想していた。これだけの巨体、そして相手との体格差、これなら小賢しい手を使うよりも真っ向勝負のがやりやすいだろう。

 全力の猛進。方向転換も出来ない程の全力。

 利用しない手は無い。

 既にこっそりと、右手に用意していた拳銃を早撃ちガンマンの如く撃った。相手は巨体、頭を下げてタックルを仕掛けてきている。頭に当たれば重畳、胴体に当たり内臓に達すれば儲け物、腕や足でもその後の動きを阻害するに十分。

 ドラマや漫画のように、素直に拳同士の肉弾戦をやる義理は無い。躊躇無く撃った。

 かくして、弾丸が命中した場所は左肩。

 あともう少しズレていれば頭に当たり、勝敗は決しただろうに、運が無かった。

 不運は続く。

 本来、普通の人間であれば弾が当たったその衝撃と反動で勢いは落ちる。最低でも怯むのが当然。しかし、大男の殺意衝動は衰えること無く、真っ黒な男に衝突した。その衝撃はまるで大型のトラックのように。

 真っ黒な男は咄嗟に後ろに跳んで衝撃を緩和しようとしたが、圧倒的なパワーに吹き飛ばされた。長椅子に当たる。長椅子が砕け散る。破片を撒き散らしながら勢い止まらず壁に激突した。

 真っ黒な男は舌打ちをしながら立ち上がる。その足はたたらを踏んでいた。タックル自体は予想通りの威力だったが、拳銃で撃たれて尚も全く勢い落ちずというのは予想外。人間としての思考を削ぎ落とし、恐怖を感じない獣とはこれ程に厄介なのかと辟易する。

「ははは!こいつは痛みにも耐性があってね!今ので殺せなかったのは残念だね!」

 院長は愉快そうに声を上げた。

 真っ黒な男は、右手に持っていた拳銃に目を向ける。銃口が少し歪んでいた。これではもう使えない。

 鈍器として利用するにしても、大男には良い手とは言えない。そう判断して、銃はその場に捨てた。重厚な音が講堂に響く。捨てる時に振った右腕が重い。身体全体へのダメージが大きすぎて、倦怠感が凄まじい。さらに、左腕にはより激しい痛みを感じた。元々ヒビが入っていた左腕だ。どうやら先程のタックルで完璧に折れてしまったらしい。左腕を前に交差したのは失敗だった。咄嗟に受けたのでそこまで頭が回らなかった。これでは左腕も使えない。

 真っ黒な男は左腕を垂らしたまま、息を整えようとする。背中を強打した影響からか、息もしにくく、平衡感覚も少しぶれている。

 お互いに、たったの一撃。

 しかし大男は左肩が動かしにくいというようにしているだけで、真っ黒な男は片腕も近代兵器もお釈迦になった。

 痛み分けには程遠い。

 その様子に、遠くで眺める少女は顔が青ざめ、院長は愉悦を浴びているような恍惚とした表情だ。

「おやおや、黒いの。君、左腕折れてるね。腐っても孤児院の院長だから、傷を隠してもわかるもんさ。子ども達はよく色んな事を隠そうとするからね」

「…うるさいやつだ。誰でも見てわかる事を得意気に喋るな」

 実に楽し気な院長の野次に、真っ黒な男は煩わしそうに反論した。その声に、いつもの余裕は窺えない。

 仕事中は常に音と気配を発さないように心掛けていたが、荒々しい息とよろめく足がそれを許さない。

「獣そのものか…。面倒だ」

 真っ黒な男は、下に転がる木の破片を手に取る。諦めるという選択肢が頭によぎる事は無い。無理矢理に息を吸って脳に酸素を送る。次はどうする。どうすれば殺される前に殺せる。頭に浮かぶのはそこから枝分かれする思考のみ。

 体重差が何十キロとあるだろう。真っ黒な男が大男にダメージを与えるためには、道具を駆使するか、全体重を乗せる攻撃を急所に与えるか、相手の力を利用するか。

 木片は丁度良い具合に砕けている。殴りつける棍棒のような物ではなく、杭のように刺せる物を選び、右手で握りしめ、それを大男に向けた。

 突進をしようものなら利用して刺す事は可能だが、刺してもどうせ止まらない。その場合、被害はこちらの方が大きくなるだろう。

 後手に回れば、やられる。

 そう判断し、真っ黒な男は姿勢を低くして駆け出した。

 左腕が痛む。無視。

 少しよろける。無視。

 大男が獣のように殺意を向けるように、真っ黒な男も鬼のように、命を刈り取ることに容赦は無い。

 近付く黒い影に、大男は臆する事なく飛び掛かった。半壊した長椅子の合間をすり抜けて真っ黒な男は走る。時折身体が椅子にぶつかろうとも気にしない。それに対し、大男は長椅子を破壊するかのように着地。

 ストンプだ。

 爆ぜる椅子に立ち込める煙屑。人間がその足の下敷きになれば綺麗に足形が取れるだろう強烈な一撃。

 しかし、それを甘んじて受け入れるわけもなく。

 その足下の煙が大きく揺らめいで晴れた。ストンプを見切り、僅かな隙間でありながら真っ黒な男は巧みに滑り込み、避けていた。スライディングの後、這う形で大男のふくらはぎに木片を突き刺し、さらに、体勢を変えて這いつくばったまま真っ黒な男は刺した木片を蹴り上げた。

 深く突き刺さった木片、揺れて血潮を四方に飛ばし、傷は大きく重くなる。

 痛みに強いと言えど、限度はある。大男は堪らず咆哮し、膝をついた。真っ黒な男がその隙を見送るはずが無い。黒い影は跳ね起き、勢いそのまま空を舞う。かつてヒーローを倒した一撃。胴回し回転蹴り。全体重と遠心力を乗せた踵は、大男の脳天を直撃し、顎は大理石の硬い床へと叩き壊した。

 大男の顎は砕け、歯は割れ、口から血が噴き出す。

 そのまま追撃を続けようと動き出そうとしたところで、大男は強引に腕を振って黒い影は弾き飛ばされた。

 今度は長椅子を壊す勢いはなかったが、それでも真っ黒な男はほんの少しの間、足が地を離れた。またも背中に長椅子が当たり、潰れた息が喉を無理繰り押し通る。こう何度も前も後ろも攻め立てられては堪らない。

 しかし、今回の攻防は明らかに大男の方がダメージを負っている。勝負の天秤がどちらに傾くかはまだわからない。

 刹那には状況が全て変わる戦い。そして一つ一つは、あまりに重い。

「…食いしばれず、足の踏ん張りも使えず、腕力だけでこれほどか。バケモノめ」

 もやのようにゆらめきながら立ち上がる黒い影。整えたはずの息がまた荒くなっている。今度は肩も動かして、苦しそうに。身体全体を使って呼吸をしなければ酸素を補給出来ない程ということだ。

 真っ黒な男は、無意識に胸に右手を当てた。

 予想以上の力で殴られた。左腕は防御に使えず、右腕は立ち上がろうとしていてガードが遅れた。大男の振った前腕が胸部に直撃し、息が激しく乱れた。もし拳が当たっていたならば、間違いなく肺は潰れていただろう。

 恐ろしさに震える事はない。運が良かったと神に感謝する事もない。勝つ事のみを考える、極限の集中状態。

 対する大男も、長椅子に手をかけながら立ち上がる。閉じれない口から血はぼたぼたと落ちて足元に玉模様を形作り、太いふくらはぎに刺さった木片から滴り落ちる液体は血溜まりを作り始めた。左肩に受けた銃創のせいで、思うように腕を上げられず、血走る目が怒りを表す。大男も同様、目の前の真っ黒な敵を殺す事しか頭にない。

 お互いに満身創痍。決着はもうすぐそこにあることを、大男は本能で察し、真っ黒な男は頭で理解した。

 お互いの攻撃をどちらが先に決められるか、だ。

 大男ならばどんな攻撃方法でも当てれば勝ちだろう。しかし、真っ黒な男は違う。真っ黒な男が勝つためには、強烈な攻撃で無ければならない。現時点、受けているダメージは大男の方が大きいかもしれないが、勝てる条件に関しては大男の方が圧倒的に緩い。

 一手、工夫する必要があると真っ黒な男は思考する。

 実際、ここに来るまで連戦をしている。日を跨いでいるとは言っても、人身売買グループとの戦いで、防弾装備越しではあるがその身に銃弾を何発も受け、左腕は元々ヒビ入り。その状態でヒーローとの一悶着で二回程綺麗に投げられて、受け身は取っていたものの、コンクリートの上に叩きつけられている。碌に休めないまま連日の疲労を背負い込んで孤児院に突入した後は、正面からトラックのようなぶちかましをくらって、左腕は完全に折れ、背中は木製の椅子が砕けるくらい強打した。二回も。

 身体への負担は計り知れない。正直、今だって気力で立っている状態だ。真正面から挑む事など出来ない。

 一瞬、隙を作るしか無い。

 即座、真っ黒な男は、大男に背を向けて走り出した。大男は機敏に反応し、痛む身体に鞭を打って追いかける。

 大男は、真っ黒な男が逃げ出したと感じたのだ。大男は獣同然。素早く逃げ始めた『獲物』には、体が勝手に、反射で追い始める。真っ黒な男に何か意図があってなどと考える余地は無い。そもそも、大男は獣同然であったからこそ強かった。

 真っ黒な男は、講堂の出入り口に辿り着くと、ある物に触れた。

 その瞬間、全てが見えなくなった。

 電灯のスイッチを押したのだ。

 視界が暗闇に包まれて、大男は一瞬混乱するものの、止まらずにまだ瞼に残る真っ黒な男がいた位置に突進した。

 壁に激突。肉を潰した手応えは無い。

 大男は周りを見渡そうと顔を振っても、暗闇の中では一切の意味が無い。それもそのはず。先程まで煌々と輝く白い光の中で戦闘を続けていた。綺麗に掃除されていた清廉な白い壁に反射していた程の光に慣れた目が、暗闇の中で働くわけがない。己の足どころか手すら見えぬ漆黒。大男は、自分の鼓動と荒ぶる息のせいで余計に心がざわつくのを感じた。

 どうすればいい。本能が告げるのは、とにかく動くしかないという結論。

 そうして、動き出そうとした瞬間、大男の耳に突然痛みが走った。左耳の鼓膜が破れ、血が流れ出た。

 視界とともに、身体がぐらつく。上手く力が込められない。

 原因は無論、真っ黒な男だ。真っ黒な男は、電灯を消してすぐさま突進を避けた。そして慌て始めた大男の左耳に、右の手の平をお椀型にしてぶつけた。手の平の窪み部分に空気を貯め、打ちつけた際に空気圧で三半規管がダメージを受ける。上手く炸裂すれば鼓膜も破壊される。強い痛みとともに平衡感覚を奪うことが出来る。

 イヤーカップという技術。

 平衡感覚を失い、顎が砕け、足の踏ん張りは効かない。この状態では、いくら大男の筋肉量が尋常でなかったとしても弛緩し、防御力は必然落ちる。未だ暗い視界の中で、自分の世界が揺れ始めた事に大男は気付くが、もう止める手立ては無い。

 漆黒と同化した黒い影はそのまま、中段に向けて蹴りを放った。斜め下からの三日月蹴り。どれだけ頑丈な人間であっても崩れ落ちる位置、肝臓に深く突き刺す危険な蹴りを容赦なく放つ。

 大男の口から血と唾が混ざり合う、苦しげな短い息が飛び出た。撃たれたり、切られたり、刺されたり、鞭などでぶたれるのとは全く違う感覚。内臓を打たれるとはこうも痛く、気持ちが悪くなるものなのかと文字通り痛感した。

 黒い影の動きはまだまだ止まらない。

 崩れ落ちようとする大男の胸倉を右腕で掴み、背を向けた。変則の、片手背負い投げ。

 やられるがまま、重心など全く定まらない相手ならば造作も無い。黒い影は、大男を頭から大理石の床に落とし込んだ。

 何かが崩れ割れる音を暗闇に響かせ、ドシャッと地面に倒れ伏した。音の出元から、ドロドロと液体が流れ出す。

 ハァハァと、一人分の荒い息が暗闇の中でこだました。

 致命の一撃、勝敗は決した。であろうというのに、それでも黒い影は止まらず、倒れ伏す大男の股間に手を伸ばし、その睾丸を握り潰した。

 大男の体がビクンと跳ねる。

 跳ねた。まだ、生きているかもしれない。

 平衡感覚を失おうが、顎が砕かれていようが、機動力を失われていようが、失神するほどの痛みを頭から内臓にかけて受け、遂には頭を割られたのだから、動くことなどあり得ないはずだが『こいつは、まだ生きているかもしれない』。

 だから、真っ黒な男は寝っ転がる大男の頭を掴み、何度も何度も床に打ちつけた。硬い床に溜まった血溜まりの中心、そこにただただ機械のように。

 

 何度も、何度も。

 

 院長が慌てて、へっぴり腰のまま壇場を転がり落ちてでも手探りでようやく、自分側の近くの電灯スイッチを押した。視界に明かりを取り戻した時には…。

 ドス黒い血溜まりの中で死に絶えた大男と、もはや人間とは思えない黒い修羅がそこにいた。

 真っ黒な男は、肩で息をしながら、しんどそうにゆらりと立ち上がって、そして終わりを告げた。

「…おれの勝ちだ」

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