第19話

 怪しげな雰囲気を醸す奥室、アルコールと煙草のにおいを充満させた席で向かい合う男二人。

 一人は、ふくよかな体型に特注のスーツを着る者。もう一人は、全身を真っ黒に染めた奇怪な者。

 彼らは、談笑することも無く、静かに話し合っていた。

「救護の地孤児院は、黒だ」

 真っ黒な男が呟くと、向かいに座るオーナーは紫煙とともに短く、辟易とした息を吐いた。

 苛立ちを見せるように、紙煙草が凹む程強くトントンと叩いて灰を落とす。

「こっちも、調べてみたらどうにもきなくさい部分が出た。孤児院には、定期的に子どもの引受人が現れる。これ自体は別に良いんだが、引受人の戸籍を調べてみると、存在しない者がたまにいるんだ。善良な表の世界に流れられる子も多くいるみたいだが、時折、消息を追っても掴めない子どもがいる。それなりに長い期間を空けてたまーにしれっと売っているから引っかかりにくい。姑息で、卑劣だ」

「聞き出した話と一致するな。人身売買グループのやつらは、お得意先であり、文句を言われたとも言っていた。だとすれば、既に狙われる可能性があるという情報は孤児院にも伝わっているだろう」

「迎え撃つ準備はしているだろうな。ま、こういうやつらは元々しているだろうけどな。救護の地孤児院、昔どこかで聞こえてきたことがあった気がしたんだわ。表向きは善良でありながら、底には地獄が溜まっている孤児院があるらしい、ってよ」

「なるほど、隠された『地獄の孤児院』か」

「あぁ、随分面白いネーミングセンスだよな」

「全く笑えん」

 真っ黒な男は怒りを溜め込むかのように背を丸めた。片手で顔を覆い、震える息を絞り出す。

 オーナーも、面白いなんて言いながら口角は上がる事なく、紫煙を長く吐き出した。

 苦い煙が宙を舞い、消えることなくまとわりつく。

「危うく、うちは有能な駒を失いかけたし、受けた依頼の、本来の標的にプレゼントをお返ししそうになったわけだ」

 オーナーが面白くないのは、子どもが売られていることでは無い。彼にそんな正義感は無い。

 許せないのは、人身売買グループと件の孤児院が自分の持つ駒を消すように依頼をしたこと。そして、たまたま助け出した少女を取り戻そうとされたこと。

 最初に、子どもの買い手を殺しに向かわせたのは自分だとすると、オーナーから喧嘩を売ったことになるわけだが…。

 喧嘩を『買われた』という事実。それはつまり、別に手を出し返しても大丈夫だろうという舐めた自信。舐められた事実。

 この男はただ単に、自分が軽んじられたということが許せないだけだ。

 しかし、裏で生きる者にとっては、それが重要な事であるのも真実だった。

「ふっふ…。今回は、お前が依頼してきた形として金も貰うつもりだったし、勝手に、さっさと終わらせてこいとでも思ってたが…。調べた情報はやる。後処理もちゃんと段取り付けといてやる。共同だ。金はいらないから、ねじ伏せて、後悔させてこい。嬢ちゃんを大事に守って、表に返してあげるなんてよりかは、断然得意だろ?」

 オーナーは、シニカルに、片側だけ口角を上げる。

「ああ」

 真っ黒な男はその笑みを受け止めて静かに立ち上がり

「その通りだ」

拳を固めたまま、店を後にした。



 ドクターのアパートで色々と話をしていると、ドアからノックの音が耳に入った。

 数瞬待った後、ドアが開いたかと思うと、外の空気が室内に流れ込む。空気と共に入ってきたのはクロさんだった。

「おかえり?」

 ドクターが声をかけると、クロさんはドクターの方を向いて一言「帰る場所など無い」と答えた。

「それで、孤児院にはどうアプローチを仕掛けるの?」

 ドクターが新しいコーヒーをカップに注ぐ。コーヒーの香りが改めて部屋に充満した。そういえばいつでもコーヒーを飲んでいる。好きなんだろうか。似合うけれども。

 それに、ドクターが寝てるところって見たことない。コーヒーは流石に関係してないかな。

 全然関係ないことを考えている私を置いて、クロさんとドクターの会話は続く。

「夜、侵入して院長に聞くべき事を聞く」

「いつも通り、奇襲気味に突っ込んで、不器用に解決するんだね。決行はいつ?」

「明日だ」

 ドクターはカップに口付けながら片眉を下げた。眉間に皺が寄る。そのままカップの中の黒い水を見つめ、その後私の方を見て、最後にクロさんの方を見る。

「明日?君、左腕にヒビが入ってるんだよ」

「孤児院のお得意先を潰したからな。逡巡していれば逃げられる」

 クロさんはそう言いながら、コートのポケットに手を突っ込み、札束を取り出して机に置いた。

「なにこれ?」

「おれは、単独で孤児院に向かう」

 つまりは、依頼料のようなものだろう。クロさんは、私をここに置いて、独りで片を付ける気なのだ。

 ドクターはその行動に嘆息し、口を開きかけた。でもそれは、私が言うべきだから、私が答えることにした。

「クロさん、私も行きます」

 私の言葉に、クロさんが怪訝そうにこちらを向いて首を傾げた。

「…孤児院だぞ。どこのかは、わかっているはずだ」

「はい、もちろんです」

「…何をするかも、わかっているはずだ」

「はい」

 私は答えて、真っ直ぐクロさんを見据える。

 しばし視線を交錯させた後、クロさんは短く息を吐いた。その息は、ため息だったのか判別が付かない。

「…おれから離れるな」

 クロさんは札束を掴み、コートのポケットにそのまま突っ込み直した。

 その様子を見て、少し嬉しそうにしていたドクターは、自ら発言した私に対してなのか、それとも素直に受け入れたクロさんに対してなのか。

 もしかしたら、どっちにもなのかも。

 私は立ち上がり、クロさんにお辞儀する。

「よろしくお願いします!」

 クロさんは、怒りのままに戦う復讐者だと思う。それは間違いない。そして、その怒りのままに人の命を奪う。

 だから、正義の味方なんて事はあり得ない。


 だけど、クロさんは、必ず誰かの怒りの代行者だった。

 この方法で、誰かの命を奪って誰かが救われるなんて、絶対に間違っているけれど。

 クロさんの行動は間違いなく『悪』だけど、クロさん自身を『悪人』とは決めつけられないもやもやとしたもの。

 悪と善、黒と白、その境界線。

 混じり合って、歪んで、もう判然としない。

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