第3話
目を覚ますと、私は知らないアパートの一室にいた。
「おや、目が覚めた?」
声をかけられたので顔を向けると、女性が椅子に腰掛けてコーヒーを飲んでいた。
黒髪の長髪、眼鏡をかけた端正な顔立ち、白衣を羽織り、下は黒のシャツに短いスカート、胸元の開き具合から見える谷間、豊満な胸。羽織っている白衣越しにでもわかるお尻の主張。鼻腔をくすぐるのは花の香り。
信じられないくらい綺麗な女性がそこにいた。
「ここは、どこですか…?」
思い出すのも悍ましい。私は何処かの拷問部屋で、ある男性からそれはそれは酷い仕打ちを受けていた。数日間の拷問の末、ある日慌てて拷問部屋にやってきたかと思うと、強い衝撃とともに意識を失った。多分、というか間違いなく頭を殴られたのだと思う。
その後は、気付いたらこのアパートだ。血と痛みに溢れていた拷問部屋から一転、今は薬品とコーヒーのにおいが充満する部屋に変わっている。そして良い香りのする綺麗な女性が隣に座っている。混乱したって仕方がないと思う。差が激しすぎて、目の前の光景が信じられないくらいだ。
身体に少し痛みを感じたので見てみると、包帯が巻かれたり、ガーゼなどが貼られていた。
「これは…」
「酷い怪我だったからね。手当てしておいたよ。色々質問があるだろうけれど、先にこちらの質問に答えてくれるかな?」
綺麗な女性は、優しく微笑みながらそう言った。
どのみち、私に拒否権などあるはずもない。
私は、こくんと頷いた。
「まずは自己紹介をお願いしてもいい?出来るだけ詳細にしてくれると嬉しいな」
綺麗な女性の言葉に、私はすぐさま答えた。
「はい。私の名前は、白戌糸(しろい いと)です。15歳です。近日、高校に通う予定でしたが、あの方に『魂の解放』として助けていただけるよう取り計らっていただき、現在はその為に努力しているところです。肉親はいません。小さい頃に私は捨てられたようです。孤児院で育ち、孤児院を出て高校に通いながら一人暮らしをしようと思っていたところであの方に助けていただきました。私は浅はかな考えで、社会のつらさをよく考えずに一人暮らしを始めようとしました。その時に助けていただき、あの方には感謝しかありません。また、これまでの人生は良いものとは言えませんでした。そこで、解放してくれると言ってくださったあの方には、やはり感謝しかありま」
「わかったわかった。大丈夫、大丈夫だよ」
自分の事を語れ、と言われた時、私は迅速にこれらのことを、とにかく喋らなければならなかった。いや、今回などよく喋らせてもらった方だ。いつもなら、怒号とともに体に痛みが走るか、笑い声とともに痛みが走るか、それによって言葉が途切れるのだった。
たった数日間で、染み込まされたものだ。
「これは、結構重症だよ?」
綺麗な女性が、私から視線を外して玄関ドアの方を向いた。気付かなかった。ドアの近くには、壁に背をもたれさせて腕を組んでいる、全身真っ黒なコーディネートの男性?がいた。
文字通り、全身だ。顔まで黒の覆面で覆われている。
「…そうか」
「そうかって…あのねぇ、君が連れてきた患者だけど、私は治療しかしないの。その先は、君にどうにかしてもらわないと」
「精神異常だろう。治療しろ」
「君が言う…?そういうことならやるだけやるけど、追加料金もらうよ。いやでも、彼女を元の孤児院に連れて行った方が良いのかな?」
「おれに聞くな」
言い合いが終わったかと思うと、真っ黒な男は顔をこちらに向けた。ハットはめちゃくちゃ深く被っているし、何より覆面だからどこが目かはわからないけれど。
ジッと見られ、息が詰まる。
医療器具の機械音と、時計の音がやけに大きく聞こえる。ゆっくりと鳴る秒針とは裏腹に、鼓動はやけに早くなる。
何か答えないと。早く。
どう答えたらいいかわからない。
もし『逃げ出したい』と答えてしまえば、どうなるのだろう。
この人達は、本当に味方?それとも、試されてる?
「どう?正直に答えてくれていいんだよ。帰りたい?」
綺麗な女性がそう優しく話しかけてくれる。
でも、この考えを持ってしまっている時点で、私は駄目な子なのではないのだろうか?
「あ、あ…」
息がどんどん出来なくなっていく。やっぱりそうだ。私がこんな考えを持ってしまったから。息が。息を吸うなんて簡単な事すら。私は。ごめんなさい、ごめんなさい。
「ちょっとちょっと。落ち着いて息を吐きなさい。吐ききって、吸おうとしてー、深く吐いてー…。短く呼吸しないとしんどいよね。でも大丈夫だから。さぁ、吸ってー…」
綺麗な女性が肩に手を置きながら、優しく喋りかけてくれる。
落ち着かないと、落ち着かないと。
お願い、落ち着いて。
「ハァ…ハァー…ッ」
少しずつ、呼吸が安定する。
「…重症だな」
その様子を眺めながら、真っ黒な男がそう呟いた。
その声は冷たいようで、だけど奥底がほんのり温かい気がした。
「寝かせろ」
「いや、寝れないでしょ。それに、私のところに長くは置いておけないよ。ここには表も裏も厄介な人間が運ばれてくるのは君もよく知ってるじゃない。君が拾ってきたんだし、君が何とかしなさい」
「助手をとれ」
「弟子にしなさい」
「治療はまだ終わっていないだろう」
「心の問題よ。すぐ治る可能性もあれば、死ぬまで治らない可能性もある。普通は長期的な見通し。定期的に君が様子を報告するか、連れて来れるのならそうした方が良いかな」
「…弟子など、余計心が壊れる」
「そうかな?私はそうは思わないけど」
「何故だ」
「女の勘」
「話にならん」
真っ黒な男は、深くため息をついた。
激しくはないけれど言い合い。ともすればいらない子を押し付けあうかのように見えるが、何故かそんないやらしさは感じられなかった。どちらも、私のことを想っての会話に感じた。男性の方に関しては特にぶっきらぼうだけど、何となく。
「元の孤児院に帰すしかないな」
「…それがベストかもね」
綺麗な女性はそう言って、私に向き直った。
綺麗な茶色い瞳に見据えられ、私はどきどきする。
吸い込まれるような瞳でありながら、包み込むような優しい眼差し。
「あなたがいた孤児院ってどこかな?場所は覚えてる?」
「はい。救護の地(くごのち)孤児院というところです。場所も覚えています。ただ…」
「ただ?何か問題があるのかな」
「いえ、その…」
私が口篭っていると、真っ黒な男が催促する。
「言いたい事があるなら言え」
その口調と言葉に、私はビクッと身体に力を込めた。
命令だ。私はすぐに答えた。
「帰れるのは、嬉しい、んだと思います。でも、少しだけ、何か怖いんです…」
綺麗な女性は、その言葉を聞いて顎元に指を添えた。
難しい顔をしていたかと思うと、幾分して重々しく口を開いた。
「元の日常にすぐ戻るのも怖いってところかな。平穏から地獄に一転、その後すぐにって言われてもそうなるよね。落差が激しすぎて、精神状態がより不安定になることはままあるよ。まぁでも、彼について行ったってそれはそれはすごい日常になってしまうけど。とりあえず、数日間だけでも君が見てあげたら」
「数日間ならここでいいだろう」
「その話は受け付けません。拾ってきた責任を最後まで持ちなさい」
真っ黒な男は、またも深いため息をついた。
「あ、あの…」
「ん?どうしたの?」
私の小さな声に綺麗な女性が反応してくれる。その笑顔はいつ向けられてもあたたかい。
「お名前を…どうお呼びすればいいでしょうか」
私からのその質問に、女性はさらに表情を明るくした。
「あら、いい心掛け。それが言えるようになってるだけで、あなたは今大きく進めてるよ。質問するのだって、本当は怖いでしょうに。私のことはね、ドクターって呼んでよ。…で、そこの黒い君よ。君は?私もそろそろ名前が知りたいなぁ」
綺麗な女性もとい、ドクターが真っ黒な男に悪戯っぽく笑いながら話を振る。
二人の間柄はいまいち測れないけれど、お互い随分と仲が良さそうに見えた。
名前も知らないみたいだが。
「好きに呼べ」
真っ黒な男は、短く答えた。
「つれないなぁ。まぁ私も本名は言ってないから責められないか。となると、あなたが決めていいわけだ。どう?彼のことなんて呼ぶ?」
ドクターが私に問いかけた。私は少しの間、真っ黒な男を見つめた。背を壁に預けながら腕を組み、俯いている。
特徴的な部分と言えば…。
「…クロ、さん」
「ぶふっ」
ドクターが吹き出した。
「あはは!良いね!見たまんまですごくわかりやすい!短くて呼びやすいし覚えやすい!白戌糸ちゃんと師弟になったら、黒白コンビだ!良いね良いね。良かったねぇ、クロくん!」
真っ黒な男もとい、クロさんは、ドクターの大笑いを受け止めながら今日一番のため息をついた。
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