第2話 医者として

 私は本来の仕事が好きだ。

 先日、医学部で同期だった数少ない同性の友達と呼べる存在のと、久しぶりにオンラインで話した。夏南の結婚の報告だったが、相手は私が知らない男だった。

「そんないい相手、どこで見つけてきたのよ」

 女医という呼び方は嫌いだ。嫌いだが、そう呼ばねばならない世の中よりはましだ。夏南も学生時代には同じようなことを言っていた。だが、その気持ちに変化があったのだろうか。それとも日本という国の中にいては仕方がないのか。

「女医ってさ、結局モテないじゃん? モテない職業のトップクラスじゃん?」

 日本での女性医師の共通の話題だ。看護師がモテて医師がモテないのは何故か。これには、結婚相手として、という但し書きが付くのだが。

 夏南は「女医はモテない。でも私は結婚した」ということを強調しながら、私の興味を引こうとしていた。だが、その作戦は私に対しては逆効果だ。

 私はカメラをオフにし、アルコールと塩分を多く含んだ食べ物を用意した。こんなツマミより、夏南の話はしょっぱい。

「料理好きな小説家。締め切りがあるって言っても、会社勤めの人ほど時間には縛られないし、何より仕事の愚痴も『ネタになる』って喜んで聞いてくれるし、私の食事まで用意してくれる。揚げ物が多いのは気になるけどね」

「そうなんだ。で、どこで見つけてきたの?」

 夏南は私のその質問をはぐらかしながら、相手と自分の相性の良さを語っている。今の世の中でも「秘密にしたい出逢い」などあるのだろうか。私はふと、私を「死神の手」に引き入れた男のことを思い出した。彼との出逢いなら、私も秘密にしたい。

 そんなことを考えていると、缶ビールを手に持った夏南の画像の上にメッセージが表示された。

「あ、ごめん。急患がうちの病院に回されたみたい。ちょっと行ってくる」

「うん、わかった。これがあるから女医はモテないよねえ」

「しょうがないよ。私が好きでなった職業だし」

「よく『好き』って言えるね。誇る気持ちはあっても、好きとは言えないかなあ、私の場合」

 なぜ男性医師の呼び出しが許されて、女性医師の呼び出しは敬遠されるのか。そんな疑問は今更浮かんでこなかった。夏南が医師の仕事を好きと言えない理由も知りたいとは思わなかった。

 私が医師の仕事が好きなのは、集中できるから。僅かなミスも許されない執刀は、余計な物全てを忘れさせてくれる。

 命を救うために医師になったはずの私が、いつの間にか患者の意思とはいえ、命を奪う手助けをしていることを。

 その対価として死にゆく患者から、遺族に渡るべき金を得ていることを。

 トビアスを殺したことを。

 女であることを。


 昨日も私は自分の心を透明にできる仕事をしていた。

 直接命にかかわる仕事ではない。それでも失敗は許されない。

 二時間前に行われていたサッカーの国内リーグの試合。その試合で怪我をした二十一歳のドイツ代表選手の緊急手術。膝の裏にある靱帯、後十字靱帯が断裂していた。

半腱はんけん様筋ようきんけん薄筋はっきんけんを取り出して断裂部位の再建手術を行います」

 大腿部、内側ハムストリング腱から二本の腱を取り出し、関節に穴をあけ、キラーターンと呼ばれる骨同士を縫い付けるような難しいルートで後十字靱帯を再建する。

 命にはかかわらないが、選手生命を左右する難しい手術だ。まだ引退するには早すぎる。

 電気メスやドリルを手に、生きた人間の組織を治療という免罪符の下で壊していく。

 子供の頃に、祖父や父の職業である「医者」というものをイメージした姿と、今の自分の姿とはかけ離れていた。

 問診し、患部を探し、注射をして薬を渡す。「ごっこ遊び」でしかない医者の姿は私の姿ではない。

「なんだか腰の辺りが振動でくすぐったいですね」

 うつ伏せになっている患者が、多少の強がりと、おそらくは平常心を保つために、そう口にした。

「今、再建する腱の通り道にドリルで穴をあけていますから。ちょっと我慢してくださいね。我慢できないようだったら、麻酔の範囲を広げますから」

「いや、大丈夫。我慢できますよ」

 私が顔を下げ、患者の正面から答えたのが意外だったのか、患者は顔を両腕の中に埋めてもごもごと返した。

 患者には優しく接するものだ。その思いだけは「ごっこ遊び」をしている時と変わらない。

 最後の縫合をする頃には、その患者は眠っていた。

 珍しいことではない。体力と気力を使い果たして眠っただけだ。今は静かに眠っているが、目を覚ました時に彼は絶望を感じるのか、自分の可能性を信じていばらの道を歩く覚悟を決めるのか。

「それじゃあ、私は予定手術まで医局で横になっていますので、何かあれば」

 仮眠します、眠っています、と言わないのは、私が眠らないからだ。

「はい。お疲れ様でした」

「お疲れ様」

 執刀医である私と助手、看護師たちでねぎらいの言葉をかけあう。その頃になると、私の心は透明ではなくなる。

 日付が変わって今朝の予定手術は、「死神の手」の仕事だ。眠れるはずもない。眠りたくもない。眠りに落ちて悪夢を見るのが、人の死を見るより怖かった。目覚めた時に必ず感じる絶望を味わいたくなかった。


「こちらの同意書に署名を」

 予定手術での「死神の手」の仕事。それは例外なく患者からではなく、家族から依頼された仕事だ。ここで署名される同意書に、法的根拠も効力も何もない。ただ「死神の手」と遺族とで交わされる契約。犯罪者同士の密約だ。

 そして、報酬を現金で受け取る。私が初めてその金額を聞いた時、正直安いと感じた。

 三千ユーロ。それが正規の仕事での「死」の値段だ。たったの三千ユーロ。日本円で五十万円弱だろうか。その八割が私のものになる。残りの二割が誰に渡るのかは知らない。

「それでは、先生。よろしくお願いします」

「はい、確かに」

 お金を受け取り、依頼に応える。私がこれまで家族から言われてきた「お願いします」とは同じ言葉であり、全く違う意味。

 殺すのではなく、死を与える。命を奪うのではなく、生を終わらせる。

 違う言葉であり、同じ意味だと私は知りながら、本来の医者の仕事とは真逆の仕事を淡々とこなす。

 患者の容体や病巣によって私が仕掛ける命の時限装置は様々だ。

 今回の患者は比較的楽な部類に入る。

 予定手術の内容は、糖尿病により壊疽えそが進み骨まで腐っている脚の切断。私が仕掛ける時限装置は急性腎不全を起こす薬品の投与。重度の糖尿病患者が腎不全を起こす可能性は高い。私が仕事をしなくても、このアルツハイマー病も発症している老人は、長く生きられないだろう。

 それでも家族は「早急さっきゅうな死」を望んだ。それだけ心の器に残った愛情が残り少なくなっているのだ。

「それでは股関節部での両足の切断手術を開始します」

 私以外のスタッフは、この患者の回復を信じているのだろうか。祈っているのだろうか。

 それとも足を切断しても手遅れだと悲観しているのだろうか。憐れだと同情しているのだろうか。

 この時自分の全てを押し込んだ私の心は、真っ暗な闇に堕ちていた。本来命を救うためにやむを得ず脚を切り落とすという手術の時から、死の薬を与えるまでの間、ずっと。同僚に労いの言葉をかけたあとも、ずっと。

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