1-7.彼女への手紙

 さて、手紙というものは、どのようにして書くものだったか。

 サラッサの提案を受けて手紙を書こうと思い立ったものの、結局アマルティエスは自室の机の前に座って羽ペンを握ったまま、若干茶色みがかかった紙とにらみ合ってうなっていた。どれくらいの時間が経ったかは分からないが、ともかく太陽の位置が動いたことが分かるくらいの時間だ。

 約束通りにサラッサは意気揚々と手伝いを申し出たが、まずはアマルティエスが書いたものを添削てんさくすると言われた。つまり、一旦自分で何かを書けということである。サラッサの言う通りに書くこともできるが、それではアマルティエスからの手紙にはならない。手本通りの感情のこもっていない手紙にしたいのかと言われて、なるほど一理あると思ったのも事実だ。

 ただそれは、その時は、という注釈がつく。今となっては最初から手本を書いてもらえば良かったと、そんなことをアマルティエスは思い始めていた。

「……とりあえず、名前か」

 イーリス・シュガテール様。いささか荒っぽい、けれども決して読めないわけではない字で彼女の名前を記して、アマルティエスはまたペンを止めた。

 そもそもアマルティエスは、手紙を目にする機会というものに乏しい。そのせいでごく一般的な手紙には何が書いてあるのかどころか、どんな書き始めをすればいいのかすら分からない始末である。

 領地同士の付き合いで当主の婚姻に関わる披露目ひろめの招待状などを目にすることはあるが、あれはお決まりの文句があり、その通りに書いているだけの代物だ。どこからともなく送られてくる見合いの誘いもそうで、一見すると口説くどき文句に見えても、それはあくまでもように作られているだけでしかない。つまり、今アマルティエスが書こうとしているような性質の手紙とは程遠いというわけだ。

 アマルティエス自身、個人的な手紙を出す機会などほとんどない。せいぜいサラッサやヒカノスに宛てるくらいのものであるが、そもそも彼らに出す手紙はお互いに気心知れた相手である。つまり、とてもざっくばらんというか、メモ書きに毛が生えた程度で手紙の形式にすらなっていないことも多い。まさかこれから口説こうとしている相手に、そんな手紙を送るものではない。さすがにアマルティエスとて、それくらいのことは分かっている。

「うーん……」

 シュガテールの一族は気位の高い一族である、というのがアマルティエスの勝手な偏見だった。だが、イーリス自身がそうかは分からない。むしろ彼女は、そんな風には見えなかった。何せ彼女は木登りをしているくらいで、アマルティエスの想像するシュガテールの一族からはかけ離れていた気がする。

 とはいえ、イーリスだけがこの手紙を見るとは限らない。彼の地の当主やイーリスの親が手紙を見た時に、その内容からしてイーリスを口説くに足らない男だと、縁づくに足らない男だと判断されれば、イーリスの意思がどうであれ拒絶されてしまう可能性もある。

 つまりアマルティエスは、必要以上のものを作る必要はないとは言えど、ある一定の完成度を持つ手紙をしたためねばならないのだ。

「はー……無理だな!」

 時間だけが刻々と過ぎていき、太陽は動いていく。ずいぶんと陽が傾いたところで、アマルティエスは手紙を書くことを完全に諦めた。こんなもの、アマルティエスがうなっていたところでどうにもならない。

 羽ペンを放り出して、椅子の背もたれに体重を預けて天を仰いだ。何で汚れたかも分からない天井の黒ずみの形が、どことなく食用の鳥に似ている。怒れる鳥などという名前を付けられた鳥は、つい昨日狩ってきたところだ。今日あたり食事として並ぶだろう――などと、どうでもいいことを考えていると、部屋の扉を叩く音がアマルティエスの耳に届いた。

「そろそろ書けたか?」

 興味津々といった様子を隠しきれない顔で、サラッサが扉から顔を覗かせる。アマルティエスが手紙を書いたことがないことはサラッサも承知していて、だから彼基準では長めの時間を与えてくれたのだろう。顔を出すのが随分と遅かった。

 だが残念ながら、その成果はご覧のとおりだ。

「イーリス・シュガテール様……え、これだけ?」

「悪いか?」

 開き直ったアマルティエスがふんぞり返れば、サラッサが頭の痛そうな、あるいは何か悲しいものを見るような顔をする。なんとなく腹が立って、立ち上がり彼に近付いて、弱めにその額を指で弾いてやった。

「いっ……あ、頭が割れる……!」

 アマルティエスからすれば大した力は入れていないのだが、サラッサにとっては強烈な一撃だったらしい。額を抑えて悶絶もんぜつしているサラッサは、ややあってからどうにか頭を持ち上げた。その瞳は涙が滲んでいたが、アマルティエスの相談に乗れる程度の思考回路が保てているのならば問題ない。

「予想以上……いや、予想以下の出来なんだけど?」

「知らねぇよ。手紙なんて見たこともないからな」

「あるだろ! ちょっとぐらいはさ!」

「あれは業務連絡だろ。こういう個人的な手紙とかねぇよ」

 憤慨している様子のサラッサは、さぞかしあちらこちらの女に手紙を送っているのだろう。そんなことを口に出そうかとも考えたが、ただの嫌味と八つ当たりだと飲み込んだ。

 今したいことは、サラッサとの舌戦ではない。イーリスへの手紙を完成させることだ。

「とりあえず、まずはこの前のお礼とかをだな……」

 サラッサと軽い喧嘩けんかも交えつつ、手紙が完成したのは日も暮れる時間になってからのことであった。


  ※  ※  ※


「帰りに届けてきてやるよ」

「悪いな。頼んだ」

 翌朝、サラッサは馬の背に跨って実に機嫌良さそうに笑っていた。ヒュドールまでの途上で一瞬シュガテールに立ち寄る機会があるからその時に少し道を外れて手紙を届ける、という申し出は助かるが、どうせこんなものは親切心でも何でもなく、確実にアマルティエスが気になっている女というのを見てみたいだけだろう。

 ただどういう理由にせよ、他人に預けて届けてもらうよりは遥かに信頼できる。結果、アマルティエスは深く追求せずにただ礼を言うだけに留めた。

「そういやお前、ヒカノスのとこは寄ったか」

 適当なところまで送っていくつもりで、アマルティエスはサラッサとくつわを並べた。ゆったりと歩くサラッサの馬の歩みに、普段は全力で走ることの多いアマルティエスの愛馬が不満そうに何度か鼻を鳴らし、尾を揺らしている。

「行ったけど……なんかよそよそしかったな。妹の話ばっかりしてさ」

「ああ。溺愛してるみてぇだな」

 ヒカノスのあの様子ならばさもありなん。先日目にした彼らの様子を思い出しかかって、アルティエスはその記憶に無理矢理ふたをした。

「妹の話する割に会わせてもくれないし」

「へえ?」

 俺は会った、とは言わないでおいた。

 何を考えてヒカノスがサラッサに妹を引き合わせなかったのかはわからないが、不用意に彼の興味を煽るのは良くないだろう。無難に相槌を打つだけにとどめたアマルティエスの様子に、サラッサは特に注意を向けなかった。

「美人なんだって? そんなん気になるに決まってる。ヒカノスは溺愛してるみたいだけど、どうせ政略結婚の駒にされたりするんだから、他人にもっと慣らしておけばいいんだ」

「口がきけないらしいからな。慎重になってるんじゃないか」

 ヒカノスへを擁護しているのか、それとも熱くなっているサラッサへの冷や水なのか、どちらか分からない言葉をアマルティエスは差し込んでおくが、一度気になったら案外頑固なサラッサである。ヒカノスの防壁を突破して件の妹に直接突撃する日も近いのではないか。

 そんなことをアマルティエスは考えてしまう。

「まあ、落ち着けばそのうち紹介してくるだろ」

「そうかなあ……」

 せめてヒカノスの意思に反した遭遇にならないように、やんわりと釘は刺してみたが、果たしてサラッサに届いたかは定かではない。

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