1-6.サラッサの提案

 友人であるサラッサが客としてエクスロスを訪れていたとしても、アマルティエスがすることが何か変わるということはない。日々の決められた仕事を片付け、兵士たちの鍛錬を行い、必要があれば領内を巡視する。これがアマルティエスの定められた日常の役割であった。

 流石に他の一族であるサラッサに仕事を手伝ってもらうわけにはいかず、サラッサの相手をしながら片手間に仕事ができるわけもなく、基本的にサラッサには客間で過ごしてもらうことになる。だが、領内の巡視程度であれば問題ないだろう。そもそも狭い路地であるとか、隠し通路であるとか、そんな攻め込むときに使える情報になるものを見せるわけでもない。そんな判断のもとで、アマルティエスはサラッサを連れ出した。

 サラッサはエマティノスに手紙を渡し終えてしまえば気がかりもなくなったらしく、実に生き生きとして楽しそうにいる。どれくらいかといえば、サラッサは乗馬を好まないはずなのに、「出かけるか」と聞いてみれば二つ返事でついてきた。

「お前の兄さん、相変わらず不愛想だな」

 屋敷から離れてしまえば、人の目も耳も遠ざかる。そこまで離れればエマティノスには伝わらないだろうと踏んだのか、サラッサは屋敷を離れたところでそんなことを言い捨てた。それでも素早く周囲に視線を巡らせて、兵士の一人すらもいないことを確認してから言うあたり、サラッサはよほどエマティノスが恐ろしいらしい。

 だがそのサラッサの気持ちはアマルティエスもよく分かる。だから、アマルティエスは曖昧あいまいな笑みを浮かべるにとどめた。

 賛同しなかったのは、例え誰の目も耳もなかったとしても、エマティノスには聞かれていそうな気がしたからに他ならない。そしてこれは、アマルティエスの実体験である。聞こえるはずがないと思って吐き出したことばが、どうしてだか兄の耳には入っていた。

「何の手紙だったんだ?」

 あまりエマティノスの話題を出していてもいつか聞かれそうで、少々強引ではあったが、話題をエマティノス本人から逸らした。

 もちろんこれが明後日の方向に大きく逸れていればサラッサにも不自然と思われたかもしれないが、手紙についてならばそれほど外れてもいない。おかげで、サラッサは不自然だと思わなかったようだ。

「うちの領地で首なし死体を量産するな、っていう苦情」

「ああ……」

 アマルティエスは再び、曖昧あいまいな笑みを浮かべるしかなかった。

「お前……! 兄の暴挙は弟が止めるべきだろ!」

「ああそうだな、はいはい、そうだなぁ」

 アマルティエスのその反応を、サラッサは事情を知っていると受け止めたらしい。しなやかな弧を描く眉を目いっぱい吊り上げて、ぎゃんぎゃんと吠えたてた。

 もっともこんなもの、本気でアマルティエスに怒っているわけではない。ただの八つ当たりのようなものだと、アマルティエスはサラッサとの付き合いの中で理解していた。

 実際のところどこまで知っているのかと言われれば、アマルティエスが知っているのは、エマティノスが己の過去の人間関係を清算して回っていることだけだ。それをどこで、そしてどれくらいの人数にやっているのかなど、アマルティエスは一切関知していない。

 そもそも知っていたところで、あの兄がアマルティエスの制止を聞くわけがない。アマルティエスとしては別に知りたかったわけではないのだが、エマティノスが集めたは当然ながらエクスロスの屋敷に保管されている。だから否応なくその事実を知っている、というのが正しいだろう。人間の首は腐るものだが、あれらは腐る前にどうにかしてほしい。

 そんなことを思っているところまでは、サラッサには言わないでおいた。彼は今日エクスロスの屋敷に泊まる気なのだから、生首と一つ屋根の下で寝ると知れば、サラッサは倒れるかもしれない。

「兄さんは終わったって言ってたろ。じゃあ、もういいんじゃないのか」

 エマティノスが「もういい」と言うなら、それは間違いなくのだ。

 この手の返事でエマティノスが適当なことを言うことはまずなく、そんなところで嘘をつく人間でもない。もしもまだ必要があると思ったのなら、たとえヒュドール一族からの抗議文を見たとしても、エマティノスは「まだやる」と言っただろう。

「はぁ……やっぱ、別にこんなとこまで来なくてよかったんじゃないかな……」

「こんなとこって言うな。住めば都だぞ」

 大きな溜息を吐いて、サラッサはぶつくさと文句を言っている。そんな彼とくつわを並べて街へと降りていけば、丁度市が出ているようで、いつもより人出があって賑わっていた。そんな中に馬に乗ったまま入れるはずもなく、アマルティエスもサラッサも馬から降りて、あてもなくぶらぶらと歩き始めた。

 市は定期的に開かれているものであり、エクスロスの領内では捕れない珍しい品々が揃っている。だからこその、この人出だ。

「あれは……」

 ふと目を向ければ、果物の市がある。それだけでアマルティエスの脳裏にはイーリスの姿がぎった。

林檎りんご、だったか」

 赤くて、艶やかで、そして彼女が手にしてかじっていたもの。イーリスが口にしていた果物の名前をアマルティエスが忘れているはずもなく、ぽろりとことばが口から落ちていく。

「アマルティエス様、ご存知でしたか! どうですか、おひとつ!」

 耳ざとい商人が胡散うさん臭い笑顔を浮かべて、林檎りんごをアマルティエスに勧めてきた。立場上知らない振りをして通り過ぎるわけにもいかず、アマルティエスは苦笑しながら指を二本立ててみせた。恰幅かっぷくのいい、いかにも裕福な商人らしい図体をした男は、胡散うさん臭い笑みを人の良さそうな笑みに切り替えて、注文通りにつやつやとした赤い林檎りんごを二つ、アマルティエスに差し出した。

 一つをサラッサの方へ投げ渡してから、代金を払う。ほんの少しではあるが色を付けておいたのは、エクスロスの一族として当然のことだろう。

 しばし林檎りんごを眺めた後、皮ごとかじりつく。甘酸っぱい味が口いっぱいに広がったが、あの時よりも少しばかり甘さが少ない気がした。

「おい、そのまま食べるなよ」

「上品ぶるな。こういうもんだろ」

 顔をしかめたサラッサを鼻で笑って、アマルティエスは人が集まり始めた店から離れていく。サラッサは黙ってついてきたが、いぶかしげに手元の林檎りんごを眺めていた。

「お前、林檎りんご好きだっけ? エクスロスじゃそんな見ないだろ」

「この前初めて食べた、ってか、名前もその時知った」

 イーリスから差し出された林檎りんごかじったあの時の感触が、アマルティエスの中で不意によみがえる。歯触りのいい林檎りんごの感触と、それから柔らかな指先。余計なことまで思い返してしまい、アマルティエスは思わずかぶりを振った。

 ここは外だ。詳しく思い出すのは、非常によろしくない。そんなアマルティエスを不審そうに横目で見つつ、サラッサが林檎りんごに歯を立てた。アマルティエスの一口に比べれば、林檎りんごに刻まれたのは小さなものだ。

「シュガテールで、な」

「女か?」

「よく分かったな?」

 ぽつりぽつりとそんな会話しつつ、アマルティエスはサラッサと共に街を進んでいく。

 やけに鋭いサラッサに感心してみせると、彼は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。別にサラッサのそんな態度は可愛いもので、アマルティエスとしては腹も立たない。

「そんな顔してる」

 さて、一体どんな顔をしていたのか。

 首を傾げつつも、アマルティエスは林檎りんごの最後の一口をかじる。残った芯を遠くに放り投げ、それで終わりだ。後はもう野生の生き物が種やごくわずかに残った果肉を食べて、綺麗にしてくれることだろう。

「手に入れたいのか?」

「まあな。だが、きっかけがない」

「そんなもの、作るもんだろ」

 ふうんと鼻を鳴らして、アマルティエスはサラッサを見た。自信満々に胸を張っているサラッサではあるが、そう言う彼がろくな女性関係を築いていないことをよく知っている――もっともそんなものは、サラッサに限った話ではないのだが。

 アマルティエスのことをどうこう言えるほどサラッサも色恋沙汰に精通しているわけではないだろうに、この自信は何なのか。

「例えば?」

「例えば……そうだな。手紙を送る、とか」

 さらってこいとかそんなことばが出てくることを想像していたが、思っていたよりもまともな返答だった。

 確かにそれは、一理あるかもしれない。そんなことを考えて、アマルティエスは腕を組んで唸った。イーリスに会いにシュガテールへ行く口実ばかり考えていて、手紙を出すことなど思いつきもしなかった。

林檎りんごもらったんだろ? なんかこう、お礼、とか? 適当なこと書いて送ればいいんじゃないか」

「お前、賢いな」

 アマルティエスとしては珍しく、素直にそう思った。それをその通りに口にすれば、サラッサはフンと鼻を鳴らして、得意げに胸を張る。

「ついでだ。書くの手伝えよ」

「仕方ないなあ!」

 頼られるのが嬉しい性分なことは、知っている。

 サラッサが女心を理解しているとアマルティエスは露ほども思っていないが、書いたこともない手紙について一人で悩むよりは幾分ましだろう。

 案の定サラッサは嬉しそうに、そして得意げに頷いていた。

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