1-5.もう終わった

 エクスロスに行くというのが、そもそものサラッサ目的であり、ディアノイアに長居をするつもりはなかった。気分としては大変長居をしたいし、あわよくばそれでクリュドニオンから「やっぱり届けなくて良い」という連絡でも来ないものかと思っているが、そんなものは望み薄どころか、望みなど一切ないだろうことはサラッサにも分かっている。

 だから、しぶしぶエクスロスへと発つために、ディアノイアの屋敷を出た。けれどサラッサには、どうしてもヒカノスに言いたいことはある。

「本当に会えないのか?」

「しつこい。会えないって言ってるだろ」

 ディアノイアの屋敷、その目の前。サラッサはヒカノスと何度目かになる同じやり取りをすることになった。

 当初の予定通りディアノイアの屋敷を訪れ、友人であるヒカノスとの久しぶりの語らいを楽しんだのはいい。だが彼は新しくできた妹という存在を語りこそすれ、かたくなにサラッサに引き合わせることをこばんだのだ。

 ヒカノスが妹の美しさと気立ての良さを自慢げに語れば語るほど、サラッサの興味も当然ながら募っていく。だというのに彼は自慢するだけして、いざ会ってみたいとサラッサが言えば拒否をした。

 そんな風なのだから、サラッサの腹も立つというものである。

「なんでだよ。具合が悪いとかじゃないんだろ」

「人見知りなんだ。いきなり来たお前に会って具合が悪くなったらかわいそうだろ」

「どういう意味だそれ!」

 ヒカノスとは十年来の友人なはずだが、とんだ辛辣しんらつさだ。友人で気心が知れているからこその軽口と思えばそうなのかもしれない。

 ただこれは、何もサラッサばかりが悪いわけではないはずだ。そもそも突然現れた腹違いの妹、おまけに見目麗しいともなれば、興味を引かれないはずがない。いっそ知らなければ会ってみたいと思うこともないのだが、ヒカノスは滔々とうとうと妹について語ったのだ。だからこそサラッサは、それほど美しいなら会ってみたいと思ってしまった。

 つまり、ヒカノスには何としても責任を取ってもらわねばならない。だがヒカノスは何としても会わせるつもりはないようで、サラッサがどれほど懇願こんがんしてもわめきたてても、素知そしらぬ顔で突っぱねるばかりだった。

「まったく……今度な! 今度! 絶対会わせろよ!」

「はいはい。また今度」

 何も予定がなければ、ディアノイアの屋敷に居座ってでも会わせてもらう。だが残念なことに、サラッサはどれだけ嫌だと思っていてもエクスロスに行って手紙を届けねばならない。

 つまり、二日も三日もディアノイアに滞在を続けるわけにはいかなかった。

 仕方なく後ろ髪を引かれる思いでサラッサは馬にまたがった。ヒカノスは見送りに出てきてくれたが、それは見送りというよりはサラッサがこっそり舞い戻ってきて、ヒカノスの許可なく妹に会わないかの監視のような気がした。

 どうにも、随分な入れ込みようである。

 ヒカノスから道行の無事を祈る口上を貰ってから互いに手を振り、サラッサはまた馬を歩ませ始めた。

 今までそれほど派手に女遊びをしているような噂は、ヒカノスにはなかった。好みの女の話を振っても反応はかんばしいとは言えず、サラッサはヒカノスは女に興味がないのかと懸念けねんしていたくらいだ。かといって男に興味があるかといえば、それも違う。多分人間に興味がないだろうと思っていたのに、そんなヒカノスが妹にはかなりの愛情を注いでいる。

 つまり彼は、好みの範囲が狭いのだろう。サラッサは馬上でそう結論付けた。

「だからって、なあ……?」

 鼻を鳴らして、後ろを振り返る。

 ヒカノスはとうに屋敷の中に引っ込んだようで、背後には来た時と同様にディアノイアの屋敷が静かにそびえていた。建物の中の一室で何かがちらりと動いたような気がしたが、すぐに見えなくなる。

 ヒカノスの入れ込みようは、サラッサから見ても少々行き過ぎている気がした。その出自はともかくとして、ヒカノスの妹は正式にディアノイア一族の子女となった。それはつまり、政略結婚の駒として出されることも十分に考えられるということでもある。

 友人であるサラッサにも会わせたくないほどの傾倒けいとうぶりを示しているヒカノスが、果たして妹の政略結婚が卓上にあがったとき、冷静でいられるものだろうか。

「俺にくらい、会わせてくれても良かったのにな」

 あまりにもヒカノスが自慢をするものだから、やはりサラッサもその妹が気になって仕方がない。そのうち必ず会わせてもらおうと心に決めて、サラッサは威勢いせいよく前を向いた。


  ※  ※  ※


 サラッサが久方ぶりに足を踏み入れたエクスロスの領地は、相変わらずの熱気に包まれていた。火山帯であるため他の領地よりも気温が高いエクスロスの土地は、慣れないサラッサにはひどく暑い。地面から熱気が直接立ち昇っているような、そんな気さえするのだ。

「あっつ……」

 サラッサは馬上でうなりながら、あごから滴る汗を手の甲で拭った。ヒュドール領を出る時に羽織ってきたマントは早々に脱ぎ捨ててしまったが、それでも暑い。

 心なしか、馬も元気をなくしている気がする。

「こんなもんでしょぼくれてたらここで暮らせねぇぞ?」

 丁度領内を見回っていたアマルティエスと行き会ったことは幸運だったが、彼に聞けば生憎とエマティノスは在宅しているらしい。不在だと言われたらこれ幸いと手紙をアマルティエスに言付けて引き返そうと思っていたのだが、在宅しているのならばサラッサがエマティノスに会わずに帰る理由がない。

 結果サラッサは、しぶしぶアマルティエスの後ろをついていくことになった。

 からりと笑ったアマルティエスは汗一つかいておらず、本当に同じ気温を感じているのか疑いたくなる。絶対にこんな場所で暮らすものかと誓いを立てながら、サラッサはげんなりとした声で返答をした。

「こんなとこで暮らす予定は一生ないから」

 アマルティエスは足場の悪い地面でも、容赦なく馬を走らせる。そもそもの馬の品種が違うのではと思うくらいには、アマルティエスの馬の足取りは軽やかだ。一方サラッサの馬はといえば、今まで舗装ほそうされた平坦な道をゆったり歩くことしかしていなかったので、いきなり岩場を走らされて慌てふためいている。

 時折背中にサラッサを乗せていることすら忘れているのではと疑ってしまうような動きを馬がするものだから、サラッサは手綱たづなを引いたり首筋を叩いたりして落ち着かせながら、どうにかこうにかアマルティエスの後を追った。

 そんな有様なのだから、エクスロス邸に着いた頃にはサラッサは疲労困憊こんぱいであった。ぜいぜいと肩で息をしながら落ちるように馬から降りたサラッサを、アマルティエスは呆れたような笑みを浮かべて見下ろした。

「情けねぇな」

「野蛮人と一緒にするな……」

 本当はもう少しへたり込んでいたかったが、あまり長い間座っているとエクスロスの兵士たちにも馬鹿にされそうだ。それはサラッサの矜持きょうじが赦さず、笑う膝を叱咤しったしながら立ち上がる。

 アマルティエスが半笑いで手を差し出していたが、それはべしりと叩き落としておいた。何とも腹の立つ男である。

「で? 兄さんに用事だっけか」

「あ、ああ、まあ……」

 ふと気になって、手紙を取り出した。汗で湿っていると格好がつかない。幸いなことに手紙はヒュドールを経ったときと変わりなく、綺麗なままだ。

 だが手紙が綺麗でも、サラッサは汗だくかつ疲労困憊こんぱいの状態でエマティノスと対峙しなければならない。それを考えるだけで、サラッサはひどく気が重かった。

「明日でもいいかな……?」

「俺は構わねえけど。明日も兄さんがいるとは限らねぇぞ?」

 それこそサラッサが望むところではある。

 だが、おそらくはあの叔父のことだ。サラッサがわざと会わないようにやりすごしたことを見抜き、ちくちくといじくってくるに違いない。想像するだけでクリュドニオンに対して腹が立ってくる。

「ぐ……今、会う……」

 絞り出すようにそう言えば、アマルティエスが苦笑を浮かべて軽くサラッサの肩を叩いた。

 そのまま彼の案内で仕事部屋に行けば、エマティノスがそこにいた。記憶通りの仏頂面で、エマティノスは書類に目を走らせている。サラッサたちが部屋に入ればちらりと視線を投げはしたものの、それ以上何を言うわけでもなくまた視線は紙の上へと戻っていく。

「クリュドニオン・ヒュドールからの書状です」

 エマティノスのいる机まで近付き、内容まで告げる必要はないだろうと差出人だけを告げてエマティノスに手紙を差し出すと、彼はようやくペンを手放して視線を持ち上げ、サラッサを見た。彼の金色の瞳はアマルティエスと同じ色のはずなのに、どこか温度がない。だからサラッサは。エマティノスのこの目が苦手だ。

 受け取った手紙を無造作に開き、内容を一読したエマティノスは軽く鼻を鳴らした。

「もう終わった。それだけ伝えておけ」

「……は?」

 何が終わったのか。どういう意味なのか。何もわからないまま部屋を追い出されて、サラッサはぽかん口をあけたままその場に立ち尽くしてしまった。

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