1-3.クリュドニオン、頭を抱える

 慌ただしく駆け込んできた部下の報告に、クリュドニオンは頭を抱えれば良いのかあるいは溜息ためいきけば良いのか、両方すれば良いのか、とにかくいずれにすべきなのか、一瞬そんなことを考えてしまった。こんなものはまず間違いなく現実逃避と呼ばれるものであり、今考えるようなことではない。

 これがヒュドールの姓を冠する誰かであったのならばもっと違う話になっていただろうが、実際報告はそうでないので、そこまで重大な問題に発展するかといえばそうでもない。そうでもないのだが、その内容には問題しかなかった。

「……悪いが、もう一回」

「ですからクリュドニオン様、ルラキス=セイレーン内でいくつか首のない遺体が転がっているのが発見されておりまして」

「ああ、うん、で?」

「現実逃避をなさらないでください! 首が持ち去られているのでどこの誰かを調べるのに少々手間取りまして報告が今になりました!」

 ルラキス=セイレーンは美しい街である。と、そう言ってしまうと自画自賛になるのかもしれない。一応現在の街の所有者はクリュドニオンなのだから。

 水路が張り巡らされた街に転がった、いくつかの首のない死体。しかもその首は持ち去られているときた。

 ここで一体誰が何のためにと考えるのが一般的なのだろうが、報告書を上から下まで眺めて、悲しいことにクリュドニオンには誰がそれをしでかしたのかは。何のために、というのは見当がつかないが、きっとろくなものではないだろう。

「ルラキス=セイレーン以外の領内での被害は?」

「現在調査中です」

「分かった。まあ、うん、だいたい分かった。ありがとう」

 おそらくは他の街でも少しくらい同じようなことが発生するかもしれないが、ルラキス=セイレーンのようにいくつかということはないだろう。というより、発生するかも怪しい。

 なぜなら娼館がある場所は、ヒュドール領内でも限られている。

「水に被害は?」

「幸い血や遺体は水路に流れ込んではいませんでしたので。遺体、どうされます?」

「引き取り手は?」

「それが、商売女と、まあその、身を売っていた男ばかりなもので」

「把握した」

 娼館にいる商売女は商品だ。別にそこに何があるというわけでもないし好んで身を売っている者だっているわけだが、報告書にあるものを見ていると、どうにも高級宿というわけでもない。となれば、おそらくは身寄りもなく、収入確保のためにそこに身を落としたという者だろう。

 だからといって殺されて良いと言うつもりはないが、こうなる可能性は考えなかっただろうか。何せ彼ら彼女らの相手として噂になっていた相手が相手だ。ある種華々しい噂話と共に語られる赤色だ、クリュドニオンは理由がなければあまり関わり合いにもなりたくはない。

「地下の部屋に一時置いて、引き取り手があれば渡しておいてくれ。三日経っても引き取り手がなければカモメの餌にしろ」

「かしこまりました」

 ぱたりと扉が閉じられて、結局頭を抱えて溜息ためいきいた。

 こんなもの、糾弾きゅうだんもできはしない。だがしかし、文句のひとつやふたつは言ってやらないと気が済まない。

「リド」

「ああ、すまないティグリス。客人の前でするのもどうかと思ったんだけどさ」

「別に僕は構わないが。犯人さがしは良いのか?」

「どうせこいつだろうっていうのは分かってるから」

「ふうん?」

 ソファに腰かけていたティグリスが、さして興味もなさそうに鼻を鳴らした。遠路遥々やってきたティグリスは、しばらく置いてくれとヒュドールの屋敷の客間にここ数日居座っている。先日文句言いたさに駆け込んできてから一度帰ったものの、結局まだ腹に据えかねているものがあるらしい。

 一応クリュドニオンも、話は聞いた。聞いてやったとてできることはそれだけで、それ以上のことができるわけでもない。ただティグリスは、それで良いと言っていた。

『あら嫌だ、あたしの愛しのリドが困ってるじゃないの。ティグリス、手助けしなさいよ』

「出てくるな、悪魔」

『嫌よ。あんた、リドの親友なんでしょ?』

「人間のことに首を突っ込むな。僕がリドにできる手助けなんてあるわけないだろ」

 ちゃぷりと音がして、ティグリスの隣に浮かんだ水が女性の形を取る。ああ変わらず美しいなと、クリュドニオンはそんなことをぼんやりと考えてしまった。

 人間の美醜はよく分からないが、ティグリスが「水の悪魔」と称するシャッラールナバートは美しいと思う。それはただ、ティグリスが海や船の上を好んでいるせいなのかもしれないけれど。

「そうだよ、シャッラールナバート。俺も別にティグリスにどうにかして欲しいとは思ってないから」

『そうなの? じゃあ、あたしが!』

「お前が何かしたらもっと問題だろうが、馬鹿かお前」

 ティグリスがひどく嫌そうな顔をしてシャッラールナバートに「馬鹿」と言い放つ。シャッラールナバートがそれに喰ってかかり、ちゃぷちゃぷと水が跳ねるような音が聞こえた。

 こんなもの、誰かに何かをしてもらうようなものでもない。

「抗議だけするさ」

「どこに?」

「本人に。別に俺自身が行くわけじゃないけど」

 書面に抗議の内容をしたためて、そして渡す。やれることなど、それくらいだ。被害者の中にヒュドールの家系の人間などいないのだから、クリュドニオンのこの抗議すらも意味があるかなど分からない。

 ただ、何もしないというわけにはいかないのだ。何もしないというのは、殺された領民をどうでもいいものとして扱うことに他ならない。

『どうして? 行けば良いじゃない』

「俺は当主だから、今はもうヒュドールの領地を離れてそう遠くには行けないんだよ」

 クリュドニオンは、余程のことがなければこの領地を離れて遠くには行けない。抗議する相手のいる領地が隣というわけではないのだから、クリュドニオンが行くわけにはいかなかった。

 殺されたのがヒュドールの姓を冠する誰かであったのならばクリュドニオンが自ら抗議に行くのが当然だ。当主というのは、そういう立場だ。

窮屈きゅうくつね、人間って』

 シャッラールナバートのことばには、クリュドニオンも同意しかない。

 とはいえ窮屈きゅうくつなのは人間というわけではなく、この転がり込んできてしまった当主という立場だ。本当は気楽な次男坊として一生を終える予定だったのに、十年前の戦争で兄が死んだことでクリュドニオンはこの椅子に座るしかなくなった。

「昔は船に乗ってたから、いろんなところに行けたんだけどさ」

「お前は海が好きだものな」

「海って言うか、自由なのが良いんだよ、俺は」

 クリュドニオンは海にいたからこそ、戦争に巻き込まれなかった。それを海のおかげ、と称することが正しいのかは分からない。

 ただその自由をかつて謳歌してしまったがゆえに、この立場が窮屈で仕方がないのだ。それこそ兄のように「当主になれ」と言われて生きて、そしてその通りの道を歩んできたのであれば、もっと違う感じ方になったのだろう。

『あは。じゃあ、あたしが自由にしてあげるわよ!』

 シャッラールナバートはちゃぷちゃぷと音を立てて笑う。

「悪魔の言うことだ。信用するなよ、リド」

『なによ!』

「悪魔と契約するなんてろくなことにならないだろ。お前なんかと契約したら、次の世で早死にだ」

 執務室の机のところに座ったクリュドニオンから見えるのは、ソファに座ったティグリスの横顔だ。吐き捨てるように言った彼の顔は、嘘をついているようには思えなかった。

「なんだそれ。砂漠の方の伝承か?」

「そうだ」

 ティグリスはここより東にある砂漠の出身で、そこはこの土地とは異なる伝承も伝わっている。神もいない死の砂漠、いるのは四体の悪魔だけ。そんなことをかつて彼から聞いたことがある。

 神がいないというのが、クリュドニオンには想像ができない。クリュドニオンにとって神とは、いて当たり前のものだった。ここはヒュドールの領地で、クリュドニオンもヒュドールの加護を得ているのだから当然か。

「人間の魂は巡る。ただ悪魔と契約なんてしたら、次の世でもろくな死に方をしないんだと」

「そうなのか?」

 ろくな死に方をしないというのは、どんなものだろう。ティグリスの言うそのことばを考えてみても、クリュドニオンはその想像ができなかった。

 誰かに殺されるのだろうか。それとも病で早々に命を落としてしまうのだろうか。あるいは、誰にも気付かれないままひっそりと死んでしまうのか。

『何よそれ。あたし、そんなことしないわよ!』

「どうだか」

 鼻で笑ったティグリスは、そのろくでもない死に方をどう想像しているのだろう。

「で、話を戻すが。抗議はどうするんだ」

 弁柄色のティグリスの目が、頬杖をついて考えていたクリュドニオンを射抜く。鋭いその双眸は、どこか肉食の獣のようにも見えた。

 いつもはそんなことはないが、ただ鋭くなると、肉食獣に獲物と目された小動物の気分にもなる。

「サラッサに行かせるさ。あいつならエクスロスに友人もいるんだし」

「何だ、抗議相手はアマルティエス・エクスロスか?」

「そっちじゃない」

 サラッサは確かにアマルティエスと友人関係にあるが、クリュドニオンの抗議先はそちらではない。

「抗議先は、エマティノス・エクスロスだ」

 首のない遺体で見付かった被害者はいずれも、エマティノスとの噂があった人物だ。エマティノスはあちらこちらで浮き名を流していたが、面倒な手合いは相手にしないのだなと、クリュドニオンはその噂を把握しながら思っていたものだ。

 別に、犯人がエマティノスであるのなら、何も疑問はないのだ。エマティノスは確かに浮き名も流していたが、血なまぐさい噂もいくつもある。ある意味それはエクスロスらしいというのかもしれないし、クリュドニオンもそういうこともあるだろうと認識していた程度のものだ。いわく、揉め事の相手を殴り殺したとか、関係のあった女性と楽しんでいた最中に何かしら気に障ることがあってその女性を殺したとか、そういう噂には事欠かない。

「お前の甥っ子にできるのか、それ?」

 ティグリスのことばに、クリュドニオンはしばし動きを止める。

「……さあ?」

 正直なところを述べれば、サラッサにそれができるとは思えない。思えないが、それでも「サラッサを行かせた」という事実がクリュドニオンには必要なのだ。

 つまり実際に抗議ができたかどうかなど、クリュドニオンにとっては二の次というのが事実だった。

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