8-4.郷愁の彼女

 ヒカノスと彼の新しい妹だというレステリアとの間に流れる濃密な空気に長時間耐えられるはずもなく、アマルティエスは予定を早めに切り上げ、早々にディアノイアを立ち去った。普段はだらだらと長居することも多いのだが、今回はとてもそんな気にはなれなかったのだ。

 やや自慢げにヒカノスには「仲の良い兄妹だろう?」と言われたが、それに対してはっきりと「そうだな」と返事が出来なかったというのが、ある意味でアマルティエスの答えでもあった。ひとことで仲の良い兄妹と言い切るには、二人の間に流れている感情が色づきすぎているようにアマルティエスには見えたのだ。

 何度か指摘しようとは思ったが、突如できた新しい妹を純粋に可愛がっているだけのヒカノスには言いがかりに聞こえるかもしれないと思うと、変な遠慮が働いてしまった。結果、何を口に出すこともできないまま別れを口にしたのだった。

「兄妹ってあんなもんか……? いや、でもなあ……」

 それほど急いで帰るわけでもない。愛馬を並足でぽくぽくと歩かせながら、アマルティエスは何度目かになる問答を繰り返していた。

 思い出すのは、二人の間に距離など寸分もいらないと言わんばかりに身を寄せ合った、ヒカノスとレステリアの姿。彼らはつい先日兄妹として暮らし始めたばかりだと言っていたのに、ずっと昔から親しかったかのような様子に見えた。

 アマルティエスが知る限り、ヒカノスは割と内向的な性格で、ある種の人見知りにも見える。それが、妹という肩書はあるものの、たった数日前に出会ったばかりの女性とああも親し気にしていた。それが、アマルティエスにとっては中々の衝撃だったのだ。陳腐ちんぷな言葉で言い表すならば、あのヒカノスの様子はまるで運命の人に出会ったかのような。それほどの熱の入れようだろう。事実彼は「運命」と口にしていた。

「よし、やめよう」

 そこまで考えて、アマルティエスは首を横に一つ振った。

 脳内に浮かぶ映像は、どこをどう切り取ってもあまりいい絵面ではない。そんなことばかり考えてしまうのは、きっとアマルティエスが不純だからなのだろう。あの二人は仲のいい兄妹だ。それでいいではないか。

「ま、世の中にゃ腹違いの兄弟ってだけで殺し合うとこもあるしな。それに比べりゃ仲がいいぐらい、贅沢な悩みだよな! な?」

 愛馬の首筋を、ぽんとひとつ叩く。自分に言い聞かせているようなアマルティエスの言葉だったが、愛馬は耳をぴくぴく動かしながら元気よくいなないた。

 本心はともかく、賛同を示してくれているような反応だ。それにアマルティエスは満足して、ふ、と息を吐きながら周囲を見渡してみた。

「あ? ここ、どこだ?」

 考え事をしながら馬を歩かせていたから気付かなかったが、いつもディアノイアかの領地からエクスロスの領地へと帰る道とは、違う場所を通っている。

 手綱たづなを引いて歩みを止めると、愛馬はこちらを振り向いてきょとんとした顔をした。どうして、と言わんばかりの顔だ。

「こら、適当な道歩いてたなお前」

 人懐っこい顔をしている愛馬の鼻面はなづらを、手を伸ばして軽く叩きつつ冗談交じりに咎めれば、心外だとばかりに愛馬はぶるんと鼻を鳴らす。乗り手である自分自身が考え事をしていてきちんと導かなかったというのはその通りでもあり、アマルティエスもそれほど怒るつもりはなかった。

「シュガテール領か……散策して帰るのも良いよな。美人が多いらしいぞ?」

 エクスロスの領地とディアノイアの領地までの行き来で必ず通ることになるシュガテールの領地は、エクスロスの領地とは全く違う景色が広がっている。

 豊かな水のおかげか草原や花畑が広がり、どこか甘い香りが漂う。耳をすませば小川の音が聞こえ、そこには時折小鳥や小動物の鳴き声が混じっていた。

「平和な場所だな」

 かつてはこの地も戦火に覆われたこともあったというが、今はそんな気配は遥か遠い。美しい女性が多いと巷では噂になっているが、本当のところはどうなのだろうか。

 観光地としては一般市民の間でもヒュドールに次いで人気だということを聞いたことがあるが、アマルティエスの個人的な感想としては、綺麗すぎて落ち着かない場所だ。どうにも火山や荒地に慣れたアマルティエスには、目に眩しい。

 シュガテールの一族には、会ったことがなかった。当主であり異母兄であるエマティノスならば面識はあるのだろうが、アマルティエスは公的な場に出る機会もなく、出る気もなく、シュガテールの領地に近しい年齢の友人もいない。であれば、そんなものだ。

 これは特にアマルティエスが偏屈というわけではなく、十三、今となっては十二となった領地の貴族たちは、どこもこの程度だ。家ぐるみで親しく付き合いをしているところなど、皆無だろう。あるとすれば、一時的に姻戚関係が色濃くなった家同士、あるいは代々関係性が強い家同士、だろうか。

「あそこで休憩するか」

 小川のほとりに、一本大きな木が立っていた。何かの実がなっているのか、青々と茂る葉の間からは鮮やかな色が覗いている。風に揺られてでもいるのか、時折枝が揺れているのが遠目でも分かった。

 愛馬を駆け足で進め、近くまで来てから馬から降りる。背中の重みがなくなった愛馬は、さっそく足元の柔らかな草を食み始めた。エクスロスの領地では滅多に食べることができない、干し草ではなく、硬い草でもない柔らかな草は、さぞ馬にとってはおいしいのだろう。愛馬は興奮気味に尻尾を揺らし、一心不乱に口を動かしている。

 そんな愛馬の様子を満足そうに見ていたアマルティエスは、ふと気配を感じて周囲を見渡した。

 なんだ、と、周囲の気配を辿たどる。こちらをじっとうかがっているような気配は、敵意などの色は感じない。ただ見ているだけといった、本当に観察しているだけのような気配だ。

 だが周囲を見てみても、それらしい相手を見つけることができなかった。ただ広いばかりの平原で、隠れる場所など見当たらない。だというのに、人影は見えないのだ。

 はてどうしてだろうかと、首を傾げることしばし。ふと思い当たって頭上を見上げると、そこにこちらをじっと見つめている少女がいた。

「お」

 視線が、ぱちりと噛みあう。お互いに何を言うでもないまま、数秒立ち尽くしてしまった。

 そんな中で先に沈黙を破ったのは、アマルティエスの方だった。

「それ、旨いのか」

 なんとも色気のない第一声だったが、何も口説こうとしているわけでもない。木漏れ日に照らされて美しく輝いている青銀色の髪を見るに、彼女はこの地を治めるシュガテールの一族の誰かだろう。アマルティエスよりも年下だろう彼女に、特別へりくだる必要はない。

 赤紫色の目が、じっとアマルティエスを見ている。彼女が手にしてる赤色の果実はかじりかけで、あふれた果汁が白い腕を伝って落ちていった。

 しばらくきょとんとした顔をしていた彼女は、小さくひとつ首を縦に振る。

「ふぅん……」

 エクスロスの地は気温が高く、果物はすぐに傷んでしまう。そのせいで、流通させられる果物の種類は少数だ。彼女が持っている果物は、アマルティエスには見たことのないものだった。

「俺はアマルティエス・エクスロス。なあ、降りて来いよ。お前の名前は?」

 身軽に飛び降りてきた彼女は、近くで見てもやはりまだ少女と言っていい年齢に見える。アマルティエスよりも頭一つ分以上小柄で、隣に立つとアマルティエスは随分首を下に向けなければならなかった。

「私は、イーリス。イーリス・シュガテール」

「イーリスか。よろしくな」

 見立て通り、シュガテールの一族だったらしい。手を差し出せば、イーリスは少しだけ戸惑った顔をしている。それに気づいていない風を装ってアマルティエスが手を差し出し続けていると、やや経ってから、恐る恐る同じように手を差し出して握り返してきた。

 アマルティエスとは違う、小さな手だった。ごつごつともしていない、小さくて柔らかい手。その手の柔らかさに、心の中のどこかがきゅうと音を立てた気がした。

 ああ、な。ふと、そんなことを思う。

 初めて会ったはずなのに、どうしてか彼女を見てわき上がるのは郷愁きょうしゅうの念だった。大して持ち合わせていない話題を頭の中から引っ張り出して、イーリスをこの場に引き留めようと考えた。

 それくらい、彼女のことが気になっていたらしい。そうアマルティエスが自分で理解したのは、もっと後になってこの日のことを思い出した時だったけれども。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る