8-3.叔父と姪と邪魔者と

 普通客人というのは、正面に座るものではないだろうか。

 そんなことをつい考えてしまったのは、客として現れたその男が、すぐ隣に座って密着してきたからに他ならない。やんわりと離れようとしても距離を詰めてきて、挙句の果てには腰を抱くように手を回してきた。とは言えども相手は一族を率いる立場にある当主であり、たかだか当主の姪に拒絶できるはずもない。

 寒気がするのを呑み込んで、我慢しろと自分に言い聞かせた。この男は何も知らないのだと、父も叔父も言っていた。つまり一言で言うのならば、「愚か者」ということになるのだろうか。

 シュガテールの一族が住まう屋敷の中、客として現れたこの男は「お前に会いに来た」などと言う。

「そろそろ色い返事をくれても良いだろう、イーリス?」

「毎度毎度冗談が過ぎますね、クリスタロス様。どこをどう考えたら、色い返事がもらえると思えるのでしょうか」

 横を向くことはない、視線を合わせることもない。律儀に視線を合わせたが最後どうなるのかをイーリスはよく学習していて、もう二度とそうするまいと心に誓ったものだ。

 最早見慣れたと言っても過言ではないクリスタロスの髪の色は、イーリスの父と同じく空色だった。それはつまり。彼はエクスーシアの加護を得ているということになる。クリスタロス・エクスーシア、現在のエクスーシアの当主である。

 わざわざシュガテールの領地まで馬車でやってきて、イーリスを口説いて、エクスーシアの当主というのは余程暇なのだろうか。馬にも乗れないらしいクリスタロスの移動はもっぱら馬車で、それはつまり馬よりも時間がかかっているということでもある。

「今日も美しいな、お前は。母に似て良かったな? いや、母上ほどではないのだが」

「そうですか」

 腰からようやく手が離れたかと思えば、今度は髪を触っているような気配がある。そっぽを向いたままでまともに対応してやる気もないのだが、あまりにも不躾ぶしつけであると頬を張っても文句は言われないだろうか。

 イーリスの顔立ちも、青銀色の髪も、確かに母親譲りではある。目の色だけはどこからどう遺伝してきたものかは判然としないが、おそらくは両親の色が混じったのだろうと言われる赤紫色だった。

「こちらを向きなさい。これは、命令だよ」

「何故他の一族の当主に命令をされて、従う必要があるのでしょうね」

「お前も半分はエクスーシアの血が流れているだろう。母上が『それならばイーリスは言うことを聞かねばなりませんね』と言っていたが?」

「だからどうかしましたか。私はシュガテールを名乗っておりますので、エクスーシアの当主である貴方の命令を聞かなければならないということはありません」

 屁理屈も立派な理屈である、ということにしておこう。ともかくクリスタロスに命令をされるのは大変に不快であるし、やはりどう考えても従う道理はない。

 いつどこでクリスタロスがイーリスの姿を見たのかは知らないが、どうやら彼はイーリスの預かり知らぬところで姿を見て、そして突如「妻にしたい」などという手紙を送ってきたのだ。その手紙については叔父であり、シュガテール一族の当主であるフィオスが、丁寧に細く裂いて暖炉だんろにくべていたけれど。

「イーリス」

 猫撫で声、というのが正しいだろうか。やけに甘ったるい声で名前を呼ばれて、頬を染めるとでも思っているのだろうか。

 残念ながらイーリスは、クリスタロスに対してこれっぽっちも興味を持っていない。ただこうして対応しているのは、立場というものがあるからだ。命令を聞く道理はなくとも、無視はできない。

 ぐいと顎を取られて顔を向けさせられ、クリスタロスの顔が目の前にある。年のころはいくつだったか、確かイーリスのふたつほど上だったような気はする。

「母上もお前ならば認めてくれると思うんだ」

「だからどうかしましたか」

 二言目には母のことを口にする成人男性と考えると、無性に気味が悪いものに見えてくるのはイーリスだけだろうか。母上がこう言っていた、母上がこうしなさいと言った、クリスタロスの口から出てくることばと言えば、そんなものばかりなのだ。

 別に母と仲が良いというのは結構なことだが、仮にも口説いている相手を自分の母親と比べてどうこう言うというのは、いかがなものだろう。かといってそれがなければ良いというものではないけれど。

 クリスタロスの顔が近付いてくる。即座にそれを察したイーリスは、隠し持っていた短剣を抜いてひたりとその首筋に押し当てた。さすがに冷たさに気付いたクリスタロスが、少し引く。

「女性がそんなものを持つものではないよ」

「さて、どうでしょうね。不逞ふていやからから身を守るには、必要かと存じますが」

「女性は女性らしくするものだ。少しは母上を見習ってはどうだ? お前は見てくれは美しいのに、そういうところがいけないね」

 教え諭すように言われたところで、イーリスの心に響くものは何もない。

 むしろクリスタロスのことばのひとつひとつが、どうにもイーリスの感情を逆撫でする。彼の言うというものについては、おそらくその前にというものがつくのだろう。

「女性らしく? これ幸いと貴殿にびを売れとでも? 冗談でも御免ごめんこうむるが」

「ああほら、まただ。その言葉遣いもいけない。エクスーシアに嫁いで来たら、ぜひ母上に教えを請うと良い」

「結構だ。エクスーシアに嫁ぐ予定も、貴殿の母上に教えを請う予定も私にはないからな」

 一応はこれでも我慢をして、きちんとした言葉遣いで対応はしていたのだ。毎度毎度そうして対応をしていたせいか、クリスタロスはどうにもイーリスが嫌がっていると思っていないように見える。果たして本当に分かっていないのか、分かっていて見ないふりをしているのか、どちらにせよろくなものではない。

 流石にいつまでも短剣を首に押し当てられているのは落ち着かなかったのか、クリスタロスがイーリスから少しだけ距離を取る。といっても二人掛けのソファの端と端のようなものであり、然程距離が開いたとも言えない。ただ、密着ではなくなったというだけだ。

 普段は影のように控えている使用人も、今はクリスタロスが人払いをしてしまって、誰もいない。いたところでさしたる制止にもならないが、それでもいないよりは人目がある方がまだ暴挙に出ることもない。

 ある意味で膠着こうちゃくしていた室内の空気を壊したのは、扉を叩く音だった。

「イーリス、入っていいかな?」

「叔父様! どうぞ!」

 扉の向こうから聞こえてきたフィオスの声に、一も二もなくイーリスは許可の声を上げて短剣をさやへと戻した。クリスタロスはというと、舌打ちをするとかそういうことはなく、ただ首を横に振っている。

 開いた扉の向こう、輝く銀の髪が見え、つかつかと近寄ってきたフィオスが、ひょいとイーリスを抱き上げた。

「叔父様、朝からどちらへ行っておられたのです?」

「ちょっと野暮用やぼようがあってね。まさか今日も来ているなんて思わなかったんだけど」

 今朝方フィオスは姿が見えず、それもあってイーリスはクリスタロスの相手をしなければならなかったのだ。父であるパトリオティスも出かけていて、母も弟の世話がある。そうでなければ、いくらイーリスを訪ねてきたからとて、律儀にイーリスがクリスタロスの相手をしてやる必要もない。

 鼻と鼻が触れ合うほどの近さで、フィオスが溜息ためいきいている。その吐息といきが少しだけ、くすぐったい。

「男と女の逢引に親類が顔を出すなど、野暮にもほどがあると思わないか?」

「残念ながら、思わないんだよね」

 フィオスは一瞬だけクリスタロスに視線を向けたものの、一言放り投げてまた視線をイーリスに戻してしまう。

 そんな態度をしても、フィオスならばそこまでの問題はないのだ。彼は当主で、そしてクリスタロスよりも年上なのだから。

「そうそうイーリス、ちょっと叔父上の仕事を手伝ってくれるかな?」

「はい、叔父様。喜んで」

「というわけだから、お前はもう帰っていいよ。大好きな母上様に『振られましたぁ』って泣きついて一緒にねんねでもしたら良いんじゃない? それじゃ、ばいばーい」

 フィオスはイーリスを抱き上げたまま、クリスタロスを客間に放置するように部屋を出てしまう。外に控えていた使用人に「お帰りだから見送っておいて」と言づけて、フィオスは足取りも軽く廊下を進んでいく。

 輝くばかりの美貌を誇るフィオスであるが、軽々とイーリスを抱き上げる腕力はいったいどこから出ているものなのだろう。いつだって、それが疑問だ。

「よろしかったのですか?」

「いいのいいの。が可愛いイーリスをめとるだなんて、俺は認めないよ」

 フィオスの言う「あんなの」の中には、様々な意味が込められている気がする。言葉が通じていないとか、母親とべったりが過ぎるとか、イーリスの思い付くものというとそんなところだ。

「イーリスにも求婚者が出てくる年になっちゃったし、俺は寂しい」

「そんなことを言って、叔父様もまだ結婚されていないからではありませんか。叔父様がはやく素敵な方を見付けてくださらないと、私もおちおちどこかへ嫁げません」

「あーあ、小さい頃は『おじさまのおよめさんになる!』って言ってたのに……」

「それは何も知らない子供の戯言ざれごとですよ」

 さすがに叔父と姪での婚姻は、いくら奔放な国でも眉をひそめられる。実のきょうだいや異母あるいは異父のきょうだいでの間ほどではないが、それでもやはり血が近い。

 近すぎる血での婚姻は、人を狂わせるのだという。それをどこで読んだのだったか、歴史書での実例混じりのものであった気はする。といってもそれは兄と妹がお互いに狂って殺し合ったとか、そんなものだった気がするけれど。

「知ってるし、パトリオティスにも釘差されてるからさ」

「父様に?」

「そ。まったく、仕方ないよね」

 それでもフィオスはまったく呆れた様子はなく、むしろ楽しそうな顔をしていた。

「そんなことを言って、叔父様は父様も母様も大好きではありませんか」

「そうなんだけどね!」

 抱き上げられたままフィオスの執務室へと連れて行かれ、ようやくそこでおろしてもらえた。もう成人の年を過ぎたというのに、どうにも扱いが子供のころと変わっていない。

 終わったら果物を買いに行くから少し手伝ってよというフィオスの示した机の上には、いくつかの書類が束になっている。分かりましたと微笑んで、イーリスは執務室に置かれた手伝いのための机のところに腰かけた。

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