8-2.地下での密談

 シュガテールの領地からディアノイアの領地までは、それほど遠くはない。そもそも隣接しているのだから、距離と言っても結局は一族の住んでいる屋敷から屋敷まで、それだけのことでしかないのだ。

 と言っても、別にパトリオティスはディアノイアの一族が住んでいる屋敷まで馬で行こうとかそんなことすら考えてはいない。一瞬で行く方法があるのだから、わざわざ馬を引っ張り出してきて、人間らしくしてやる必要もないだろう。

 必要とあればそうするが、今から会いに行くのはテレイオス・ディアノイアだ。一体どうしてそんな人間らしく振る舞うような必要があるだろうか。

 そんなわけで、パトリオティスは朝目を覚まして、愛する妻と子とそれから義弟に挨拶をして、のんびりと準備を整えてから、何の許可を得ることもなくディアノイアの一族が住んでいる屋敷へと入り込んだのである。しかも、その地下の一室に。

「うげ……久しぶり、って言えばいいのか?」

「やあ。君はええと……そうだ、十六夜いざよいだ。テレイオスはどこかな?」

「あいつなら執務室にいたぞ。もっとも、お前が入り込んだから、そのうち来るだろうけど」

 入り込んだ地下の一室には人がいた。テレイオスの共犯者と言うべきなのか、子飼いと言うべきなのか、とりあえずどちらであるのかをパトリオティスは知らないし興味もないが、名前は知っている。

 十六夜は面倒そうな顔をして、それでもパトリオティスの対応はしてくれるらしい。無視をしないのはパトリオティスがテレイオスの客人と言うか、協力者的な立場であることが分かっているからだろう。

 部屋の中にあった椅子を十六夜に示されて、パトリオティスはおとなしくそこに腰かける。

「お前、今は何て名前?」

「おや? 伝えていなかったかな?」

「知らん。テレイオスに伝えてたところで、俺に伝わるわけじゃないし」

「それもそうだねえ」

 思えばテレイオスにもきちんと名前を伝えたかどうかは定かではない。まったく知り合いではない赤の他人として顔を合わせたことはあるが、果たしてそこでパトリオティスは名乗っただろうか。その辺りは判然としないが、おそらくは知っているだろうということにしておく。

 一応は貴族であり、パトリオティスもエクスーシアの一族ではあるので、名前を知らないというのはテレイオスの立場上考えづらい――考えづらくはあるのだが、彼がそもそも他人の名前を覚える気があるのかは謎だ。もしかすると異母弟の名前すら曖昧なのではないかとパトリオティスは疑っている。

「パトリオティスだよ。パトリオティス・イラ・エクスーシア」

「ふうん。だからか、けったいな髪の色してるのは」

 パトリオティスの髪を「けったい」と称したが、確かにこの色は何十年と経っているのに慣れないのも事実だ。とはいえ、この色以外に選択肢がなかったとも言う。

「この色じゃないとエクスーシアにはいられないから、困ったものだよ」

 エクスーシアを名乗るためには、空色である必要があった。その色でさえあれば、誰もエクスーシアの加護を疑わない。

 他の家ではなくエクスーシアを選んだのは、いざというときに正当性を主張するためだった。神話に照らし合わせたときに、エクスーシアがすべてをまとめ上げることが一番齟齬そごがない。ただそれだけだ。

「まったく困ってるように見えないけど」

「そうかもねえ」

 困っているかと言われれば、特段困ってもいない。ただ鏡で見るたびに似合わない色だなとか、見慣れない色だなとか、そんな風に思うだけのことだ。

「……誰かと思えば、お前か」

 部屋の中にふっともうひとつ気配が生まれて、そちらを見ればいつの間にかテレイオスが立っていた。

「やあ、?」

「気持ち悪い」

 わざと笑みを浮かべて言えば、にべもなく切り捨てられた。テレイオスは常と変わらず淡々とした表情をしており、本当に気持ち悪いと思っているのか、それとも口にしただけなのか、どちらなのかは分からない。

 そんなテレイオスの様子に、パトリオティスはわざと大仰に肩を竦めてみせた。

「お前の兄はあれだろう。女の趣味が悪い、戦争で野垂れ死んだあの男」

「一応そういうことになってるんだけどねえ。君の方が女の趣味は格段に良いと思うよぉ、テレイオス」

「当然だろう」

 尊大に鼻を鳴らしたテレイオスは、今度は本心を口にしたらしい。

 テレイオスの唯一は、今もまだ棺の中で眠り続けている。彼女のことを一応パトリオティスも知ってはいるが、ある意味尊大で美しい彼女を選んだテレイオスは、女性の趣味は悪くないと思っている。むしろ少しばかり自分の好みと似通っている部分もある気がして、そんなところが似ているのかと笑ったくらいだ。

「年長者の命は根こそぎ奪えたわけだから、戦争になるよう仕込んだかいがあったねえ」

 そう長くない期間で、二度。

 領地間の争いは大きな戦火となり、参戦者の命をほぼ根こそぎ奪っていった。自由に見えて案外身分の差というものが歴然としているこの土地は、血縁関係によって並べられた序列以外にも、年長者が上というものがある。

 となればパトリオティスの目的を果たすために邪魔なのは、自分よりも年上の当主たちだった。それから、一族の数を減らしておいて損はない。

「うわあ、かわいそうに」

「思ってもないこと言わないでよ、十六夜?」

「欠片くらいは思ってるかもな?」

 そうして笑みを浮かべた十六夜は、おそらくそんなことひとかけらも思ってはいないのだ。

 どうせいつかは尽きる命だ。それが数年、あるいは数十年早まっただけ。いや、あるいは最初からそこで尽きるように決まっていたのかもしれない。

「で?」

 尊大な態度で椅子に座ったテレイオスが、足を組む。テーブルから少し離した位置まで椅子を引いて腰かけたために、パトリオティスからもそれがよく見えた。

「お前ら並ぶと圧迫感すごいんだけど、なにこれ」

「君が小さいだけじゃない?」

 パトリオティスもテレイオスも長身の部類で、十六夜はそれよりも頭ひとつ分は小さい。パトリオティスは自分より背の高い人間がほとんどいないくらいなので彼の気持ちは分からないが、上から覗き込まれるような形になれば圧迫感もあるだろう。

 テーブルに肘をついて、そのまま手で頭を支えた。頬杖をついたところで、ここには誰も行儀が悪いなどとパトリオティスを咎めるものはいない。

「そろそろ、始めようと思ってさ。約束通り、手伝ってよ。心臓の在処ありか、知りたいよねぇ?」

「そうだな」

 テレイオスは特に協力することに否はないらしく、尊大な態度のままひとつ頷いている。

「どこから滅ぼす」

「嫌だなあ人聞きの悪い。滅ぼしたりなんかしないよぉ、後が面倒じゃないか。いやどっちにしろ面倒かもしれないけど、滅ぼさない程度に痛めつけて服従させる方がいいよ、後々のためにも」

 滅ぼしたところで、どこかは漏れる。滅ぼそうとして下手に生き残られて、復讐心に燃えられても面倒なことにしかならないのだ。

 それならば滅ぼすのではなく、痛めつけた上で服従させる。パトリオティスが上、自分たちは下、その認識をさせれば当面は問題がない。

 別に未来永劫そうであれとは思わない。今パトリオティスの目的を果たすためにはそうすることが一番であるというだけで、今は十二の領地となったこの土地をまとめ上げる器がない人間が上に立ったときは、反乱でも何でも好きにすればいい。

「といっても、最初から戦争を仕掛けるつもりはないんだよねえ、僕。話が通じるのなら、最初は水面下で話を持ち掛けるさ。僕に協力するか、否か」

「好きにしろ」

「兵士が必要になったら手を貸してよ。あと、後ろ盾。ディアノイアとエクスロスが後ろについていれば、ほとんど誰も文句をつけられないだろう?」

 本来ディアノイアとエクスロスは敵対し合うものだ。けれどそれらをあえて両方後ろにつける。

「エクスロスの当主が素直に言うことを聞くかは知らんぞ」

「僕、別にエマティノスに言うことを聞かせるつもりはないからさ」

 十六夜はパトリオティスとテレイオスの会話を、ただ笑みを浮かべて聞いていた。彼にとっても何も悪い話ではないのだから、口を挟むようなこともないのだろう。

 エクスロスに関してはしなければならないことがいくつかあるが、そう難しいことでもない。そろそろ引き合わせてあげようかなと内心で考えながら、パトリオティスはゆるりと笑みを深めた。

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