6-1.アマルティエスの来訪

 エクスロスとディアノイアは、共に戦争を司る神である。そしてその神を奉じる一族は、互いに協力することはなく争い続けている。ディアノイアがあちらに味方すればエクスロスはこちらに味方し、ディアノイアがこちらに味方すればエクスロスはあちらに味方する。そういった具合に両者は常に対極であり続けた。

 それは同じものを司っているようでいて、その本質が全く違うが故か。それともそうあるように定められたからなのか。真実はまさにということだろう。

「アマルティエス様、どちらへ?」

「ディアノイアだ。ちょっと行ってくる!」

 声をかけてきた兵士にそう告げて、アマルティエスはひらりと馬に飛び乗った。まだ太陽は地平線からほんの少し顔を出した程度で、朝も早い時刻だった。

「兄さんには伝えといてくれ、よろしく!」

「あ、ちょっと、アマルティエス様!」

 アマルティエス・エクスロスは、エクスロス一族を率いる当主であるエマティノスの異母弟である。先んじて起こり、参戦した人間の命を根こそぎ奪っていったと言っても過言ではない戦争の講和の一環として、ディアノイア一族から嫁いできた女性が産んだのがエマティノスだった。アマルティエスはそのエマティノスに遅れること数年、同じエクスロス一族の女の腹から誕生した。もっともその父も、そしてお互いの母も、とうにこの世にはいないけれども。

 参戦した人間の命を根こそぎ奪った戦争は、ここ最近は二度あった。結果として多くの家が、一族の数を減らしている。エクスロスとディアノイアは当然ながら多くを失い、エクスロスは現在、エマティノスとアマルティエスのふたりしかいないような状況だ。

 市民はともかく、貴族において異母兄弟は特別珍しいことでもない。そして、その兄弟仲も様々だ。アマルティエスの一方的な解釈ではあるが、他所よそに比べればエクスロスは仲のいい方だと思っている。

 理由は簡単だ。命の危機を感じることなく、また、蹴落としあいを懸念することなく日々を過ごせている。これだ。一見当たり前にも思える平穏な日常がいかに貴重なものかは、歴史が物語った。

 ただそれを考えると、ディアノイアの異母兄弟も仲が良いことになるだろうか。

 そんなことを考えて、アマルティエスは馬上で首を傾げた。同じ理屈で言うならば、ヒカノスとその兄のテレイオスも仲がいいという結論になってしまう。だが、それはどうにもしっくりこなかった。

「どうなんだろうなぁ」

 常に争い合うディアノイアとエクスロスだが、平時でもお互いを憎悪し合っているわけではない。昔ならばいざ知らず、現在は煙もないところにわざわざ火種を持ち込むようなことは無くなったからだ。

 一度争いとなればまるで道が敷かれているかのように敵同士になるものの、それ以上の感情はお互いにない。遠い過去には暗殺を目論んだことも仕掛けられたこともあったようだが、そんな時代は今となっては遠い話だ。ディアノイアがエクスロスに攻め込んできたことも、エクスロスがディアノイアに攻め込んだことも、ここ最近ではなかった。

 とはいえ、アマルティエスのように頻繁ひんぱんにディアノイアを訪れるのは珍しい。アマルティエスはヒカノスと親しいが、どのようにして知り合ったのか今となってはあまり覚えていない。何か集まりがあって、親に連れられた者同士顔を合わせたのが最初だったような気はする。

 引っ込み思案だったヒカノスを、アマルティエスが追いかけ回して親しくなった。というのは、覚えている。お互いに歳が近く、異母兄が当主であり、気楽な弟という立場が共通していたのが良かったのだろうか。ヒカノスがエクスロスを訪れることもあれば、アマルティエスがディアノイアを訪れることもある。そして、中間地点で遊ぶこともある。そんな友人関係をもう十数年は続けている。

「ヒカノス! 悪いな、待たせたか」

「いや。大丈夫だ」

 エクスロスとディアノイアは、それなりに距離がある。アマルティエスがディアノイアに到着したのは、すでに午後を大きく回ったころだった。

 勝手知ったる場所とばかりに城壁の上に立つ見張りに軽く手をあげて挨拶をしてから、ディアノイアの屋敷にアマルティエスが顔を出せば、迎えに出てきたヒカノスはやけに機嫌が良さそうにしていた。

 ヒカノスは決して普段から不機嫌そうと言うわけではないが、感情の起伏が少ない方だ。それが目に見えてわかるぐらいに上機嫌で、友人の嬉しそうな様子にアマルティエスは嬉しくなるよいうよりも、不安になる。

「会わせたい人、って言ってたな」

「ああ。新しく妹ができたんだ」

「は? 新しく?」

 アマルティエスが遥々ディアノイアまでやってきたのは、ヒカノスが「会わせたい人がいる」と言ったからである。だがその人物は部屋にいるのか、迎えには出てこなかった。

 ヒカノスがアマルティエスを案内して屋敷の中を進んでいく隣に並びながら、アマルティエスはヒカノスの言葉に首を傾げるしかなかった。

 新しく妹ができたということは、生まれたのか。だがしかし、ヒカノスの両親、つまりディアノイア一族の先代当主夫妻はもう亡くなっている。ヒカノスの言葉の意味を図りかねて内心頭を捻っているアマルティエスの様子など気にもとめず、ヒカノスは滔々とうとうと話し続けた。

「可愛い妹なんだ。小さくて、白くて、ふわふわしていて。俺の運命なんだって思ったよ」

「はあ……それは、良かったな……?」

 駄目だ、わからない。アマルティエスはつい、がしがしと頭を掻いた。ヒカノスの話を聞けば聞くほど妹の正体が判然としなくなっていく。

 毎晩一緒に寝ている、あちこち連れて歩いている、そのことばも、赤ん坊なのかそうでないのかよく分からなくさせるのだ。ただ一つ分かったのは、ヒカノスが新しくできたその妹とやらを、異常に溺愛しているということだ。

 結局そこまで考えて、アマルティエスは考えることをやめた。どうせ今からその妹とやらに会うのだ、詳しいことを聞くのはそれからでも遅くない。

「レステリア、入るよ」

 ヒカノスの部屋の扉を、ヒカノスはわざわざ叩いて声をかけ、扉を開けた。彼が口にした聞き慣れない名前が、妹の名前なのだろう。

 ヒカノスに続いて部屋に足を踏み入れたアマルティエスが見たのは、立ち上がってこちらに軽く頭を下げている白い少女だった。なるほど、これが彼の言う妹、らしい。

 赤ん坊でなかったことに安堵したような、よりややこしいことになったような、なんとも複雑な心境だ。

「レステリア、彼がアマルティエス・エクスロス。俺の友人だ」

 紹介してくれるヒカノスの声は、いつにも増して猫撫で声だった。

 いや、それは何となくそぐわない言い方だろうか。ともかく、聞いているだけで背中がむず痒くなるような、そんな甘ったるい声だ。ヒカノスがアマルティエスに対しては絶対に出さないその声はまるで、愛しい女を口説くときのような色を帯びている。

 そこまで考えて、アマルティエスの頭をふと嫌な想像が過ぎる。

「なあ。彼女、お前の妹……なんだよ、な?」

「ああ。父が遺した子だ。街でひっそりと暮らしていたんだが、母が亡くなったということでここを頼ってきたんだよ」

「あ、そう……」

 つまり、異母妹ということなのだろう。レステリアと呼ばれた彼女は確かに美しい紫水晶の瞳をしていて、ディアノイアの一族の血を引いていることに疑いはない。

 よろしくとレステリアに手を差し出すと、彼女はぎこちなく微笑みながら黙って手を握り返してきた。

「レステリアは話せないんだ」

「ああ。そういう。いや、俺は気にしない。よろしくな」

 沈黙が続くことにアマルティエスが目をまたたかせていると、ヒカノスが横からことばを挟んできた。そのことばに、レステリアはどこか気まずそうに目を伏せる。

 口がきけないことを口さがなく言う者もいたのだろう。彼女がどこか怯えたような顔をしているのもあって、努めて快活にアマルティエスが笑うと、レステリアは安堵したように笑みを浮かべた。

 その様子を、ヒカノスが笑顔で見守っている。

 ふと、アマルティエスは先ほどのヒカノスの言葉を思い出した。ヒカノスはこの新しくできた妹のことを、と呼んでいた。この、白い髪と紫水晶の瞳を持つ美しい少女を、だと。

 それは、妹が欲しかったとか、そういう意味なのか。

 一抹の不安が、アマルティエスの背中を走り抜けていく。アマルティエスと話しながらも、ヒカノスがそっとレステリアの手を握っているのは見えていた。レステリアもそれを嫌がることはなく、甘えるように指を絡めている。時折手のひらに指を滑らせて目を合わせ、彼らは微笑みあっている。

 それが、喋ることができないという彼女の意思疎通の手段なのだろう。実際のところ指で文字を書いてそれをヒカノスがアマルティエスに通訳しているので、意思疎通の手段だというアマルティエスの理解はそう外れてもいないはずだ。

「ヒカノス。彼女、なんだよな?」

「ああ、そうだ。だ」

 念を押すように聞けば、ヒカノスは間髪入れずに頷いた。

 だがその瞳に宿る熱は、どう見ても妹を見るそれではない。そのことを指摘するか否か、アマルティエスはしばらく頭を悩ませることになった。

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