5-8.岩山に秘されたもの

 神の領地は、当然ながらその領地を支配する神の神殿がある。その場所やつくりはその神によって様々で、華美なものから質素なもの、大きなものから小さなものまで様々だ。

 フォティアの領地を攻め滅ぼしたアルニオンは、まず最初にフォティアの神殿を破壊したという。神がいるとかいないとかそういう問題ではなく、つまりアルニオンは一番最初にフォティアの一族にとってのを破壊したということに他ならない。

 さて、デュナミスの領地にも当然デュナミスをまつる神殿がある。デュナミスの神殿岩山の中腹にあり、領内に存在するどの建物とも違う特殊な作りになっていた。

 石煉瓦れんがを一つずつ組み合わせ積み上げて作られた入り口は、まるで訪れる人を飲み込もうとしているかのように大きく口を開け、下へと続く階段を堂々と晒している。階段を下りていけば、元は洞窟どうくつでもあったのか、人工的に掘りぬいたにしては広すぎる空間が広がっていた。

 一番下まで降りたその先にある円形の空間が、神殿としての中枢部になる。

 中央の台座にはデュナミス自身を模したと伝わる、大きな石像が置かれていた。石像のデュナミスは壮年の男で、足が悪いのか椅子に座り、鍛冶の神らしくつちを振り上げている。台座の周囲に長椅子がいくつも置かれているのは、ここで儀式や式典を執り行う時に貴族たちが座る場所になるからだ。

「うーん、いつ見ても似てない」

 デュナミスの像を見上げて、つい肩を竦めてしまった。いつ見ても思うのだが、やはり似ていないのだ。

 一般的な成人男性の身長よりも遥かに大きな石像は、継ぎ目が一切ない。ということはるまり、一つの巨岩から掘り出したものなのだろう。そこの技術は、さすがはデュナミスの一族と言うべきなのか。

 かつて、神の姿は人々のごく近くにあったという。姿を見て、声を聴くことも普通で、情を交わすことすらそう珍しくはなかったとされえている。

 この土地を治めるデュナミスが人と交わり、その子孫がセラスをはじめとするデュナミスの一族なのだという伝承は、果たして本当のことなのか。

 今となっては神の姿を見るどころか、声を聴くことのできる人間すらほとんどいなくなった。神の存在自体がこの地から遠のいているのだと、そう言う人もいる。これまではヘリオスの神託に全てを委ねてきたが、その時代も終わりを告げようとしているのだろう。

「似てない」

 水拭きされて、石造りの床が音を立てていた。掃除をしている神官姿の青年を見つめて、そしてまた石像を見上げる。やはり、似ていない。

「何がだ、セラス?」

 笑い混じりにセラスが零した言葉を拾った青年が、手を止めた。セラスを見た彼の髪は鉄の色、目は岩石のような黒。

 くすくすと笑いながら、セラスは彼に近寄って行く。屈んだ姿勢から立ち上がった彼の雑巾を持っている腕に、己の腕を絡ませる。ぎゅっと体を密着させれば、触れたところから彼が強張るのが伝わってきた。

「石像と本物のデュナミス様は全然似てないな、って思ったの」

「あ、ああ、そう……」

 どこかぎこちなく、まるで油の差していない人形のようにきしんだ動きで、青年がセラスから離れようとする。

 日に当たらないせいで白い耳が、赤くなっている。それを見ているだけで、セラスは胸の奥がくすぐったくなるような心地がした。

 一頻り彼に引っ付いて満足してから、体を離す。本当は一日中でもくっついていたいのはやまやまなだが、セラスにはやらなければならないこともある。それに、自分はシュガテールは違うのだと、そう分かってもらわなければならない。つまり、ふしだらな女と思われても困るのだ。

「私、にいますわ、シハリア様」

「ああ、うん。分かったよ。気を付けて」

 シハリアが、温和な笑みを浮かべてセラスに頷いた。その笑顔を見ているだけで、胸の奥がほわりと暖かくなる。どことなくその笑顔が従姉に似ているように思うのは、だからなのか。

 彼の立場を考えれば、セラスがこうして彼に忌憚きたんない口をきき、親しげに体を寄せるのはあり得ない。これはセラスが長年神殿に通い続け、口説き続けた末の結果だ。

 顔を上げれば、神殿の中の円形の部屋の壁にも、古い装飾が施されている。この神殿を築いた昔の人々が彼らが奉じる神のためにと施した装飾は、薄絹を体に絡ませただけの女性が悩まし気な表情で舞い踊っていたり、古い時代の楽器をかきならしていたりする。これらは全て石を彫って作られたもので、精巧さといい意匠といい、価値が高い。

 元々はこの装飾に彩色が施されていたとセラスは聞いている。長い年月の末に風化して色が落ちた、のではなく、あまりにも生々しすぎてデュナミスの好みに合わなかったらしい。神様ならば美しい女性を侍らすのが好きなはずというある種の偏見が、デュナミスもまたシュガテールが妻なのだからそうだろうという思い込みが、結局神の好みではなかったという話だ。

 この彩色を復活させてはどうかという話が一族の中から持ち上がっていることを、セラスはまだシハリアに言っていなかった。きっとデュナミスも喜ぶだろう、無聊を慰められるだろう、などと言われているのを彼が知ったら、果たしてシハリアはどう思うのか。

 かつこつと足音を鳴らして、部屋を進んだ。円形の部屋はここで終わりではなく、いくつかの扉が見えにくいながらも存在している。

「マヴリ? いる?」

 その中の一つを、セラスは押し開けながら声をかけた。やや経ってから、軽い足音が聞こえてくる。

「いらっしゃい」

 ふわりとした笑みを浮かべるマヴリの髪は金色。金は、ヘリオスの一族の色だ。

 マヴリ・ヘリオスはかつてコキネリ・フォティアに嫁いでいたが、フォティアがアルニオンに攻め滅ぼされたときに命からがら脱出してきた。従姉という伝手を頼って身重のままセラスを尋ねて来たので、以来このデュナミスの神殿にかくまっている。

 神殿の奥は暗い洞窟に続いていると言われているが、それは真実ではなく、実際には別の出入り口に繋がっている。マヴリはそこから出入りして外の空気を吸ったり、外にある畑にちょっとした菜園を拵えて、自給自足をして過ごしていた。

 神殿の裏手は平地になっていて、それは岩山をくり抜いた裏側に当たる。万が一、街が襲撃を受けた際の避難場所として作られた場所であり、この裏口は外からは分からないよう巧妙に隠してある。

 おかげでマヴリも、人目を気にせず日光に当たれるというわけだ。

「あーぅう、きゃー!」

「かわいいー! シトラ、大きくなってるー!」

「昨日も同じこと言ってたけど……?」

 マヴリに招き入れられた部屋の中、柔らかい敷物の上でころりころりと転がって遊んでいる赤ん坊がいた。その光景に、セラスの表情が溶ける。

 戦火を逃れたマヴリの腹にはコキネリとの子供が宿っており、子供は無事にデュナミスの神殿の奥で生まれた。だが、その容姿はどう見てもフォティア一族のそれであった。だからこそ、外には出すことができない。

 それでも、シハリアも巻き込んでシトラと名付けられた男の子は、質素な環境ながらすくすくと成長し、そしてやんちゃさの片鱗までも見せはじめている。

「貴女も早く結婚して子供を産めばいいのに」

 すっかり溶けた顔でシトラをあやすセラスに、マヴリが苦笑しながら言う。そうねとセラスも考えて、肩を竦めた。

「だって、なかなか隙がないんですもの」

「隙って……」

 シハリアには、隙がない。セラスはシハリアのことが好きであるし、セラスが通い詰めて口説き落とした結果、シハリアもセラスの言葉に同じ感情を返してくれた。

 だが、シハリアはその立場が難しい。セラスが神殿の女官となって生涯この場所で過ごせば、疑似的に結婚しているようなものにはなる。だがそうなると、子供を産んだ時に誰の子供なのかと追及されてしまう。

 名実ともに彼の妻となり、子供を得るにはどうしたらいいか。セラスは知恵を絞りだしている最中なのだ。

 デュナミスの一族は皆、そろそろいい年である。セラスにも縁談がいくつか舞い込んでいるので、それらが固まる前にどうにかしたい。いっそ既成事実を作ってしまえばシハリアも重い腰を上げて何か手を打つしかないだろうが、夜這いをかけようにも、セラスの思考が読まれてでもいるかのように躱され続けている。

「それよりも、今日は何を話しましょうか?」

「そうね……」

 遊んでくれるお姉さんと思っているのか、シトラが這ってセラスの膝によじ登ってくる。ぷくぷくした体を抱き上げて、その乳臭い匂いを堪能しながら、セラスはマヴリに請われるままに最近あった出来事を話しはじめた。

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