5-7.前向きな返答
日は沈めば、必ずまた昇る。つまりたとえダウロスが寝ようが寝まいが、次の日というのは容赦なく、そして平等に世界に訪れるということである。明るい日差しに
岩山にへばりつくようにして造られているデュナミスの屋敷は、それほど採光がいいわけではない。だが、朝の日差しはしっかり部屋の中に取り込めるような造りになっていた。なんでも人間というものは生活していく上で、朝一番に日光を浴びることが重要なのだそうだ。それを本で読んだのか、あるいは博識な姉から聞いたのか、情報の出どころがダウロスにはさっぱり思い出せないが。
「はー………」
一年中どこでも製鉄や鍛冶の煙が立ち上っているデュナミスも、朝一番の空は静かだった。まだそれぞれの
そうでなくとも曇りの日が多い気候のデュナミスだが、今日は珍しくも快晴の空が広がっていた。
快晴はいいことばかりの天気のはずだが、ダウロスの気持ちはまるで大雨が降る前の曇天のように重苦しい。どうにも、晴れることはなさそうだ。
地の底にめり込みそうなほどの
もっとも、中にはそんなもの度外視で、庶民の想像するような悠々自適な生活をしている者がいるのも事実だ。とはいえこのデュナミスの領地で、そんなものは不可能である。
ダウロスの仕事は主に、鍛冶職人たちのとりまとめや兵士たちの調練、そして主要な食糧であり生産物でもある山羊の世話だ。山羊の世話はフィリラに任せている部分も多いものの、一応責任を負うのはダウロスということになっている。
内政的な事柄に関しては疎いという自覚もあるので、積極的には関わらないことにしていた。そういったことはシンネフィアの方が適任なのだ。あとは、ケリーの方が適任であるのも知っている。これはいわゆる、役割分担というものだ。
ケリーには頭が筋肉でできているだのなんだのと馬鹿にされるが、鍛冶のために槌を一振りしたら骨が折れそうな男に言われたくはない。
普段は仕事を嫌だと思ったことはないが、今日に限っては別だった。いや、正しくは仕事というわけではないが、かといって完全に私的なことかと聞かれると如何とも答えがたい。一応どちらかに分類しろと言われたならば、やはり仕事ということにしておきたい。
「やっぱ、断るよな……」
昨日ダウロスは、エマティノスから同腹の姉であるシンネフィアとの仲を取り持つよう
一目惚れとかいう俗っぽいものがあのエマティノスにもあったのかと、腹を抱えて笑いたいような、巻き込まれて頭を抱えたいような、何とも言えない気分だ。
エマティノスの言葉を無視もできず駄目で元々とシンネフィアに尋ねてみたダウロスだったが、想像していた通り、昨夜返ってきたのはにべもないお断りの返事だった。それでもきっぱりはねつけると弊害があると思ったのか、
「清算、ねえ……」
数多の噂話に彩られたエマティノスの周囲、そのすべてを綺麗に片付けてくれたなら。などという断り文句は、シンネフィアからすればあるかないかわからないことを証明しろという無茶な要求であり、当たり障りのない拒絶のことばだったのだろう。だがそんなもの、エマティノスに通用しない。少なくとも、ダウロスはそう思っている。
清算した証を出せと伝えたのなら、彼は間違いなくその証を持参してまた来るに違いない。それが真実かどうかなど関係なく、望まれたからというその一点だけで。
「……まあ、いいか! 俺の知ったことじゃないし!」
ばちんと頬を手で叩いて、ダウロスは気持ちを切り替えた。
見えている未来は、あくまでもダウロスの推測だ。かなり確証を得ている推測ではあるが、少ない確率で別の未来が訪れる可能性だってなくもない。それにもし推測通りになったとしても、ダウロスに不都合はあまりないのだ。
シンネフィアがあちこちから縁談を持ち込まれていることはダウロスも承知しているし、デュナミスの姓を冠するダウロスらのうち、結婚しているものはまだいない。ケリーがシンネフィアを見る目も不穏であるし、シンネフィアがエマティノスと縁を結ぶのはそう悪い話でもないだろう。ましてエクスロスとデュナミスは、武器の使用者と供給者という点で、切っても切り離せない関係性にあるのだ。
よし、と気合を入れると、ダウロスは立ち上がって部屋を後にした。
※ ※ ※
エマティノスは彼にあてがわれた客間で、すでに身支度を終えていた。とはいっても、彼はただデュナミスに注文をしに来ただけであるので、その姿は軽装だ。エクスロス家の当主の証である身の丈を超える大槍も、今日は持っていない。
ただ、エマティノスは腰に長剣を一振り下げていた。最低限の備えだろうが、彼が本気を出せば剣を抜くより拳で打倒した方が早いことをダウロスはよく知っている。エクスロスは拳で人を殺せるというのは、何も
「おはよう」
「ああ」
扉を叩いて声をかけ、返答を聞いてから扉を開ける。部屋の中に体半分を入れた状態でエマティノスの機嫌を伺うが、そう悪くもなさそうだ。
このまま部屋に入って二人で話をするか、あるいは外に行くか。どちらがいいかを瞬間的に考えた結果、ダウロスはエマティノスに向かって軽く首を傾げた。
「話は、外でどうだ」
「わかった」
部屋の中で二人きりだと、飛んできた拳から逃げる場所がない。むやみやたらと暴力をふるうわけではないが、懐にいれればいれるほどぞんざいな扱いををするとわかっているので、油断はできなかった。
鍛え上げられたエマティノスの振るう拳は、本人は軽いつもりでも一般人からすれば頭が吹き飛びそうなほど重いのだ。ダウロスとて鍛えてはいるものの、それでも頭が揺れる。こんなものを体が傾ぐこともなく受け止めるエマティノスの弟であるアマルティエスが異常なのに、もしや彼は自分の弟を基準にしてはいないだろうか。
あちらこちらから、槌の音が響き始めている。起きた時には煙っていなかった空も、すでにうっすら霞がかってきていた。その光景を見ると、デュナミスの一日が幕を開けたのだと思える。
屋敷を出れば、街には既に露店が出ていた。エマティノスが興味深そうにするので適当に露店を冷かしながら、ダウロスは言葉を選びつつゆっくりと口を開く。
「昨日の件、姉さんには言ってみたんだけどさ」
「断られたか?」
ダウロスの歯切れの悪い口調から先を察したのか、エマティノスが淡々とした口調で言い当ててくる。特別その声音の中には、感情が見えなかった。
「ああ。……いや、その、断ったっていうか、なんていうか」
噂になっている相手をきれいさっぱり清算しろというシンネフィアのことばを、どうやったら丸く言い換えられるだろうか。
「噂が多いだろ? それをさ、綺麗にしてほしいんだと。今ある関係を清算したら、考えてもいいって」
悩んだ末、ダウロスは仕方なくシンネフィアのことばをほぼそのまま口にすることにした。取り
「ほう?」
愉快そうにエマティノスが喉を鳴らす音がした。ちらりと隣にいるエマティノスの顔を見上げると、実に楽しそうな色を帯びた金色と視線がぶつかる。こういう顔をするときは大体よくないことが起こると知っているからこそ、ぞわりとダウロスの背筋に寒気が走った。
「つまり、清算してくればいいわけだな」
「え……いや……」
シンネフィアは清算なぞできない、その証明もできないだろうと見越して、体のいいお断りの理由として清算と言ったのだ。
だがエマティノスはそれを、前向きな返事として受け取ったらしい。やっぱりこうなったかと、ダウロスは苦く笑う。
「まあ、そうだな」
「簡単なことだ。後日、証を持ってきてやる」
反射的にいらないですと言いかけて、寸前で飲み込んだ。証を持ってくるというのが、何とも嫌な予感がする。というよりも、予想ができている。
だがこれも、元はといえばシンネフィアが出した条件なのだ。エマティノスは随分前向きなようであるし、姉にはせいぜいエマティノス・エクスロスという人物がどのような人間が、これで詳しく知ってもらえればいい。
幸いにして、シンネフィアはエマティノスの顔と声だけは好みだと言っていた。目的のためには犠牲をいとわないところも、無駄な情をかけないところも、ふたりは割と似ているように思う。
ごめん、姉さん。そんな風に内心で姉に謝罪のことばを紡いだダウロスは、目に見えてやる気に満ちているエマティノスを笑って接待することに努めた。
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