5-4.間を取り持て

 ダウロスとエマティノスの関係を一言で表すのは、非常に難しい。人間の関係を表現することばからすれば、仕事仲間、友人、同僚、そういうものがいくつも思い浮かびはするものの、ダウロス自身が考えても、どれも何となく当てはまらないような気がしてしまうのだ。

 世間一般に言わせると、エマティノスは整った顔立ちに落ち着いた佇まいの魅力的な男、という評価らしい。ダウロスはそれを初めて聞いたとき、腹を抱えて笑いつつも憤慨ふんがいするという、実に複雑な心持ちを経験した。

「すまない。遅くなった」

 姉であるシンネフィアを見送って、その車椅子の音が遠ざかるのを聞く。シンネフィアが十分に離れただろう頃合いを見計らって、ダウロスは軽く謝罪を口にした。

 当主とそうでないものとの差は、もちろんある。つまり当主であるエマティノスと当主の弟でしかないダウロスの地位の差は明らかで、本来ならばこれほど砕けた口調は許されない。例えばこれがケリーやリオーノが放ったものであれば、機嫌を損ねたエマティノスに首と胴体を永久にお別れさせられることだろう。当主同士ならばいざ知らず、もう今は当主がそうでないものを殺したとしても即座に戦争ということにはならない。

 エマティノスはダウロスに対しては、鼻を鳴らして謝罪を受け入れる。

 何が気に入ったのかダウロス自身未だに分からないままだが、エマティノスはダウロスに対して様々なことを許容していた。ケリーが口にしたように言うのならば、「気に入られている」のだ。仕事上では良いことではあるが、ケリーは他所の領地とはいえダウロスがという立場の相手に気に入られているのが気に食わないらしい。どうやって親しくなったのか、あれやこれやと要らぬ邪推じゃすいをしては、ダウロスを馬鹿にしてくるのだ。

 その邪推のうち外れていない部分もあるにはあるが、大部分は言いがかり甚だしい。悪態を吐くぐらいなら変わってみるかと、口に出さずともダウロスはいつもケリーに思っている。そんなに変わって欲しければ、いつでも変わってやるのだ、ダウロスとしては。

 ケリーの言うような、「可愛い年下のお気に入り」などと、エマティノスは決して思っていない。せいぜいが「生きが良くて使い勝手の良い鬱憤うっぷん晴らしの相手」とか、そういう類の愛着だろう。迷惑なことこの上ない。

「忘れていたな?」

 ソファに身を深く沈めたエマティノスが、どすんと音を立ててテーブルの上に足を乗せて組んだ。シンネフィアの前では当主然としていたくせに、こうなると柄が悪いことこの上ない。ある意味ではこの姿こそ、ちまた流布るふするエクスロスの噂には相応ふさわしいものだろう。

「いやあまさかそんな」

 乾いた笑いを漏らすダウロスは、エマティノスとの距離を一定以上開けたまま決して詰めなかった。薄い笑みを浮かべたエマティノスが指先でダウロスを手招いているのが見えてはいるが、薄い笑みを浮かべて受け流す。

 手の届く距離に近づいたが最後、拳か足が飛んでくるのが目に見えている。手も早く足癖も悪いこの男がどうして巷では人気があるのか、ダウロスはさっぱり理解できなかった。

「さっきのが、お前の姉か」

「ん? ああ、そうだよ」

 エマティノスは何も、ダウロスとただしゃべりに来ているのではない。デュナミスに遊びに来たわけではない。彼は一応、仕事の話をしに来ているのだ。

 正直な話エマティノスがわざわざ出向かなければならないような大きな仕事は今はないが、ここに来るのも彼なりの息抜きなのだろう。ダウロスが付き合わねばならない理由はどこにもないし、できれば、何かの間違いでケリーやリオーノが応対して機嫌を損ねて殺されてくれないかなとも思っているが。

 そうなれば面倒事がひとつどころか、いくつも減る。

「ふうん……」

 エマティノスが何かを考えるようにして、目を細めて扉をじっと見ていた。ああ嫌なことを考えているなと、ダウロスは察して少しばかり身震いをする。

 巻き込まないで欲しいが、おそらく彼の考えていることはシンネフィアに関することだろう。シンネフィアはダウロスにとっては大切な姉で、見て見ぬ振りもできない。

「俺との間を取り持て」

「お前と? 姉さんを? 取り持つ? 俺が?」

 辛うじて「なんで?」ということばだけは、飲み込んだ。ただ表情までは隠せず、実に嫌な顔をしている自覚はある。

 エマティノスがその意識を、約束を失念したダウロスからシンネフィアへと完全に移したのを慎重に見定めて、向かい側のソファに腰を下ろした。

 彼と付き合いを続けていくにはこういう慎重さが実に重要なのだ。もちろん時々は鬱憤を晴らさせるために、殴られてやった方が良い時もあるが。

「そう。お前が」

「いや……それは……」

 金色の瞳が、扉から離れてダウロスを射抜く。

 濃い金色は黄金色と言うよりも、ともすれば山吹やまぶき色に見えた。切れ長で鋭さがありつつ、少しだけ隙がある。そう思えるのが良いのだという話だが、残念なことにダウロスはエマティノスがいかに傍若無人かを身を持って知っている。だから意識的にか無意識にか放ってくる彼のに引っかかることは一切なかった。

 むしろ、腕に鳥肌が立っているくらいである。

「俺の頼みが聞けない、と?」

 エマティノスが懐から何かを取り出すて、ひらりと振った。少しばかり内容が見えたが、文字がびっしりと書きつけられたそれはエクスロスからの注文書に相違ない。

 薄らと笑いを浮かべたエマティノスの指が、紙を上の方を少しだけ破る。

「いつ頼まれたっけ? 現在進行形で脅されてるが?」

 人への物の頼み方というのは、こんな風だっただろうか。そう自分の常識をつい疑ってしまう。

「あー……」

 エマティノスが何も答えないのを見て、ダウロスはがしがしと頭を掻きまわす。癖のある髪が、指に引っかかった。

 エマティノスをちらりと見上げれば、愉快そうな金色の瞳は変わらずまっすぐにダウロスを見つめていた。これは、少しもその考えが揺らいでいない。

「……わかったよ」

「よし」

 たっぷり間をあけて、ダウロスは白旗を振った。了承せざるを得ないのはわかっていたが、少しでも抵抗してみたいのは姉を思う弟心と言うやつである。

 頷いたダウロスに満足そうに笑んだエマティノスが注文の紙を差し出した。

「納期と内容は……まあ、無茶な話じゃないな。おい、値段がこれは無理だ」

 机の上に置かれていたペンを取り、紙の裏に金額を書き付ける。足を下ろして紙を覗き込んだエマティノスが、ダウロスとしては適正より少し吹っ掛けただけの金額に鼻を鳴らす。

「高い、もっと下げろ」

「これ以上は無理だ」

「下がるだろ。下げろ」

「……こんだけだ。これ以上は本当に無理だからな」

 最初から少し吹っ掛けた値段になっているのは、おそらくエマティノスも分かっている。これが他の人間相手だともっと腹の探り合いをしなければならないところだが、相手はエマティノスだ。お互いに落ち着くべきところに価格を着地させて、それをきちんと書き記す。

 あとはこれを、シンネフィアに渡すだけだ。それを考えて先ほどの「間を取り持て」というのを思い出し、ついダウロスが気が遠くなる。だがやると言ったのだからやるしかないのも事実だ。

「今夜は?」

「泊まる」

「わかった」

 エクスロスとデュナミスは北と南という行き来しやすい位置関係ではあるが、用事をこなして日帰りできるかと言われれば、岩山と荒地と火山帯であることからいささか返答に窮する。距離としては問題ないが、デュナミスの領地もエクスロスの領地も、騎馬で速度を出すのが危険な道が多いのだ。つまり、距離的には日帰りが可能でも、実際に馬を走らせると計算よりも時間がかかって不可能、ということになる。

 エマティノスはデュナミスに注文をしに来ると、必ずと言っていいほど泊まっていく。一泊だけの日もあれば、暇な時期だと数日になることもあった。数日になる場合には、エクスロスに代々伝わるという大槍を手入れしろと投げてよこしたり、依頼の品が出来上がるのを興味深く眺めていたりと、過ごし方は様々だ。ただしエマティノスの過ごし方が様々であっても、ダウロスの過ごし方は基本的に同じ。それが何かといえば、エマティノスのお供だ。

 それでも今まで、エマティノスがシンネフィアに会わなかったのは、奇跡的と言うべきかもしれない。シンネフィアが基本的に自分の執務室から出てくることはなく、エマティノスの対応をする必要がなかったというのが大きいのだろう。

「夜のうちに話をつけておけよ」

「ええ……本気かよ……」

 悠然と笑うエマティノスに、ダウロスは顔を引きらせて溜息ためいきいた。

 エマティノスは傍若無人ぼうじゃくぶじん唯我独尊ゆいがどくそんなところはあるが、ダウロスから見ても縁談を考えれば決して悪い相手ではない。シンネフィアとていい年で、足が動かないとは言えどその見た目は悪くない。密かに、あるいは公然と想いを寄せる男も少なくなかった。

 変な男と縁談を組まされるよりは、あるいはケリーに何かされるよりは、エマティノスと一緒になってくれた方が断然いい、とダウロスも思ってはいる。

 だが、それはあくまでもダウロスの弟心でしかない。シンネフィアはたおやかな物腰と優しげな表情にだまされがちだが、実のところ一筋縄ではいかない。他人の意見を耳に入れる柔軟さはあるが、自分の考えもしっかりと持っている。

 そんなシンネフィアが、果たしてエマティノスを紹介したところで、話に乗ってきてくれるのか。この間を取り持つというのはお付き合いをしましょうとかそういうものではなく、結婚相手として考えろという意味でもある。

 エマティノスが色々な噂話に事欠かないのは、デュナミスから出ることのないシンネフィアとて知っている。若干潔癖けっぺきのきらいがある姉のことだ、そうした噂も含めて拒絶するのではと、ダウロスは予測していた。

「期待はするなよ……」

 だからといって、話さないという選択肢はない。

 もう一度深々と溜息ためいきいて、ダウロスはどうやって話を切り出すべきか頭を悩ませるのだった。

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