5-5.遠回しの拒絶

 貴族であっても、当主とそうでないものというのは、明確に差がある。そして当主のきょうだいなのか、あるいはいとこなのか、同じように神の名を冠する家名を名乗っていても、そこには順番が発生する。そういうものにひどくこだわる人間がいることも知っていて、シンネフィアは机の上にあった手紙につい溜息ためいきいた。

 成人年齢は、とうに過ぎている。シンネフィアの年齢はといえば、もう結婚適齢期を過ぎているのではと言われるくらいにはなっていた。もういい年なのだからと持ち込まれる縁談の数を数えるのは無意味だが、「このような足ですから」と自分の足のことを理由にして断った回数はそれなりにある。

 太陽は沈み、夜がやってきた。夕食を終えてからも残った仕事を片付けようと、シンネフィアは自室ではなく執務室へと自分の身を置いた。まだ食糧の割り振りが終わっていないというのが気がかりだったというのはある。食糧にとぼしいデュナミスにおいて、デュナミスの一族から分配される食糧というのはデュナミスの民衆にとっての生命線だ。

 机に向かってペン先にインクを付けようとして、ふと手を止めた。

 そういえばまだ、エクスロスからの注文をダウロスから受け取っていない。エマティノスがデュナミスに来るのは何も、友人であるダウロスに会うためではないのだ。何もないのに当主が自分の領地を離れて他領に来るはずもなく、エマティノスは仕事の依頼をしに来ているはずだった。いつもならばそれをダウロスはすぐシンネフィアに伝えに来るのだが、今日に限ってまだ届いていない。

 注文がなかったのか、あるいは価格の交渉で何かあったのか。そんなことをつらつらと考えていたところで、その思考は扉を叩く音でぶつりと途切れた。

「はい?」

「姉さん、俺だ。入って良いか」

「あら、ダウロス。ちょうど貴方のことを考えていたところよ、入ってちょうだい」

 許可を出せば、扉はすぐに開いた。すっかり軽装なところを見ると、夕食も終えて彼はもう眠るつもりだったのかもしれない。

 夜に何かをするというのは、油を使う。あるいは蝋燭ろうそくを使う。日中のように自然の光があるわけでもないので、どうしたって消費するものがあるのだ。だから本当は、日が沈んだらさっさと眠る方が良いことはシンネフィアも分かっていた。

「俺の? 何かしたか、俺」

「いいえ? まだエクスロスからの注文が上がってきていないなと、それを考えていたの」

「ああ、それならこれ。部屋の方行こうとしたら、姉さんはまだ執務室だって聞いたから」

「ありがとう。確認するわ」

 懐から取り出した紙を、ダウロスが机の上に置く。上の方が少しばかり破れているが、何かあったのか。とはいえそれは読めないようになるほどのものではなく、気にかけるようなものでもない。

 上から下まで、ざっと注文を見た。いつも通りと言えばその通りで、訓練だなんだと武器を必要とするエクスロスからの注文は数が多い。修繕しゅうぜんも少なすぎる多すぎるということはなく、疑うわけではないがどこかに横流しをしたとかそういうこともないだろう。

 裏側に書き付けられた価格も、いつもとさして変わらない。友人だからとかそういう理由でダウロスが価格を下げ過ぎたりすることがないのは分かっているが、これも一応の確認だ。疑いすぎるのはいただけないが、まったく疑うことなく委ねてしまうのは、信用や信頼ではなく怠慢だ。

「……これくらいの価格なら、良いわ。書面は整えるから、明日職人の方に振り分けでちょうだいね。今晩中に仕上げておくから」

「そんなに急がなくても良いと思うけど」

「後回しにして忘れたら困るでしょう?」

 明日でいいとするのは、特に他領が絡むことでは避けたい。まして当人がどう思っているかは知らないが、直々にエマティノスがデュナミスを訪れて、そして注文をしていっているのだ。それならばデュナミスとしてはすぐに動きましたという態度を見せておいた方が、今後の関係性としても良好でいられる。

 ダウロスの用事はそれくらいだろうと思っていたのに、彼は何か言いたげな顔をしてその場に立ち尽くしている。

「まだ何かあるの? もう眠るところだったのでしょう?」

「あー……いや、うん、そうなんだけど」

 常ならばこれで「おやすみなさい」と言ってダウロスは部屋を去っていくのに、やはり何かもごもごと口の中でことばになりきらないものを転がしている。

 促すでもなく、ただ弟の中でまとまるのを待つことにした。こういう時に急かしても、支離滅裂しりめつれつなことばが出てくるだけでかえって時間がかかることも多い。

「エマが、ちょっと」

「エマティノス様が? 何か前の依頼に不備でもあったかしら」

「いや、そういうんじゃなくて……」

 他に何かあっただろうかと考える。

 そもそもシンネフィアは他の当主との交流も希薄で、顔を合わせたことがある当主というとヒュドールのクリュドニオンと、シュガテールのフィオスくらいのものだ。デュナミスから一歩も出ないのだから、向こうからこの岩山をのぼってこない限り、シンネフィアが会うことはない。

 エマティノスはデュナミスまでやって来るが、彼はシンネフィアに会うより前にダウロスを気に入ったらしいので、もう対応はダウロスに任せて顔を合わせたことはなかった。そのエマティノスが何かあって、ダウロスが言いづらそうにしているということは、エクスロスからデュナミスへ何か文句でもあったのか。そう思ったのだが、どうやらそういうわけではないらしい。

「姉さん、結婚の予定は」

「今朝も言ったでしょう、ないわよ。だから貴方がさっさとフィリラと結婚したら良いと思っているわ」

「俺のことはいいから! だいたいフィリラはまだ成人してないだろ!」

「あと数ヶ月でしょう、準備しておいたらいいじゃないの。それからダウロス、フィリラにちゃんと申し込みをしなさいよ。それはさておいて、私はないに決まっているでしょう? 今日も届いた書状にお断りの返事をしようと思っていたところよ」

 なぜそんな話を蒸し返すのかと、シンネフィアはつい溜息ためいきいた。

 ケリーとその弟のリオーノが遊んでいることも把握はあくしているし、従妹にあたるセラスはデュナミスの神殿に入り浸っているのも分かっている。彼らも結婚という文字が遠い気はするが、これだけいるのだからシンネフィアが絶対に結婚をしなければならないということもない。

「……エマは、どう」

「嫌よ」

 ダウロスに言われて、彼が言い終わるか分からぬうちにシンネフィアは拒絶を口にした。

「早いな! 少しは考えるとかそういうのないのか!」

「ないわ。考慮の余地がないもの」

「そこらの変な男と結婚するより良くないか」

 食い下がったダウロスの顔を見れば、彼は垂れた眉を更に下げて本当に困ったような顔をしていた。これがただ友人はどうかと紹介しているだけならば話はこれで終わりだが、もしもここにエマティノスの考えが挟まっているのならばそれはそれで面倒な話になる。

 エマティノス・エクスロスは軽薄かと言われるとおそらくそうではないだろう。ただ、噂話は一人歩きしてシンネフィアの耳にも入ってきている。それらすべてが真実とは思わないが、嘘だとも思っていない。

 そしてダウロスやケリーの話からしても、彼の「遊んでいる」については真実だろう。ならばシンネフィアとしては考慮も何もない。貴族でも平民でも珍しい話ではないのだろうが、父のせいでダウロスとケリーの間に軋轢あつれきが生じているのを見ている以上、シンネフィアはそれを呑み込むことができなかった。

「ダウロス、貴方、急に何を言い出すの? それは貴方の勝手な考え? それともエマティノス様からの依頼? その返答によって私は返答を変えなければならないのだけれど」

 さすがに個人の問題として処理できるかどうかによって、対応は変えなければならなくなる。ダウロスが勝手に言っているだけならばシンネフィアの「嫌だ」の一言で終わりだが、エマティノスが言い出したことであるのならば、言い方を考えなければならない。

「……エマに言われた。姉さんと自分の間を取り持てって」

「あら、大変ね」

「他人事かよ」

「そこに関しては他人事よ。大変なのはダウロスでしょう」

 間に入らなければならなくなった弟にはご愁傷様としか言い様はない。とはいえ、ダウロスがそこで断ることができなかったのも、理解はできる。

 いくら親しかろうとも、当主とそうでないものとの間にある差は大きい。当主が当主を殺せば大問題となり戦争にまで発展するだろうが、当主が当主でないものを殺した場合には、内容によっては譲歩がされる。

「正式にエクスロスから書状が来たわけでもないのだし、ダウロス伝手づての返答で構わないのね?」

「た、たぶん」

「そうね……そもそも私もエマティノス様の当主でしょう。婚姻を結ぼうと思うのなら、どちらかが当主を降りる必要があるわ。婿入りなり嫁入りなりするものなのだから。そんなの、今すぐには無理でしょう? エマティノス様は私より年上なのだし、いつまでも待つのは無理だと思うわ」

 貴族の結婚とは契約であるが、必ず婿に入るかあるいは嫁に入るか、とにかく別居という選択肢はない。その領地にいることが当然である当主同士となれば、どちらもそれが不可能と言える。

 本気でエマティノスがシンネフィアと結婚しようと考えるのならば、どちらかが当主の座を退かねばならない。シンネフィアがダウロスあるいはケリーにその座を渡すのか、エマティノスが弟であるアマルティエスにその座を渡すのか、考えてみても現実味はなかった。

「それからご本人にも申し上げたのだけれど、私、どこに種をいているか分からない方と結婚する気はないのよね」

 とはいえ、「お断りします」と直接言うのも気が引ける。そもそも明確な求婚ではなく「間を取り持て」とダウロスに言ったというのがやり辛い。シンネフィアに直接書状を送ってきたのならば断わりの手紙を書くだけでよかったというのに、間にダウロスが入ってしまった。

 まして、デュナミスにとってエクスロスはだ。エマティノスの一存で依頼を減らすとは思いたくないが、懸念してしまう部分ではある。

 どうにかして遠回しに断れないかを考えて、ようやくシンネフィアはひとつの答えに行き当たった。

「そうだわ、こう伝えてくれる?」

「え? ああ」

「『結婚をお考えなら、今ある関係性をすべて清算してくださいませ』と」

「姉さん、それ……」

「これ以上は何も言わないわよ、私」

 その真意に気付いたらしいダウロスが、何とも言えない顔をしていた。

 今ある関係性をすべて清算しろと言ったところで、そして清算したと言ったところで、それを証明する術はない。疑いはいくらでもかけられて、潔白の証明は難しい。

「あの方、好ましいところが顔と声くらいしかないのよね」

「見た目は好みなのか……」

「見た目だけよ。遠くから見ているくらいがちょうど良いわ」

 少なくとも直接関わり合いになりたいとは思っていない。結婚してから要らぬ火種を抱え込みたくはないし、別に夢を見るわけでもないが、シンネフィアは結婚するならば自分のことだけを見てくれる人の方が良い。そんなものはこの土地では難しいと分かっているから、結婚に興味も持てないだけだ。

 ダウロスとフィリラを見ていると、時折うらやましくなることはある。決してそれを口に出したりはしないけれど。

「後継者に困ったら、ケリーにでも頼むわよ」

「姉さんそれ、本当に笑えない冗談だからやめてくれ」

 エマには伝えておくと肩を落としたダウロスには、やはり「大変だな」という他人事の感想しか浮かんでこなかった。

 この話はこれで終わりだと、ようやく羽ペンの先をインク壺に浸す。大仰な溜息が聞こえて顔を上げれば、ダウロスが背を向けて執務室を出て行くところだった。

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