5-1.岩山の一族

 窓の外からは絶えずつちの音が聞こえてくる。鍛冶場からの煙ゆえか、それとも地形ゆえか、デュナミスの領地はすっきりと晴れ渡っている日など滅多にない。今日もいつも通りの雲立込める曇天で、窓の外は見慣れた空が広がっているばかりだ。

 ここのところ戦争があるわけでもなく、デュナミスの領地は潤うという点とは無縁であった。鍛冶の神を奉じる関係上戦争でもうかる土地ではあるが、かといって別に戦争を心待ちにしているというわけでもない。戦争のための武器の注文がないならばないで、訓練用のものや、細々こまごまとした装飾品を流通させるだけである。

 こつこつという扉を叩く音に、窓の外を見ていた視線を扉へと動かす。石造りの壁の中、そこだけが木の色を残していた。

「姉さん、入って良いか。探してたって聞いたから」

「ええ」

 扉の向こうから聞こえた声に入室の許可を出せば、癖のあるすす色の髪が見えた。それから、がっしりとした体躯。

 デュナミスの色は、すすの色。あるいは鉄の色、岩石の色。ニュクスの夜の闇のような黒々とした黒とは違う、それこそデュナミスの領地の大半を占める岩山のような色である。

「おはよう、ダウロス。よく眠れたかしら?」

「はい、おはようございます。まあ、それなりには……」

「今朝ダウロスに用事があったのだけれど、貴方の部屋を訪ねたら使用人にフィリラを起こしに行ったと言われたものだから」

「え、あ、はい」

「別の構わないのよ? 毎日のように起こしに行っていると、使用人から報告は受けているもの。フィリラは寝起きが悪いものね?」

 あえて穏やかな笑みを作ってダウロスに向ければ、弟はばつの悪そうな顔をしてそっぽを向いている。別に責めるつもりはなく、寝起きの悪い従妹いとこをわざわざ起こしに行くのも構いはしない。

 これを口にしたのは、笑顔と同じく、わざとだ。

「知ってるならいちいち言わなくて良いだろ……」

「一応確認をしただけよ」

 ダウロスはそっぽを向いてはいるが、機嫌を損ねたわけではないのも分かっている。下がり気味の太い眉を更に下げて困ったような顔をしているのが、その動かぬ証拠だ。

 癖のある髪、垂れた目、太めの眉。男女の差はあれどもどこか鏡で見る自分の顔と似ているのは、構成するひとつひとつが似ているからなのか。同じ母親の胎から生まれ落ちると似るものなのかと、実弟と異母弟の違いを見ているとそんなことを思う。

「それでダウロス、貴方、いつ結婚するの?」

「は?」

 そっぽを向いていたダウロスが、弾かれたように顔を戻した。

「何だよ急に」

「急でも何でもないでしょう?」

 貴族にとっての結婚は、責務のようなものである。その血筋を絶やしてはならない、その血を遺さなければならない。そしてそれだけではなく、結婚というのは交渉と契約にもなるものだ。

 デュナミスの土地を守るために、いたずらに敵を増やさないために、結婚する相手は選ぶ必要がある。かといって守ってもらえれば何でも良いというわけではなく、この土地に結婚相手の実家が変に干渉してこないかという点も見定めなければならなかった。

「ケリーにも同じことは聞いているのだし。デュナミスはお父様のおかげ……おかげ? まあ、そういうことにしておきましょう。貴族らしいお父様のおかげで兄弟は多いし従姉妹いとこもいるけれど、後継者がいないのも事実でしょう?」

 現状、デュナミスはその姓を名乗ることのできる人間が六名いる。なので今すぐに全員何かあるというわけもなく、焦りすぎる必要はない。ただしその六名がすべて同世代であり、上の世代も下の世代もいないというのは問題だ。

 外交云々はさておいて、まずデュナミスに必要なのは加護を持った次代である。

「同じことをそっくりそのままお返しするよ、姉さんにも。使用人がこの前『シンネフィア様はお相手もいらっしゃらない』と嘆いてたけど?」

「私は良いのよ。ダウロス貴方、私がしばらく仕事ができなくとも困らないのかしら? 貴方が当主の仕事の代理をしてくれる? それならばさっさと結婚相手候補のリストから適当に見繕みつくろって決めるわよ?」

「う……」

 笑みを深めたシンネフィアに、ダウロスがことばを詰まらせる。彼はしばらく酸欠の魚のように口を開閉させていたが、黙ってそれを眺めているとようやくそこからことばが飛び出した。

「そんなことのために俺を探してたのかよ!」

「まさか。そんなことだけのために貴方を探したりしないわ」

 結婚の話はあくまでもついでだ。さすがにシンネフィアもそんなくだらないことを本題にしたりはしない。いや、くだらなくはないのだが最重要というわけではない、これが正しいか。

 とはいえデュナミスの一族で今、結婚というものについて一番具体性があるのがダウロスというのは間違いではない。他は残念ながら特定の相手がいないだとか、そもそも相手が特殊であるとか、そういう事情だ。

「貴方に頼みたい仕事があったものだから。これを……」

「立たなくて良い、姉さん。座ってて」

 ダウロスに渡すために分けてあった書類を見て、机を支えに立ち上がろうとする。そんなシンネフィアをダウロスが制し、彼はつかつかと執務用の机に近付いてきた。

「あら。ありがとう」

「足悪いんだから、無理するなって」

 シンネフィアの足は、まともに動かない。そんな姉を見かねてかダウロスが車輪付きの椅子を作ってくれたために移動にそこまで困っているわけではないが、やはり立ったり座ったりをするのは難儀する。

 世間的に言えば、シンネフィアは不具者だ。けれどこうして当主の座にあるのは、ここがデュナミスという少々特殊な事情がある神を奉じているからである。

 デュナミスとは、だと伝わっていた。この辺りの土地における神のうちエクスーシアとマカリオスは夫婦であるが、あまりにも浮気を繰り返しては子供を作るエクスーシアに業を煮やしたマカリオスが、たったひとりで産み落としたのがデュナミスなのである。だがしかしデュナミスは神として重大な欠落を抱えていたために、マカリオスはその存在を疎んだ。

 結果としてデュナミスは僻地に鍛冶場を構えたとされているが、実際のところその欠落が何であるのかは、伝わっていない。ただその欠落を何らかの欠陥として、デュナミスはシンネフィアのように体に不具がある者がいればその者を当主として選ぶことが多かった。

 かつては当主になるために、無理矢理欠損を作ったということもあったという。だがその風習をデュナミスがひどく嫌ったということもあり、そういう当主からは一切加護のある子供が生まれなかったことから、いつしかそれは廃れたという。

「今ある修理と制作依頼のリストだから、職人の方に振り分けておいてくれる?」

「分かった」

 机の上の書類の束を指し示せば、ダウロスがそれを手にしてぱらぱらとめくっていた。

 鍛冶仕事に関しては、シンネフィアが指示をするよりもダウロスの方が職人への通りが良い。というのも彼はデュナミスらしく、鍛冶場へ出入りして自ら槌を手にしていることが多いからだ。さすがに足の悪いシンネフィアではそうはいかない。というよりもそもそも、女性である時点でそれは難しい。

「それでダウロス、結婚の話なのだけれど」

「あーっと! そうだ俺、フィリラの山羊ヤギ小屋に用事が! ちょっと行ってくる!」

 話を蒸し返そうとしたところで、ダウロスはわざとらしく声を上げて部屋を飛び出していってしまった。慌ただしい足音が遠ざかると同時に、ばたんと音を立てて扉が閉まる。

「あら、揶揄からかいすぎたかしら……それにしてもあの子、今日は来客があると言っていたような気がするのだけれど」

 果たしてそれはシンネフィアの気のせいだっただろうか。確かに昨日ダウロスから「明日は友人が来る」というような話を聞いた覚えはあるのだが、ダウロスはどこへ行っただろう。

 そのまま書類に視線を落として続きをと思っていると、今度は扉が叩かれることもなく、音を立てて開いた。

 建て付けや金具で、扉の音を小さくすることはできる。だがそうするとこういった場合に不便であるので、むしろ扉の音はどうしたって鳴るくらいにしておく方が良い。

「ネフィア」

「あら、ケリー」

「馬鹿が慌てて出て行ったけど、何事だ?」

「少し揶揄からかいすぎたわ」

 癖のない髪はすすの色とは違う、たんぽぽの色。くすんだ色味の多いデュナミスの領地において、その色だけはやけに鮮やかだ。目の色は煤の色であるので、もちろん彼もデュナミスの加護はある。

 異なる一族と婚姻を結べば、両方の色が出てくることはある。彼の場合はヘリオス出身の母親から受け継いだ色が、その髪に現れただけだ。ただその色は、ヘリオスの金よりは少しばかりくすんでいるけれど。

「もう終わったの?」

「当然だろう。俺を誰だと思っているんだ」

「ふふ、ありがとう、ケリーが優秀で助かるわ」

 どさりとシンネフィアの目の前に詰まれた書類は、予算だとか訴えだとか、そういった細々したものだ。食糧庫の中身の残りであるとか、そういうものは目端の利く人間に書類を任せておく方が間違いがない。

 ひょろりと背の高いケリーのことを「もやし」と称したのはダウロスだった。鍛冶師らしい体躯をしたダウロスと比べれば、確かにケリーの体格は心もとない。

「あいつとは何の話を?」

「あら、気になる?」

 胸の前で手を組んで、シンネフィアはことりと首を傾げる。問えばケリーは返事の代わりに、ふんと鼻を鳴らしていた。

「結婚話よ。後継者がいないのは困るでしょう? もっともそれは、デュナミスだけが抱える問題ではないけれど。十年前の戦争に関わった一族は、みな抱えている問題よね」

 十年前、何が原因であったかは忘れてしまったが、エクスロスとディアノイアとの間で大規模な戦争があった。そもそも奉じている神の仲が悪いのだからエクスロスとディアノイアとの間で対立が起きることは珍しくもないのだが、そこにデュナミスも珍しく巻き込まれる形となった。シンネフィアたちの父も出兵し、そしてむくろだけがデュナミスの地に戻ってきたのである。

 結果、その戦争に関わった一族は年長者をほとんど失った。エクスロスなど、その姓を名乗れるものが今は二名しかいなかったとシンネフィアは記憶している。

「ネフィアと俺で後継者を作るのはどうだ」

「あら、いつもそれね。そうね……最終手段として悪くはないのだけれど。貴方、一応私が異母姉なのは覚えているわよね?」

「馬鹿になった覚えはないが?」

「ええ、それなら私がいつも言ってることも覚えているでしょう? さすがに眉をひそめられるわ」

 土地柄というものか神がそうであるからか、この辺りの土地では男女ともに奔放ほんぽうであることが珍しくない。とはいえやはり眉をひそめられる事例というものは存在して、いとこよりも近しい血縁との関係であったり、兄弟姉妹の伴侶と関係を持ったりすることは、歓迎できないものとされている。

 とはいえ、やはりそれはなのだ。裏を向ければ、ないわけではない。

「その気になったらいつでも言え」

「そうね、本当に困ったらそれも考えておくわ」

 ケリーがどこまで本気なのかは分からない。分からないが、その視線は少なくとも姉に向けるものではないというのは、シンネフィアとて察してはいた。だからこそ使えている部分もあるが、距離感を間違えれば転がり落ちる可能性もある。

 いつまでもこの話を続けるのも不穏で、シンネフィアは話の矛先を変えることに決めた。

「ところでケリー、リオーノなのだけれど」

「何だ」

「また、セラスを怒らせたの?」

「さて……? あの頬のれはセラスだったか」

「そうみたいよ」

 リオーノが昨晩、機嫌悪く頬をさすりながら歩いていたのはシンネフィアも見た。そしてそれと前後して大層怒った様子でセラスが歩いて行くのも見たので、事情を知っていそうな使用人にそれとなく聞いてみたのだ。

 ケリーは同腹の弟の所業を気にしてもいないのか、ふうんと、それだけを発して終わる。

「この書類をお願い。それほど急がないから」

「明日までにやっておくさ」

 彼がそう言うのならば、本当にそうするのだろう。そのひょろりとした体躯の通りにケリーは鍛冶仕事や戦うことは不得手だが、書類仕事では頼りになる。

 適材適所であると、シンネフィアは思っている。

「貴方が優秀で助かるわ」

「ダウロスより役に立つだろ?」

 引き合いに出された名前には、苦笑しか出なかった。

「そうね。こういう点では貴方に助けられているわ」

 微笑んで、けれどケリーが部屋を出て行った後には溜息ためいきをひとつ。ダウロスとケリーについては、少しばかり複雑な面がある。父もそこはもう少しうまく時期をずらしてくれなかったものかと思うのだが、同じ年、しかも生まれた日も近い異母兄弟など、軋轢あつれきのもとでしかない。

 ただでさえ母親違い父親違いで問題が引き起こされるというのに、すぐ近くに常に目の上のたんこぶのような存在があれば尚更だ。

 気を取り直して書類に向き合ったシンネフィアの耳に、またしても扉を叩く音が聞こえる。

「シンネフィア様」

「何かあった?」

「ダウロス様を訪ねて、エマティノス・エクスロス様がいらっしゃっているのですが……ダウロス様が岩山の山羊ヤギ小屋に行かれてお戻りではなく」

 すっかり困ったような使用人の声に、やはり記憶違いではなかったかとまた溜息ためいきが出た。

「……分かったわ、私が対応します。失礼のないように客間の準備をしてくれる?」

 さすがにそこで待っておけと放置できない相手だ。

 ダウロスを呼びに使用人を走らせることにして、シンネフィアはエマティノスを迎えるべく机を支えにして何とか立ち上がり、杖を手にした。

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