3-1.棺に眠る
十三の神ひしめく土地は、東側が荒れた土地や過酷な土地が多いのに対し、西側には比較的豊かな土地が広がっている。この土地はそれぞれの神を奉じる一族が納める地域が集まって形作られ、一つの国として成り立ってはいない。
その中で一番南にあり、海に面したすべてを領地とするのがヒュドールである。そして、その北。ディアノイアの領地は、比較的肥沃な土地であり、農業が盛んな領地でもあった。その領地の中にあって、ディアノイアの一族が古くから暮らす屋敷は、城壁に囲まれた都市の中央に位置している。綺麗な円を描くように作られた街は背の高い城壁で囲まれ、そこには等間隔にいくつもの見張り台が設けられていた。
見張り台にはディアノイア領の各地に点在する都市からの
ディアノイアが奉じるのは、戦女神ディアノイアである。
さて、では領地を治める神の名を冠する一族とはどのようなものかと言えば、神の加護を得たとされるものたちだ。神は己の気に入りには印をつけるとされ、その印とは色である。つまり印は母の胎からこの世に生まれ落ちた瞬間にすでに与えられており、生涯変わることはない。そして、自分で変えることも赦されない。
その印を与えられたものだけが、一族の姓を名乗ることを赦された。そして、その姓を名乗ることはつまり、統治者の仲間入りを果たすことでもある。この統治者を人々は貴い一族とし、平民とは線を引く。
ただし、同じ両親から生まれようとも、印がなければ兄弟ですらない。その印たる色がないのならば、その子は生涯平民だ。
残酷な制度だと、誰かが言った。だが何も、道を閉ざされるわけではない。別に平民であっても己の力量ひとつである程度の地今では上り詰められるのだから、何も悲観することではないだろう。
「紫の目」
先だって届いた手紙の中身を思い返し、テレイオス・ディアノイアは独り
ディアノイアの印たる色は『紫』である。といっても、アルニオンの葡萄の色ほど濃いわけではない。この印を色としたのが神のどのような意図によるものかは知る由もないが、そこは土地柄というものがあるのだろう。結局色というのが、血縁関係を明白にするのに一番手っ取り早い。
硬質な音を響かせて、石で作られた薄暗い階段をテレイオスは降りていく。手のひらに浮かべた小さな
灯火に照らされた石造りの壁には、いくつも傷がある。そして、普段明かりに照らされることのないそこに、ところどころ黒い染みが飛んでいた。
ディアノイアとは、戦いの女神である。女神は正々堂々、正義があることを望む。知略で戦いを制することを望む。だがそんなものは建前でしかないというのは、この地下の状況からして
「
ようやく階段を降り切って、テレイオスはこの地のものとは異なる発音の名前を呼んだ。すると薄暗かった廊下が突然明るくなり、一番手近なところにある扉が開く。
「何だよ、テレイオス?」
開いた扉からひょっこりと顔を出した彼について、名前以外にテレイオスが知っていることは少ない。ただ彼について言えることは、彼とテレイオスは良好な協力関係にあり、そしてテレイオスが欲したものをどこかから入手してくる彼は使い勝手の良い存在であるということだ。
「首尾は」
「あー……まあ、あんまり。目と耳も借りたけど、見付からないままだ」
十六夜の返答に、思わず舌打ちが出る。
テレイオスはディアノイアを名乗っている以上、必要な責務や振る舞いがある。現状ディアノイアの一族を率いる当主という立場にあるというのは、できることは多い。だが、それと同時にできないことも同じくらいあった。
そのできないことのひとつが、気軽にあちこちに出かけて探し物をすること、である。他の領地にテレイオスが無遠慮に踏み込めば、それが侵略行為になることもある。
「舌打ちするなよ。お前が自由に動けない分、俺がやってるんだろ」
だから、テレイオスは特殊な存在を生み出すことで、その動きにくさを埋め合わせた。それが『目』や『耳』と呼ぶ存在だ。瞬きをひとつすれば、こことは異なる海の見える景色がある。耳をすませれば、ここでは聞こえないはずの火山の音が聞こえる。
つまり『目』が見ている景色を共有し、『耳』が聞いている音を共有する。そうすればディアノイアの屋敷にいながらして、己の目的のために必要な情報を集められるという算段だ。
「そうか」
十六夜は「ああ疲れた」などと言っているが、どうせわざとだろう。そんな彼には返答もせず、テレイオスは十六夜が今しがた出てきたばかりの扉の向こうへと足を踏み入れる。それと入れ替わるようにして、十六夜は廊下へと出て行った。
それまでの埃っぽいにおいから一転、ふわりと花の香りがテレイオスの
部屋の中央に歩み寄れば、光の中に
棺の中には、外に飾られた花よりも一際美しい花々が入れられて、その中を色鮮やかに飾っている。その棺には
「変わりないか」
そっと声をかけたとて、返事がないことは分かっている。その目が開くことはなく、かつてのようにその唇でテレイオスの名前を紡ぐこともない。分かっているから、特に気にもしなかった。
そっと彼女の頬に触れれば、ひんやりとした体温が伝わってくる。空っぽの肉体は時間を停めたように変わらないが、すぐ近くで瑞々しい花々が咲いているからか、死人のようには見えなかった。とはいえ、生きている人間のようにも見えはしない。
彼女が、彼女だけが、テレイオスにとっての唯一である。テレイオスの行動など、すべては彼女に起因すると言っても過言ではない。
彼女を目覚めさせる鍵となる存在をようやく手に入れたと思ったのに、鍵に子供を産ませても、それはテレイオスが思っていたようなものにはならなかった。それは、鍵の存在が特殊すぎたせいなのか。
ならば、別の方法を取らねばならない。それを考えている間に協力者がいたのか何者かの手引きによって鍵は逃げ出し、行方を
たとえテレイオスの当初の想定とは外れていても、生まれた子供は何かしらの鍵となっている可能性は高い。だから、できれば手元に置いておきたかった。何しろ試す手段はいくつあっても足りないのだから。
テレイオスが表向きの仕事をしている間に、十六夜が遠方にいる『目』や『耳』を使って捜索の手伝いをしていた。テレイオスは、十六夜には幾つかの権限と、ある程度の自由を与えている。そもそも十六夜にも何かしらの思惑があるのだから、彼がテレイオスの依頼とは別に目や耳で何か別のことをしていても構わないのだ。そこは、好きにすれば良い。
「また、来る」
時間だけは、いくらでもある。何年かかっても、何十年かかってもいい。最後に欲しいものがひとつ手の中に残っていれば、それでテレイオスの勝ちなのだ。
「そういえばテレイオス。お前、客が来るとか言ってなかったか?」
部屋を出たところで、十六夜からそう声をかけられた。そこでまた、階段を降りるときに思い返していた手紙の内容を脳裏に描く。
先の当主、名目上のテレイオスの父親が、戯れに手をつけた女が子供を産んでいた。その子の目は紫で、それは紛れもなくディアノイアの証である。
「それについてなら、ヒカノスに迎えをさせることにした」
「ふうん」
十六夜はそれきり客については興味もなかったのか、口を閉ざした。どうせ彼は地下室から出ることも滅多にないのだから、本当に聞いてみただけだろう。
そういうものは何も、テレイオスが出迎える必要もない。挨拶くらいはしに来るだろうが、異母弟のヒカノスが対応したとて、何ら問題がないものなのだから。
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