大自慰者(1929)

 おれはバッタだ。緑色のお尻をしている。おれの家はあたたかい。園芸好きのご主人が庭に建てた温室が、このおれのベッドであり、キッチンであり、机であり椅子だ。

 しかし、ここでたったひとつの問題が、ずっとおれやご主人を苦しめている。


 おれはご主人に見つかりたくないし、ご主人はおれを見つけ次第、殺す気でいる。おれがこのピカピカの歯で、ご主人が大切に植えているゴーヤーの葉をちぎって食べてしまうからだ。

 ご主人はおれを探し出そうとしている。おれはもちろん見つかりたくない。こんなシチュエーションで見つかりたいやつなんかいるものか!


 おれは隠れる。尻が緑色で良かった。なぜならゴーヤーの葉とおんなじに見えるはずだからだ。


 今日もご主人は、ハウスに入ってくるなり背よりも高く茂ったゴーヤーの葉をゆさゆさと揺らす。おれは絶対に動かない。ご主人は目をすべらせて、おれの尻を探す。ここで動くのは三流だ。おれはプロのバッタだから、ここでじっとしておくのが最高の手だと知っている。

 おれは割と賢い。ゴーヤーの実が垂れ下がっているところには近づかない。だってご主人が収穫のため、手を伸ばしてよく見る箇所だからだ。怖すぎる。

 そんなおれの存在を、ご主人がどうやって知ったかって?

 ゴーヤーの葉におれのギザギザの歯型がついているのが見つかってしまったからだ。それからご主人は、姿も見えないおれの姿を探し続けている。恐ろしい。


 おれはバッタだ。ご主人に通じる言葉は、おれにはない。もし言葉が通じるなら、おれだって立派に仕事について話したい。

 暗い夜に、太陽が空を白くしながらのぼってくる朝のことだ。早起きのおれは、いつもゴーヤーのネットの一番高いところにのぼって目を凝らす。白いつぼみがだんだんふくらんで、やがて花を咲かせるんだ。

 おれはそこへ、このたくましい足を使ってぴょんと飛んでいき、花粉を足でグリグリやって、別の花につけてやる。なに、いいんだ。これは葉をかじっている代金というものだ。おれは気高いバッタなのだ。お代はきっちり払うタイプだ。

 最近はしっかり気を遣って、目立たないところの葉っぱをいただいている。


 太陽がすっかり頭を出してから、ご主人は今日もやってきた。ゴーヤーの葉をゆさゆさ揺らす。おれは一緒に揺れる。

「バッタ、いねえな。死んだのかな。うん。やったぞ」


 やったぞ!これで葉っぱゆさゆさタイムともおさらばだ!


 おれは今日も目立たない葉っぱをがじがじ、ゴーヤーのめしべとおしべを行ったり来たり、暮らしていくぜ。


おしまい。

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谷亜里砂の創作訓練―ダリ編― 谷 亜里砂 @TaniArisa

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