幻覚剤的闘牛士(1970)
夫との結婚式を三か月後に控えたある日、私は実家に戻った。それは幸せな理由で、段ボール箱から披露宴用の写真を選ぶためだ。成長過程を一本のビデオにして流すから、なるべくたくさんの候補が必要なのだ。
高校時代の友人Aの披露宴も、Bのお式もとても良くて、私もこんなウエディングがいいと憧れたものだ。あのときは夫と付き合ってすらいなかった。結局、運命の相手がずっとそばにいた人だなんて、私は予想もしていなかった。
父が古びた段ボール箱をえいやと取り出して言った。
「このヘんに、ぜーんぶ入ってる」
父と母がアルバムにしまうのを諦めた大量の写真は、抱えきれないほどの段ボール二箱にぎっしりと詰まって、埃を被っていた。
「うわ。埃だらけじゃん」
私は文句を言ってみせたが、それは照れ隠しという体面上のものだ。こんなにたくさんの、それこそ一年分の衣装ケースほどと感じられる重さを前にしたら、誰でも隠したくなるほどの幸せな気持ちが沸いてくるはずだ。
豊かな黒髪をカールさせた母、サングラス姿の父、そしてその膝に抱かれてだらしなく口を開けて寝ている幼少時代の私、ちょっと笑ってしまった。
かと思えば、怒りだか悲しみだか、不快だかに顔をゆがめ、ロープの結び目みたいなげんこつを二つ作って掲げている私もいた。涙の粒までもが鮮明に写っているけれど、この子を放っておいて写真なんかを撮るのがうちの親だ。
それから、小学校や中学校時代の全体写真なんかも出てきた。私は思わず声をあげた。子どもたちが列になって並び、正面からパシャリと撮られる、あのおなじみの写真だ。
「わあ! なつかしいなあ」
私の左上に写る、クレヨンしんちゃんのボーちゃんのような顔。Cはあれから地主の親の遺産を相続したけれど、世捨て人となって山籠もりをしているらしい。正月の集まりくらいには降りてくるし、まあ、元気にしているんだろう。
仲の良かったD、どうしているだろうか。いつも奇抜で、妄想の世界に生きていた。空想と現実の区別がついていないのか、かなりの嘘つきだったけれど愛されて、中学卒業後は看護師になるための学校に入ったはずだ。
私はその写真を選ぼうか、どうしようかと考えた。
だって、左上の丸、あの天使の使いのような枠に載って微妙な笑顔をうっすらと浮かべているのが、この私なのだから。
おしまい。
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